空母にて
ビーチパラソルの下、燃えるような赤い夕陽を浴びながら2人の男がポーカーに興じている。ヤシの木をモチーフにしたトロピカルな絵柄の派手なバミューダパンツ一丁の彼らの足元には古めかしいCDラジカセがカーペンターズの曲を波音に負けじと鳴らしている。時折、涼しい潮風が吹き抜け音を揺らす。
遠くから爆音が近づいてくる。やがて、地鳴りのように大きくなり辺り一面を震わせた。
爆音のする方を見ると3機のF35CサンダーボルトⅡが黒いシルエットとなって夕焼けに映えている。
-翼が重い。今日も収穫なしか。
首に下げていたレシーバーを両耳に嵌め直しながら1人がぼそりと呟く。
その傍らを掠めるように1機が耳を劈く轟音と共に舞い降り、着艦フックで制動索を引っ掛けて急制動する。
艦橋の下の飛行甲板に広がる赤や青の色とりどりのビーチパラソルからバラバラと作業員が飛び出し、いつもの着艦風景が始まった。
着艦後に俺はブリーフィングルームに向かう。いつも通りだが艦内は蒸し暑くてかなわない。フライト後のブリーフィングはいつも通り(何の成果もないので)すぐ終わるだろう。今朝出かけるときに上さんから頼まれていたのだが、早く帰って子供の自転車のパンクを直さなくては。最近は修理パッチが手に入らないので古い自転車のチューブを切って代用している。それにしても本来、航空機を格納するはずの格納庫甲板に広がるバラックの狭いクネクネとした路地を自転車に乗ってうちの小僧は一体どこに行こうというのか?日当たりが良いエレベーター辺りは海が見えるし、畑にもなっているのでそこにでも行くつもりだろうか?
*
次の日も日が昇るとすぐに電磁カタパルトによる射出Gに耐えながら、電波吸収塗料がとうの昔に剥げ落ち、濃淡のグレーのマダラ模様になったF35Cに搭乗し上空に躍り出る。飛行可能時間の把握なんてもちろんされていないので、いつバラバラになってもおかしくない。眼下を見ると三胴船の巨大な空母(我が家)が空母打撃群-舫い綱で数珠繋ぎになったタンカーや艀を曳航しながら真っ白な航跡を描いている。俺はいつものように旋回して翼を振って空母(我が家)に挨拶をする。艦の飛行甲板の左右に昆虫の羽のように増設された太陽電池パネルが陽光を反射してキラリと輝く。両舷の開口部からは太陽を掴むかのように樹木が伸び、舷側エレベーターの畑では子供達がこっちに向かって手を振っている。うちの子もいるだろうか?残念ながら遠くて顔までは識別出来ない。それにしてもかつて世界屈指の戦闘艦だったとは思えない姿だ。
90%以上の人類を死に追いやった先の大戦より10数年が過ぎ、ようやく再び地上に出た人々を待っていたのは生きとし生けるもの何一つない赤い死の世界だった。先の大戦は地を隅々まで殺菌してしまったため、大地に草木はおろか苔一つ生えなかった。昼は日差しを遮るものが何ひとつない赤い荒野で人々は飢えと渇きに苦しんだ。夜は一転零下に冷え込み、夜空を無数の流れ星が彩った。流れ星はまるで先の大戦で亡くなった人々の魂が生まれた場所に帰る為に降り注いでいるように見えた。
生き残った人々も無事では居られなかった。出生率が低下していた。原因は先の大戦も含めて地球中に振りまかれた多種多彩な毒にあった。特に風が吹く度に吹き寄せる七味唐辛子のような色の粒子の細かい砂塵が良くなかった。気管どころか体中の毛穴に潜り込み、多様な毒素を染み込ませ、内分泌を撹乱させる。それは体調不良等と言うレベルに留まらず、精神を病む上に、徐々に人々の生殖能力をも奪っていく。もはや真の安住の地は地球上の何処にもなかった。生き残った人々は動力源の特性からまだ稼働可能だった原子力空母に身を寄せた。原子力空母は朱に染まった大海原をあてどなく揺蕩った。
僚機と共に今日の捜索ポイントに向かう。捜索は対流圏と成層圏の境目である対流圏界面の上下に格子点状にF35Cを展開し、ジェット気流を遡ってゆく。推論を重ね空母内の量子コンピューターで計算した確率が高い地点から順番に潰してゆく作業を始めてからずいぶん経つ。F35Cが描く、それ程大きくない格子点のメッシュの大きさも量子コンピューターによって計算されたものを採用している。
俺達は、この大空のどこかに居る旧世界の空中要塞を探している。空母(今の家)は世界を巡り、残された人々を拾い上げて来たが定員を大幅に超過している上に、既に耐用年数は大幅に過ぎ、本来実施すべき重整備もままならない中、動力源である老朽原子炉から放射能が漏れる危険性も高まっている。俺達はヤドカリのように皆でどこかに引っ越す必要があった。とは言え、作物一つ育たない毒地となった赤い大地で生きることは難しい。大空のどこかにあると都市伝説のように伝えられている旧世界の最終兵器-終末の日の空中要塞が、正確には超兵器群を備えた空中要塞ではなく、住み家としての空中都市が必要だった。
遠い水平線に真っ赤な夕日が沈む頃、途中、数度の交代を挟みながら続けられた本日の捜索も成果なく終了した。ステルスに光学迷彩まで施してあると推定される空中要塞は、原始的だが目視が一番確実な捜索方法と考えられた。そのため原始人の狩猟生活の様だが捜索は日の出から日没までとならざるを得なかった。
空中要塞は常に積乱雲の中にあるという者も多く居たが、それは旧世界の複数の著名な創作物の影響による誤った情報らしい。旧世界が気象を左右できる科学力をも有していたとは伝わっていない。真実に近づくためには、高度に発達した情報化社会ではあった旧世界の残された膨大な情報を蒐集、分析しノイズとなる偽情報を識別し、振るい落とす作業が欠かせない。
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次の捜索ポイント近くまで空母(我が家)を移動させるには今度は少し時間が掛かる。その間に上さんに言われていた自宅の水道の漏れと壊れた電気のスイッチを直す時間が取れそうだ。
今日の夕食はご飯に味噌汁、野菜炒め。肉はないが昆虫食じゃないだけ、まだましか。夕餉の団欒で上さんに嘆かれる。
「最近、キャベツとか野菜の値段がすごく上がっているのよ。」
「この間、艀畑が1隻、船底に穴が開いて沈んじまったからなぁ。」
「えー。」
育ち盛りの2人の子供達が、船が沈んだと知って空母(我が家)も沈む!沈む!と騒ぐ。
-やれやれ。今月は俺の給料の大部分が食費になりそうだ。上さんのそれ程多くないパート代も当てにしなければならない。エンゲルさんもびっくりの事態になるだろう。
それにしても生きる為に本当に必要なもの-食べ物等の一次産品-は一次関数でしか増えない。農作物なら耕作面積×単位当たり収量×収穫回数。それも卓上の計算通りいかない。塩害等で数少ない収穫回がまるごと全滅したりする。
かつては金融業等の三次産業の方が花盛りで金融工学を駆使し指数級数的に利益を得ていた者もいたと聞くが、生き残る為に必要最小限の活動に絞り込まれたこの世界では、本源的要素から離れた金銭的価値は単なる紙切れ、いや単なる数字でしかない。
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補給の為に人類唯一の都市「街」に向けて進路を取る。「街」はかつて南半球と呼ばれていた地球の南半分にある大陸の、変わらず温帯気候となっている地の、とある湾に面した小高い丘に築かれていた。南半球が選ばれたのは、大戦やそれ以前の様々な人間の活動による汚染の度合が比較的に少なかったからである。
「街」に近づいてきた。近づくときにはひと際高い、街外れにある今は使われることが無くなった、それでも先の大戦の後にやっとこさ作られたものであった、赤い砂丘に半ば埋もれている宇宙船発射台が目印になる。
「街」には歴代の都市と異なる点が一つあった。
樹木が一本もないのである。先の大戦は地を隅々まで殺菌してしまったため、大地に草木はおろか苔一つ生えなかった。そのため、「街」の周囲には耕地一つない。「街」に必要な品々は沖合の小規模油田、湾内の埋立地から掘り出す旧世界の廃品、そして「街」の人々が日々排出する糞尿を元手に、「街」の麓、湾の周囲に蹲ったように広がる小黒い建物群「工場」で産み出された。
原子力だけでは空母打撃群の戦力、いや生活は維持できない。太陽光、風力等も活用されているが、人類が長く付き合ってきた火の力はどうしても必要だった。
「街」の沖合にある浮体式海洋石油・ガス生産貯蔵積出設備(FPSO)に接岸する。「街」に上陸したいが、最後の希望である空母に汚染物質を持ち込むことは固く禁じられている。少し前まではFPSOと「街」の間にミーティングスペースがあり、実際に会うことも出来たが、そこから持ち込まれた汚染物質に空母の一部区画が汚染されてしまったことがあり(除去に大変な労力が費やされたが結局、完全には除去し切れなかったと聞く)、以降閉鎖されてしまった。
またFPSOから眺める「街」が遠くなった。「街」の周りの赤い砂丘が帰港する度に高く、近く「街」に迫って来ている。
FPSOは寄港するたびに沖合に移されている。「街」が常に赤い砂の脅威に晒されているように、FPSOも汚染から逃れられない。FPSOの最上部、ヘリポート畑の収量が年々減少しているのは塩害による影響(その為に最上部に設置されている)でも、輪作障害でもないのは公然の秘密だ。
そういえば、どこから掘り出されたのか判らないがF-35のフライトシュミレーターも中間地点に設置されていたが、今は何処に移動させたのだろうか?
先の見込のある者は皆、空母に乗り込んでいるが、生殖能力を失うと船を降りる決まりになっている。そのため、「街」は老人だけで維持されている。
通信回線が接続され、親父と半年ぶりに会話する。中継基地局がないので、航海中は通信が途絶してしまう。何度か大容量通信回線を確保するため中継基地局建設の話が出たが、死の大地のあちらこちらにそれを維持する人員を配置すること自体が不可能な話だった。
「じいじだよ。」
久々に孫の顔をモニター越しに観れたので、目尻を下げて喜んでいる。子供達も
「じいじ。あのね。あのね。」
と大騒ぎだ。捜索等に忙しかった俺達夫婦はじじばばに子供達を預けることが多かったので、子供達はじじばばが大好きだ。そのじじばばも船を降りてずいぶん経つ。
親父も(お袋が亡くなってからより一層だが)大分老けた。ちゃんと食事を採っている居るのだろうか?女寡より男寡の方が生活が殺伐としている。「街」も、空母に物資を優先的に配分しているせいもあり、以前より荒れてきたようだ。
孫達が退席した後、近況をさりげなく聞いてみる。
「夜、何の気配もない戸外は寂しいものだ。」
大戦前の世界を知る親父は言う。
「昔は闇に息づく生き物の気配をそこかしこで感じられたものだが。」
人生も黄昏時を迎え、真っ赤な夕焼けの中に居るであろう親父は、近頃とみに寂しさを訴えるようになった。
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ほぼ1ヵ月ぶりのフライト。その間にトイレの水漏れは隣の家から配管工具を借りて直したし、リビングの電気スイッチも前とは違う部品になってしまったが、とりあえずON/OFF出来るようになった。なんてことを考えていると。
眼前の積乱雲の鉄床状に大きく広がる雲頂を凪の海のように舳先で蹴立てて進む、古の大陸のように巨大でナンのような形の人工物体が不自然に静かにその姿を現した。俺は自分の眼が俄かには信じられなかった。あんなに見つけ出したいと願っていたものがいざ自分の目の前にあるとHMDSに映し出された偽情報ではないかと疑ってしまう。でもそれは一時のことで俺は経験ある専門家として自分の心身を立て直し、司令部と次の段取り(ステップ)を協議する。
どれ程近づいても自衛システムが稼働するそぶりを見せないことから俺は強行着艦を主張する。その間にも空中要塞は想定を上回る速度で俺達から離れてゆく。空気が薄く馬力が出ないせいもあるが、F35Cの使い古しのポンコツエンジンでは追い付けない。これでも一番状態が良い奴を他機から引き抜いて(カニバリズムで)選んでいるのだが。それに引き換え空中要塞はエンジンがあるようにすら見えないのにどうなっているんだ。時間がないこともあり結局、強行着艦が受け入れられた。いずれにせよこの空中要塞の高度を下げないとMV-22Bオスプレイ等のF35C以外の空母艦載機が着艦できず、人員を送り込むことが出来ないから、戦闘機隊が先に空中要塞に乗り込む以外の選択肢はないと思うのだが。
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空中要塞は静かだった。
心配された攻撃どころか、人の気配さえもなく、空中要塞中央上部にある4千m級滑走路には無情な風が吹き抜ける。
俺は構えていた銃を下した。
一拍の後、銃を構え直して滑走路脇の格納庫から艦内に突入する。滑走路内に散開していた部下達も俺に続く。と言ってもスターウォーズ・エピソード4冒頭のレジスタンス達のように部下達の動きはどこかぎこちない。非常な危険を感じる。何しろ、繰り返してきた事前シミュレーションではここは大規模な銃撃戦が起こるところなのだ。だが、やはり何も起こらない。少し緊張が緩むと周りを観察する余裕も生まれてくる。
エアロックを抜け、重たいHMDS付のヘルメットを脱ぐ。小型とは言え酸素ボンベを抱えて駆け続けるのは結構しんどい。与圧区画の空気は常に蒸し暑い空母(我が家)とは別格で、とても心地よかった。外の凍てつく零下とは大違いだ。高度2万mの上空に居るとは思えぬ程、気圧・気温・湿度すべてが申し分なく、ほのかにラベンダーのやわらかな香りとインストルメンタルBGMが静かに流れていた。
が、無残だった。
通路で。部屋で。至るところで。兵士達が白く乾いたミイラとなって横たわっていた。
CBRNE対応もされた完璧な空調のため保存状態は良く、生前の面影を良く伝えている。皆、思いのほか安らかな表情だ。中には笑みを浮かべている者すらあった。
俺が、思わず手を触れると硬さはなく衣服もろとも骨までがサラサラと崩れ去り、細かな白い砂となってキラキラと輝きながら床に拡がった。それを見ていた女性隊員が短く鋭い悲鳴を上げ、その音と振動で遺骸が更に崩れた。
生けるものの姿など何処にもない。疫病でも、内乱でもなく、やがてそれは食料プラント破損による餓死であると知れた。食料プラントが使えない。非常に残念な事だった。プラントがないと今まで同様、露天栽培に頼ることになるので地表面から余り離れられない。それは汚染からも離れられないことを意味した。
気を取り直して、第一艦橋内に達すると何名かのミイラが居たが、艦長席に高い階級を示す制服に身を包み、キリッと背を伸ばした一体のミイラが傍らの幾つかのトグルスイッチを切るように右腕を少し伸ばした体勢で息絶えているのが特に目を引いた。手許を覗き込むとステルスや光学迷彩、空中要塞以外の他のネットワーク兵器群を含む自動防衛に関する-人間の憎悪に由来する-一切のシステムのスイッチが切られていた。
先の大戦後に地上が荒廃してゆく様を上空からただ眺めるしかないという地獄を経験し、最期に重大で正しい判断を下した艦長に向かって俺は静かに敬礼を捧げた。
-そう。人間はまだそれ程、捨てたものではない。
もう少し足掻いてみようか。