必然
私は小屋に戻ってきた。
(あんなに強い動物がいるなんて…この雪山ってかなり危険な場所なのかもしれないな…こんな所早く降りたいところだけど、まだ近くにいるだろうし、明日ぐらいになれば遠くへ行ってるかな?今日は一日静かにして過ごすことにしますか)
外気で冷えた体をまだほんのり温かい焚き火で温める。今日一日外には出ないとなると、どうするか。小屋の中の物で使えそうなものは確保したし、衣食住は実質解決した。
(うーん、あとやる事といえばこの体に慣れること…かな?)
今の私の肉体年齢は10歳になっている筈だ。ただあまり激しく運動すると外の奴に気づかれるかもしれないから、軽く体を動かすぐらいにしよう。
暫く自分の体を確かめたところ、特に変なことは無かった。もしかしたら、凍傷とかあるかもとか思っていたが杞憂で済んだのは良かったと言える。そしてここは異世界だ。なんか力んだら指先から火とか出たりしないかと思ったがそんなことは無かった。
しかし、発見が何も無かったわけではない。右の二の腕に312Hという文字があったのだ。
(何?この数字。312H?何かの番号?よくある実験体的な?いや、私をこの状況に落としたのはあのクソ役所なんだから管理番号の方が正しいのかな?腹立つな…しかももしかすると今も監視されてる可能性ある?)
「はあ…」
嫌な想像をしてしまった。
(確証なんて無い。無いの。この数字は何か他の違う意味を持っている筈。ネガティブな案は出したんだから、次はポジティブな案を考えよう。……そう、もしかしたら転生特典の有効期限とか?312時間ってことかも。とすると…あ、丁度13日になるのか。もし時間経過で数字が減っていたら確定かな)
寒いのですぐに服を着る。この数字に関しては明日になれば分かる。後は……あのスコップピッケルか。スコピ?スコッピー?うーん駄目だ、しっくりこない。ちゃんとした名前があるのならそれで呼べばいいんだろうけど、私知らないからなぁ。
「もういいや、お前の名前はトニーにしよう」
にしても、こんな小屋に明らかに鉱山とかで使われてそうな道具があるとは思わなかった。今は冬だから出払ってるだけで夏になると鉱石が採れるようなところがあるのかもしれない。
(トニーは10歳の体で振り回すには少し大きいけど、まあなんとかなるかな?あの鹿レベルじゃなくても今の私にとっては十分危険な動物がこの山にはかなり居そうだし…やっぱ最低でも牽制出来るぐらいにはなりたいよね…どうするか)
まぁどうするって言っても振り回すぐらいしか思いつかない。何もしないよりはマシだと思って素振り兼筋トレをして日中は過ごした。
そして、あの夜が来た。私にとってまさしく分岐点と呼ぶべき、あの夜が。
◆◆◆
タイネが山小屋へ駆ける。依頼が失敗した以上、あの遭難者だけが明日の糧だ。しかし、ある疑念が彼の中に生まれる。
(しかし何故こんなところに人がいる?単に無謀にも素材採取に来た薬師か?だが薬師単独で冬のアーグソン山脈の八合目まで来れるものなのか?あの小屋の中には他にも仲間がいる?…まあいい。本人に聞けば済む話だ)
獣型となったタイネの足でもアーグソン山脈で往復するとなると一日かかる。あの戦闘の後そのまま遭難者の確認に行けたら良かったのだが、生憎獣型のままでは人の言葉を話すことが出来ない。会話をする為に人型になればたちまち凍えてしまい、自分も遭難者の仲間入りだろう。タイネが山小屋に戻ったのは夜になった頃だった。
山小屋の扉の前に立ち、感覚を集中して室内の気配を探る。
(気配は一つだけ…か。やはり無謀にも単独で素材採取に来た人間か。だがありがたい。お前のお陰で明日の飯にありつける)
タイネが大声で呼びかける。
「誰かいるのか!」
気配は動かない。声も聞こえて来ない。
(…これは寝てるな。ぐっすりだ。まあ当然と言えば当然か。起きるのを朝まで待つか?いや、今度は俺が持たない。最悪担いで運ばないとならないだろうし、体力があるうちに回収した方がいい…よな?)
タイネが山小屋に入ろうと扉に触れる。その瞬間、重苦しい何かが体に纏わりついたような感覚が襲う。しかし、それは一瞬で霧散する。
(…何だ?今の感覚は。重油の混ざった泥水でも被ったような…?この小屋に獣避けの効果でも付与されているのか?一部の獣避けには獣人にも効果が出てしまうものがあると聞く。最近は減っているようだが、こんなところに小屋を作るのなら多少強力なものを使っていても不思議じゃない…か)
タイネが扉を開く。すると、先程とは比較にならない様な重苦しい空気が全身を包む。
(何なんだ!この空気は!雰囲気とかじゃなくて最早物理的に重いぞ!?遭難者は無事なのか!?)
視界の端で何かが動く。どうやら厚手の布を被っているらしい。室内の重い空気のせいで駆け寄るのも一苦労だ。
「おい、大丈夫か!助けに来てやったぞ!」
布の少し角張っている所、恐らく肩であろう所を掴んで揺らす。
「ん………?」
どうやら起きたらしい。声と背格好からして11歳そこらの少女だ。そんなにすぐ起きるのならもうちょっと早く起きてくれ、と内心舌打ちしながら後ろを向き、背から下ろした荷物から人型のままで山を降りるための道具を取り出す。
「俺は仕事屋のタイネだ。お前を助けに来た。今すぐ山を降りるぞ」
「……え?今から、ですか?」
「そうだ。今すぐにだ。文句は言わせない」
準備を終えたタイネが少女の方を向く。
「まずはこの縄でしっかり俺とお前…を……」
……何だ。こいつは。
目の前の少女には眼が無かった。そしてその穴からどぼどぼと黒紫色の瘴気が止めどなく流れ出ていた。この世全てに絶望した者の成れの果てのような姿であった。
タイネにはもう少女を救助する気は起きなかった。