93:それはまるで……
それはまるで土石流の痕。
圧し折られ、なぎ倒された木々が真一文字を描いた。
見遣るその源流。
それはまるで荒ぶる暴風を圧縮した塊。
生じた大気差により光を屈折させ、無色透明であるはずの空気が淡く揺らぎ渦を巻く。
大気分散を確認できるほどの超高密度の奔流。
見遣るその中心。
それはまるで揺らぎ立ち上る蒼炎。
2つの蒼い光が陽炎のように揺蕩う。
次の瞬間。
『バッシュ』
擦過音。
風が【防壁】を叩いた。
先ほどの颶風に比べれば軽いジャブのような。
しかし、その損害は甚大。
眼前の【防壁】が砕ける。
障壁は薄氷のように形を崩した。
「「ッ!」」
「【重縛牢】」
息をのむ音がしたと同時に発動する広範囲【重力魔法】。
渦の周囲が『ミシ』と音を立て歪む。
倒木がひしゃげる中、渦巻いていた奔流が弱まったように見えた。
「さぁ用意はいいかい? 手筈通り頼むよ」
軽く【防壁】を突き破る攻撃にも、まるで意に介さず言ってのける。
あくまでも冷静に、いつも通り涼やかに。
「ッ! 【防壁】【剛風衣】! 次が来るわよぉ!」
「わ、分かってらぁ! 【蜂蝶舞踏】」
「あっ! えっと、いっくよー 【春風円舞】」
切り裂かれた防壁を繋ぎとめつつ、パーティに風属性軽減を付与。
スキルにより【頑強】と【敏捷】を強化し、さらに奏でる三拍子が【敏捷】範囲バフを付与。
【統率】アビリティによる恩恵か、はたまた信頼によるものか。
気圧された姿は直ぐに鳴りを潜め、パーティは回り始める。
「遅れんなよイデアル! シッ!」
「先走り過ぎだよ。ルスカ」
ほぼ同時に【防壁】から飛び出した2つの影。
「【土薙】!」
追い越すのは速攻魔法の牽制。
呼応するように動きの鈍っていた渦が蠢く。
だが、動けない。
それは重力魔法と土魔法で足を止め、回避不能の連撃を叩きこむ十八番。
選択したのはインファイト。
同時に迫る拳と剣。
「うらぁ!」
刹那。
空を切る双撃。
「なにっ! 消え――」
いや、これは――小さい。
【敏捷】を上乗せした視界が辛うじて捉えた。
眼前で消えた大きな塊を形作っていたのは、小さな個体だということを。
渦は擬態。
小さく老獪な魔獣が用いたのはフェイク。フェイント。
生み出されたコンマ数秒の空白。
晒されたのは致命的な隙。
『賢狼』が逃がそうはずもない。
『ゥオォォン!』
大きなマナの煌めき。
叩きつけられたのは強烈な上昇気流。
聴覚が風鳴りを感じた時にはキリモミ状に弾き飛ばされる。
削ぎ取られた血飛沫が舞う。
「ぐぅっ【重壁】」
すぐさま自らに科す荷重。上昇と回転を止める。
辛うじて戦線離脱の危機をリカバー。
「がぁっ! うっらぁ! いってぇな! んっ」
文句を口にしながらも、すぐさま空中で体勢を整えた。
「効かねぇぞこの野郎!」
下方に飛ばす挑発。
しかし、そこに姿はない。
「あぁ? どこだ! あ゛?! 【空歩】! イデアル!」
「ッ! 頼む! 【重槍】!」
「ぐぎぎ!」
背に受けた重力魔法。
生まれたのは猛烈な加速。
弾丸の如き速度で目指したのは【防壁】に迫る魔獣。
いともたやすく潜り込まれた陣形の内部。
――狙われたのは後衛
剥きだした牙。
ジグザクに迫る蒼瞳が煌めく。
凄まじい擦過音の風の砲弾が【防壁】を抉る。
通り抜けた風刃が皮膚を切り裂いた。
「わわっシトゥおねがーい」
「くっ【烈石弾】!」
『ゥワウ!』
『お見通し』とばかりにひらりと躱された飛礫。
『お返し』とばかりに煌めき始める大量のマナ。
迫るは白狼と死の気配。
選択したのは極近距離の超火力風魔法発動。
「させるかよぉおお!」
『!!』
魔獣の背。
届いたのは文字通り砲弾のような剛腕。
爆砕する朱紅のガントレット。
土埃が舞い視界が途絶えた。
◇
鳥や獣のざわつきが遠ざかる。
湿気を帯びた土埃はすぐに落ち着き、その変わり果てた景観を晒した。
そこは爆心地を思わせる歪なクレーター。
「قوية لمنع الرياح【剛防壁】! 助かったわ。ルスカ」
「あー背中の方がひどいよー痣になってるー【治癒】」
「んっ! はぁはぁ 雑なんだよ! ペイリ!」
軽口を叩きながらも隙は見せない。
自然と陣形を整える。
その脇、ふわりと降り立ち、落ち葉を踏みしめた。
「……まさか、今のも躱すとはね」
イデアルは感嘆の声を漏らした。
視線の先は、汚れすら付いていない白狼。
1分にも満たない攻防にて悟った。
一筋縄ではいかぬ相手だと。
短縮詠唱、体術連携、支援魔法、スキル。
恐らくどれひとつ欠けていても、深手を負っていた。
それは魔獣とて同じ、渾身の不意打ちで瓦解しなかったのだ。
大して戦況が変化していない今、どちらの手札が先に尽きるかの賭けに出るには早すぎる。
それを知ってか、唸る魔獣にも動きはない。
訪れたのは均衡。
「……流石は『守り神』ということだね。――でもそのお陰で捕捉できた」
――【反重力牢】
向けられた手のひら。
静かに紡がれた言霊。
融合魔法の【重力魔法】。
その上級魔法の短縮詠唱。
さらにユニークスキル【標的詠唱】の合わせ技。
まるで常人が到達し得ない絶域。
1級冒険者たる所以の絶技は、出し惜しむことなく放たれた。
爆発的に広がるマナの煌めき。
いや、煌めきと呼ぶには暗すぎる。
それはむしろ光を侵食するかのような領域。
膨大なマナとは裏腹に出現したのは小型の球体。
発動前にその場から高速移動していたはずの白狼を覆っていた。
『ウワゥ!』
体当たり。
噛みつき。
炸裂する風魔法。
暗い牢獄の中、猛烈に反抗する。
纏うマナの障壁は強固に暗闇を拒む。
しかし、徐々に遠ざかる音が隔絶されていく空間を物語っていた。
『グゥウ! グッ……』
ドクンと跳ね、暴れていた白狼の動きが止まった。
次の瞬間、体組織すべてが内側から膨れ上がるように膨張。
逆立つ毛並み。裏返る瞳孔。
変化は一瞬。黒球が割れる。
響いたのはドサッと落ちる音。
現れたのは膝を折り倒れる白狼。
絶大なダメージが及ぼされたことが荒い呼吸と喀血となって漏れ出ていた。
「ッ! 早くルスカ! 今よぉ!」
「分かってらぁ!」
虚ろな蒼瞳に映るは迫りくる剛腕。
持ち上げようとした前足が力なく折れ、練り上げるマナの速度は目に見えて遅い。
間に合わない。
閉じた瞳。
その瞼の裏に映るのは悔恨か走馬灯か。
『カチッ』
鋭敏な聴覚を備えた大きな耳に響いた。
破砕音でも衝撃音でもなく、まるで何かがはまるような音が。
違和感。
蒼瞳が開く。
違和感。
取り巻いているはずのマナが弱い。
違和感。
感じたのは首元。
白狼が知りえないそれは、まるで囚人がしているような拘束具。
『拘束』が付与された首輪。
齎すのは呪いにも似た弱体化と【痛撃】による絶対的な支配力。
それを知らずとも賢狼は悟った。
響いた音は、戦いの終わりを告げる鬨の声だったのだと。
◇
「やったーやったね!」
「へっ! 大人しくなりやがってこいつ。温まってきたとこなのによ。てんで大したことなかったなっ」
雑に抱えられた小型の魔獣。
四肢はダランと力なく垂れ下がっていた。
「まったく。イデアルの魔法のお陰じゃないのぉ ねぇ? ……どうしたの?」
その涼やかな目元には焦りと疲労が浮かんでいた。
「……分からないかい? 彼がいなければ今頃ぼく達は文字通り空の上だよ」
寝かされた迷宮技師を見遣り、天を指さした。
「「??」」
「白狼(この子)がその気なら最初の一撃で周りの土壌ごと吹き飛んでいたよ。――彼が傍に居なければ」
「……手加減されていたとでも言うの? ただの魔獣に」
「そのただの魔獣は、なぜあの時君達に近づいたのだろうね?」
「それは……擬態を使うぐらいの知能があれば――」
「そうだね。その風魔法と知能があるなら、この子は近づく必要はないよね。……シトゥ。君達に向かったのは同じように吹き飛ばして、その隙に彼を連れて逃げようとしたんじゃないかな」
「「ッ!」」
思い返せば、この白狼は追い打ちをするのではなく即座に後衛を狙った。
しかも、その必要がないのに近づいて。
「「……」」
『その時に背を向けてくれなければ、【標的詠唱】でも捕捉できなかったよ』とイデアルは苦笑いを浮かべる。
「まぁ僕たちも余り傷つけないようにしてくれたのだろうね。……本当に賢い魔獣だ。第一に彼を守ろうとしたんだよ」
守ろうとした者の隣、丁寧に丁寧に横たえられた『神獣』。
向けられた視線は、もう蔑みではなかった。
身動ぎもせず伏せる白狼。
ふと、その大きな耳がピクリと動いた。
「さぁ、こうしちゃいられないよ。早く準備を――そんな……早すぎるっ」
差し込む陽光に白銀が閃いた。
――覚悟は出来ているのであろうな




