92:どういう風の吹き回しだい?
「どういう風の吹き回しだい? こう言ってはなんだが、協力的じゃあないか」
そう言ってイデアルは釣り竿を傾ける。
太めのラインが跳ね上がり、頭上を通り過ぎて、クンと伸びきる。
タイミング良く振り下ろした竿がピタリと10時で止まった。
細いハリスは正確に大岩の落ち込みを捉え毛鉤を運んだ。
これはテンカラ。
ラインの先に毛鉤という非常にシンプルな構造。
だからこそ狙った場所に流すように、水面を叩かず乱さずってのにコツがいる。
でも筋がいい。
しかも立ち姿も様になってる。
ふざけやがって。
イケメンは何でも絵になるってかぁ? おー?
「どうかしたかい?」
「ああ、いや魅力的な依頼内容でしたので」
「……助かるよ。頑張ったけれど、ぼく達だけでは見つけられそうにないからね。流石は『神獣』と言われることはあるよ」
そう。
語られた依頼内容は『魔獣ヴィントの捜索』。
要は白犬たちを見つけて欲しいというものだ。
長期間の捜索でも何も収穫がなかったから、藁にも縋る想いで『神獣に助けられた』という噂にまで依頼が来たわけだ。
そりゃ数百年の間で『見ることすら困難』の幻に数週間で挑むのは、余程持ってるかどこぞの探検隊にお願いしなきゃ無謀というもの。
もちろん興味本位で会いたいなどと言っているわけはなく討伐か捕獲か、何か別の目的があることは間違いないだろう。
そして今のこの現状こそドンピシャでシェフィリアさんの予測が当たってしまったと言える。
以前の山火事騒ぎは恐らく追い立てて捜索する作戦とかだろう。
しかし3バカの暴走で火まで放ったから明るみに出てしまった。
たったそれだけでシェフィリアさんは指名依頼の増加などの少ない情報を整理して、噂の『神獣の使い』にまで危害が及ぶと考えた。
だから慣れない一芝居まで打って、グロイスから遠ざけようとしたと。
いや……気が利くけど不器用すぎん?
いくら『推測の域をでなかったので』って言われても、説明してくれれば何とでも協力したのに。
あぁ……その危険と迷惑を掛けたくなかったのか。
確かに放火して殴りかかってくるような奴らに近づきたくはないよなぁ……
「おっ来たよ」
ふわりと舞う毛鉤に水面が跳ねた。
鋭い合わせ。
撓る竿、ピンと張るライン。
顔を出した魚影。
巧みな竿捌きでラインを操る。
決して緩すぎず、それでいて強すぎない力加減。
魚の進行方向に合わせて、くいっと首を持ち上げる。
しかし、強引に持ち上げるのはここまで。
エラまで水面に浮かせる程度で止める。
すーっと滑らすように引き続ける。
激しく暴れることなく、岸に寄せられる美しい魚体。
持ち上げられると、思い出したように体をくねらせた。
「ふぅ、楽しいものだね。魚釣りって」
「……上手いものですね」
「いやあ、先生が良かったのさ」
なんだこの気のいいイケメンは?
ふざけやがって――
……いや、もう強がるには無理がある。
こんな状況になっていなけりゃ釣り友に成れていたかも知れないと思ってしまっている。
ただ、段取りはもう始まった。
途中で辞めるわけにはいかない。
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「な、なぁシトゥルーナ……おれは『ほんとにこんなんで捕れるのか』って言ったんだよな」
「そうねぇ……あまりにも魚が食いつかなった時ね」
「じゃあアレはなんだ? ……魚を探してるってことでいいのか?」
『見て来ますね』と言って離れたあいつ。
『ちょっと遅いし、この開けた場所で鳥の魔獣にでも襲われてやしないか』と近づくと、聞こえてきたのはゴボゴボという不審な音。
恐る恐る覗き込むとそこには川中の岩の上に寝転がり、川の中に頭を突っ込んでいる異常な男の姿があった。
時折上流、下流にと頭の向きを変えるその動作は、それ以外の理由など考え付かない。
「そうねぇ……川に頭を突っ込む理由なんて他にないと思いたいわ」
「今度こそアレは拘束腕輪が誤作動してるのか……?」
「……いいえ。そもそも命令していないわ。その可能性は無いわねぇ」
「じゃあ、まさか魚人種の血が混じって――」
「……エラは見当たらないわ」
「こっちじゃ川に頭を突っ込んで洗う習慣が――」
「……ないわ。……ルスカ。やっぱり悲しいけれど」
「じゃあ、あれは……」
「……えぇ。ああいう悲しい結果も受け入れなければ……」
「あぁ……お、おれは……あいつに何ができる……」
「……ルスカ」
「……あっ! あいつはいつからあれを?!」
いつの間にかゴボゴボという異音が消えていた。
川底を見つめた男は動いていなかった。
「ッ! かれこれ10分以上……?」
「あのバカ野郎!」
超高速で一足飛び。
慌てて抱き起した。
「おい! 無事か?! シトゥルーナ【治癒】を!!」
「だぶべ、だびぼうぶでぶぼっ」
目がバキバキになりながら鼻から水を吐き出した。
ただ、声にならない声には興奮が見て取れた。
「えぁ?! し、心配かけさせんじゃねぇ!」
「静がに! ばっロショオはばぞごに沢山いましだよっ。だの岩の下っ」
「冷てっ! んっ/// お、おい! 水を飛ばすなって///」
「ぼら早ぐ腰を落として! 竿を持っで!」
「んっくふぅ こ、こうか……?」
「ぞうぞう! で、ごうやってこうでず!」
「んっ み、耳元でしゃべるなっ あっ来たっ!」
「……案外お似合いなのかも知れないわねぇ」
釣果に喜ぶ影が水面に落ち小魚を散らす。
さわさわと風が吹き抜ける川辺に、大きな歓声が上がっていた。
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「骨取ってやる」
「え……いいです」
「ほら、遠慮すんじゃねぇ」
いやいや、怖い怖い。
塩焼きぐらい好きに食わしてもらいたい。
昨日までのルスカの感じだったら、俺の上腕骨でも分捕るのかと思ってしまう。
しかし、目の前では分捕った串から甲斐甲斐しくロショオの骨を取り皿に取り分けてくれている。
以外に器用に丁寧にやってくれているな……
なんか急に懐かれているというか、世話を焼かれているのはなんなんだ……
今朝だって最早グランピングかと思うほど快適だったはずの寝床から『クソ暑ちいぃ』と目覚めると、隣で寝てるしさぁ。
周りを見渡して見てもなんか『微笑ましい感じ』で見られてるもの。
どうしてこうなったか全然分からないもの。
誰も何も言わないってことはそっとしておいた方がいいのかぁ?
も、もしかして昨日ぶっ飛ばしてめり込んだアレで……?
だ、大丈夫だろうか……頭とか打って……うっ、優しくしよう……
「ほら……食えるか?」
「あ、どうも」
「あっ待て、熱いから冷ます」
えぇ!? 熱いのがいいんじゃないか……
身をほぐしてる間にそこそこ温くなってるだろうし……
いや、ここは我慢、我慢だ。
「え、えぇ……じゃあ……お願いします」
「ふぅーーふぅーー、ほら口開けろ」
「いやー……それは流石に自分で――むぐぐっ」
「どうだ?」
「……骨もないですし、熱くもないです」
熱くもないけど、味も良く分からねぇ。
ナニコレ?
恥ずかしいし、それ以上にフォークぶち込まれるのが怖えもの。
「よし。ふぅーーふぅーー」
まだやるのか……怖え……
おままごとのぬいぐるみはこんな気分だったんだなぁ……
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古木をへし折ったようなくぐもった鈍い音。
劈くのは短い叫び声。
空中に磔にされたように動かない五体。
ゴリゴリと水っぽい破砕音を響かせて、新たな関節を作った上腕だけが糸の切れた人形のように垂れ下がった。
赤色がジクジクと戦服を侵食し始める。
そのうかがい知れない戦服の内側。
圧し折れた骨が皮膚を突き破り、赤黒く染まった組織を露出させた。
こびり付いた組織は損傷した筋繊維か。
指先からは鮮血が流れ落ち河原の砂利を染める。
聞くに堪えない呻き。
見るに堪えない悶絶。
しかし、涼やかな瞳は逸らすことなく真っすぐ見つめていた。
「イデアルてめぇっ!」
「すまないね。これは『仕事』だ。言い争っている時ではないんだよ」
「だからって!」
「ルスカ。珍しいじゃあないか。情でも移ったのかい?」
「ッ! そんなことは……ねぇけど……」
「なら話しかけないでくれないか。……無駄にしないためにもね」
有無を言わさぬ言葉。
いつも通りイデアルは淡々と仕事をこなしているだけ。
拘束腕輪の【痛撃】を使わないのは、修復不可能な『魔経絡』を傷つけないというせめてもの配慮だ。
それを分かっているからこそ口を挟む者はいなくなった。
しかし苦々しく唇を噛んだルスカの態度に現れているように、『脆弱で善良な無抵抗の人間を痛めつけるという行為』を良しとする者もいなかった。
『仕事だから』という言葉を免罪符にしてきた彼女らにとっても、その光景は腹に据えかねた。
『焼き魚の寄せ餌』、所謂『神獣』との遭遇時の再現は徒労に終わり、ゆったりと過ぎる心地よい時間は、突如として『重力魔法』による血生臭い拷問へと変わった。
行動理由はすぐ理解できるほど単純で明快。
――この男を『寄せ餌』にする
『神獣に助けられた』なら、もう一度『助けられる』状況を作ればいい。
それは実に理にかなったプラン変更。
「あぐっ……はぁはぁ……もう……こんな……ことしなくても――あっがぁああああ」
言葉は新たな関節の出現によって絶叫へと変わる。
「恨んでくれて構わない。完璧な治療と報酬の上乗せは約束するよ。……すまないね。諦めるわけにはいかないんだ――」
――君には分かってもらえるだろう
再度投げかけた言葉。
しかし既にその声は届いていなかった。
そこには意識を手放し脱力する姿。
「仕方ない。もう一度――っとその必要は無くなったようだね」
突如として吹き抜ける突風。
木の葉だけでなく、根ごと捥ぎ取られるほどの颶風。
「ッ! 【防壁】!」
「【九重】!」
即座に【防壁】を地面に押さえつけ、気流に耐える。
「でたっ! でたよ! ほんとに出ちゃったよー」
「これは……やべぇな……」
目を細める。
しかし、目視で確認するまでもなかった。
不意に飛び散る破片が落ちた。
それは気配などと些細なものではなく、威嚇などと悠長なものでもない。
存在そのものを圧し潰すような圧倒的強者が放つ【威圧】。
叩きつけられたのは暴力的なまでの存在感。
砲撃痕を思わせる破壊の先。
旋風を纏った蒼眼が顕現していた。




