90:な、なぁシトゥルーナ
「な、なぁシトゥルーナ……おれは『壁にでも話してろ』ってイデアルに言ったんだよな?」
「そうねぇ……『ルシアナ病』の余波がこちらにも飛んできた時ね」
「じゃあアレはなんだ? あの野郎は何をしているんだ?」
『トイレとこのままじゃ寝苦しいんで水浴び』と言って離れたあいつ。
『ちょっと遅いし、この薄暗い中で木の魔獣にでも襲われてやしないか』と近づくと、聞こえてきたのは不審な声。
恐る恐る覗き込むとそこには魔物避けランタンが映し出す奇妙な光景。
虚空に向かって話しかけ笑う哀れな半裸の男の姿があった。
『――そう……仕方な……それで……高額……すね』
『――えぇ……難しい……いや……ですよ』
『――ははっ……いやそれは…………ね』
「見る限り、木に向かって話しかけているわねぇ」
「アレは拘束腕輪が誤作動でもしてるのか……?」
「……いいえ。それに木は壁じゃないわ。その可能性は無いわねぇ」
「じゃあ、もしかして木の言葉を理解する人間が――」
「……普通の木は意思を持たないわ」
「こっちじゃ夜の森で木に話しかける風習が――」
「……ないわ。……ルスカ。悲しいけれど」
「じゃあ、あれはやっぱり……」
「えぇ。重症による影響か、はたまたその後の『ルシアナ病』に当てられたか……いずれにしても、ああいう悲しい結果になってしまったのよ」
「あぁそんな……お、おれはそこまで……」
「起きてしまったことは変えられないわ……今はそっとしておいて上げましょう」
「うぅ……おれ、あいつに優しくするよ……優しくする」
「……おいでルスカ、いい子ね」
欠けた月に照らされた2人の影が寄り添いながらテントへと伸びる。
哀れで滑稽な一人芝居はしばらく続いていた。
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「ぶぅっとばしてやるのですー!」
「ディーツー?! ちょっ静かに……待って待って! いきなりすぎて着いてけない!」
「どいてっおにいちゃん! あいつら――」
「ちょっそれやっば! ほんと待って!」
デカいボクシンググローブをグルングルンと回し突撃するディーツー。
急いでワイヤレスイヤホンをしまい、どうにか体を張って受け止める。
「ふぅふぅ、今のわたしはスラム上がりのボクサーです! やっちまってもいいライセンスを持っているのですぅ!」
「なんのアレだそれ! そんなライセンスはないですよ!」
「画像資料にあったのですぅ! 放してくださいっ! おにいちゃんにあんなことしてっ! 薄情なケーヴィにはもう頼らないのです! 直接ぶっ飛ばしてやるんです!」
「ゴッリゴリの武闘派だ! 脳筋の考えだよ!」
「はぁふぅ、レバーにえぐり込むように打ちこんでやるのです!」
「しかも悶絶するヤツだそれ!」
『段取り始めるかぁ』とテントから離れていたところ、光の中からヘッドギアとデカいボクシンググローブを装着した『タンクトップボクサー』が表れた。
細腕に似合わないグローブ姿は、まるでレトロなボクシングゲームのそれだ。
「0.5秒以内に打ちこんで意識の外からぶっ飛ばしてやるのですぅ!」
「そ、そうですかー。はいはい、いい子、いい子」
「ふあぁ、今なでなではやめてくださいっ」
「実はぶっ飛ばすより、お願いがあるんですよ」
「お、お願いですか? ふあぁ、なんでしょう? あっ、今はダメダメ! ぶっ飛ばすのですぅ」
「はいはいー。ディーツーにしか出来ないことなんですよ」
「わ、わたしにしかっ? ふあ、任せてください! わたし仕事は早いんですから!」
なんだかんだでそこそこ長い付き合いだ。
最近ディーツーの扱い方が分かってきた気がするな。
「はっ! 何か失礼なこと考えてませんかっ?」
「い、いやいや。そんな事は……」
「ほんとですかっ? あっ」
「えっどうしました?」
「言い忘れていました……本当に無事でよかったのです」
散々暴れまわっていたグローブが背中に回された。
少しだけ荒んでクサクサして絡まっていた心がゆっくりとほどけていく。
まるで見抜かれていたように、何の気負いもなく自然に。
……なんだかんだ長い付き合いだもんな。
俺の扱い方を心得ているのかも知れない。
「……えぇ。心配かけましたね。ディーツー」
「……うん……ぁっ」
小さく漏らした吐息。
「今度はどうしました?」
「……グローブ外してくださいぃ。うまくぎゅってできません」
締まらないなぁ……
まだまだだな。お互いに。
◇
「本当にそんな物でいいんですか?」
「えぇ。こんな感じのヤツできますか?」
「既に機構は確立していますので、0.05秒程度あれば……はい、どうぞ」
光に包まれたディーツーの手のひらには何かが既に出現していた。
明らかに邪魔そうだったヘッドギアとグローブは既に光の中に消えている。
本当に仕事が早い。
表れたのはネックレス型のアクセサリー。
モチーフはシンプルなティアドロップ。
でもそれはメモ帳で簡単にデザインしたヤツより精密で何倍も洗練されている。
まるで頭の中のデザインがそのまま……ケーヴィ? まさかお前か?!
やはりどこかで腹を割って話すしかないようだ。
「……ありがとうございます。ケーヴィにもお礼を言っておいてください」
「いえいえ。でも、そんなの何の役にも……」
「いやいや。めちゃくちゃ助かりますよ。お礼と言ってはなんですが」
『倉庫』から取り出したのは皿に積みあがったカラフルなサイコロ状のモノ。
「……これは? はぁ! すごくいい香りですっ」
「こっちが『バレーガアイス』。カラフルなのが『モーリーミルクたっぷり自家製フルーツアイス』です。スプーンでパクっとどうぞ」
「で、では……っんーーーー冷たくて甘くて溶けたのですっ!」
フルーツアイスを頬張るとこれでもかと目を輝かせた。
「ドーパミンが暴れています! ぼ、暴力的なおいしさです! これを『なめらかな舌触り』というのですねっ! うぅぅ……おいしいですぅぅ」
「何も泣かなくても……そっちは『振動攪拌』してるから、滑らかなんですよ」
「ごくりっ。も、もう1つ……」
「ふふっ全部どうぞ。まだあるのでケーヴィにもお土産にしましょう……それに今も作り続けてますから」
「ぃやったー っんーーこっちは甘酸っぱいですねっ っんーーこっちは上品な甘さってやつなのですぅ!」
「あっそんなに一度に食べると――」
「おいしいですぅ! あ゛! おでこが……痛い? これが『痛み』ですか? 12%ほどの痛みを感じていますっ!」
「ほら、ゆっくり食べないと痛いですよ」
「ん゛ん゛ー、ですが病みつきになるおいしさなのですっ っんーーーおいしいっ! はぁ! 痛みが17%になりましたっ! あ゛ぁいたいのですっ! でも手がとめられません! 痛みより欲求が勝っているのです! こ、これがあの『ドM』なのですね! 確か『旦那が仕事中にドMな若奥様のア――」
「キワモノ過ぎるって! ケーヴィしっかり見張っとけよ! ディーツー違いますからね! ゆっくり食べないとあげませんよっ」
「??」
◇
「もう一度言いますが『ボス討伐』はダメですよっ! いいですねっおにいちゃん。ふぅ……以上、緊急連絡でした」
大きな身振り手振りの『タンクトッパー』は説明を終えた。
「……ど、どうでしょうか?」
「あっ感想ですか? あっはい。そうですね。感想としては、『人間、辞めはじめました』って感じです……ね」
今まで頑張って体重を支えていた膝から『ガクン』という断末魔が聞こえた気がした。
「あっあぁ、どうしたんですかっ?」
「『呼吸が必要ないほど心肺機能を強化した』ってどういうことですかっ」
「あっえーと、この場所の酸素濃度にも起因していますが、呼吸を介したウィルスや毒などの『自己修復』以上の継続破壊を除去するためです。本当にマズイ時は自動で『無呼吸モード』に切り替わるから安心してください」
「無呼吸に切り替わるって、怖っ……もっとこう何ていうか【力】や【魔力】を強くするとか有ったでしょう!」
「そ、それは肉体を、その……アレしないとダメだったのです。……具体的にはまず1回潰して――」
「あっもういいです! ごめんなさいっ」
おっけぇアレしないでくれてありがとう!
ギリギリまだ人間ですっありがとうっ!
「……よ、喜んでもらえませんか?」
「いや……その……嬉しいです……ありがとうございました」
「本当に喜んでもらえましたかっ? 明らかに―― ん? えーとなになに『水中の世界を眺めるのも悪くないのでは?』ですって、あっ確かに水の中でも――」
煤けてボケていた脳裏に『シャキーン』という復活音が聞こえた気がした。
「っナイスだディーツー! っはぁー! いやほんと最高! いやーそもそも呼吸とか要らないですもんねっ! 意味分かんないですもんね呼吸なんて。うんっ心肺強化最高!」
「え、えぇ? ふあぁ、えーと、良かったですねっ」
早速『清浄のスカーフ』を外す。
ありがとうメルさん。これは大事に取っておこう。
すぅぅっはぁー。
空気が美味いったらないもの。
肺だけじゃなくて五臓六腑に染み渡って来てる感じだもの。
もう出来得る限り早く王都行きたい。
美しい水中の別世界に思いを馳せる。今日は良く眠れそうだ。




