85:広野を抜ける
第4章開始
広野を抜ける幅の広い道路。
避暑地へと向かうその道は多くの車に溢れている。
異常に速い貨物車を見送るのは、ゆったりと進む魔獣が牽引するキャラバン。
遅速混在していても渋滞になることなくスムーズに流れるほど道幅は広い。
チリチリと日差しが差し込み、遠くに目を向ければゆらゆらとした逃げ水が夏の最高潮が近いことを知らせてくれる。
窓を開け、暑い日差しの中に一時の涼しさを味わいながらの運転が続く。
そんな中、さながら宇宙空間におけるボイドのようにぽっかりと空いたスペースがあった。
その中心。
レンタル会社のロゴが大きくプリントされた車が走る。
「ペイリ! ち、ちゃんと運転しやがれ! うっ……おべろろろろろ」
「あら凄い……まるでテッポウラクダね」
「うぐぅ……なめてんのかシトゥルーナァァ! なんでてめぇは平気なんだよ!」
「品性の差じゃないかしら」
「関係ねぇだろ! うおべろろろっ うぅ覚えてやがれぇ……ペイリもふざけんなよぅ」
「おべろろろー……って王国の車、操作難しいんだもーん」
「やめろ似てねぇから! お前が運転したいっていうから――あぁっ、ばっかやろう! 前見て運転しろぉぉ」
「あ゛っ」
次の瞬間、『キュルルルル』と凄まじい擦過音を放ち、どうにか目前に迫ったキャラバンを躱す。
高速で通り過ぎた場所からは悲鳴が聞こえ、それもすぐに後ろに飛んでいった。
「ふぃぃ。えっへへ。あっぶなかったねー」
「あぶねぇじゃねぇ! ちゃんと運転しろって言ってん……うっおえ」
「ルスカ良かったじゃない。打ち止めね。でも誰のせいでこんなに急いでいると思っているのかしら?」
「う……それは悪かったって言ってんだろ……」
貨物スペースを振り返り、ガシガシと乱暴に頭を掻く。
弱り切った緋色の瞳には、反省の色が浮かぶ。
「ふふっ。まぁいいわ。それにしてもペイリ、あなたよくそれで免許取れたわね」
「うふふ。それはねぇ……ちょちょいっと演奏したら貰えたのー」
「「……えっ」」
「えっへへ。やっぱり車も楽器も『ハート』なんだよねっ!」
「お、おい待てっ! すぐ止めろっ!」
「ま、待ちなさいペイリ!」
「さぁ盛り上げていくよぉ!」
加減速を繰り返し、蛇行し飛び跳ね、3次元的に揺れる。
そして窓外に叫び声と何かを吹き出しながら走る車が周囲を遠ざけていく。
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「『安眠魔導具の暴発』、『ミュゼコアの不始末』、『住民が眠る怪事件』か」
追っていた文字に落胆したように、新聞が静かに置かれる。
その机の上には、既に数枚の既読した新聞が畳まれていた。
「行方不明の証言も見たっつう致死量の血痕も見事に無かったことになってるな」
「不用意なことは書けない、ということでしょう」
「まさか白昼堂々、それもわざわざ面前で犯行に及ぶか? って考えるわな」
「それだけ切羽詰まっていた、ということでしょう」
「おいおい。『広範囲状態異常スキル』を使うほどか? バレたら国際問題じゃねぇか」
「バレない自信があった、もしくはバレても良かった、ということでしょう。――当事者達は王国籍ではありませんから」
「王国法じゃ限界があるっつうことか。くそっめんどくせぇことになりやがった」
壁に並んだ数々の刀剣がマナ灯を鈍色に反射する。
私物化されてしまったギルド支部長室には沈んだ声が響いている。
この部屋の主、ガノンは空気を振り払うように嘆息した。
「ふぅ……話は分かった。遺体の捜索も視野にいれて『捜索クエスト』を出す、『2級以上の冒険者』、でいいんだな?」
「はい。どうかよろしくお願いいたします」
「あぁ。体が鈍ってたとこだ。任せろ。……それで、こんな調子っつうわけだ」
沈痛な面持ちで下した視線の先には、ソファに顔を埋めるように横たわった者がいた。
重力の赴くまま乱れた長い緑髪からは長い耳がちょこんと覗く。
部屋に入ってすぐに固定されたその姿は泣き疲れたようにも、不貞腐れたようにも見える。
規則正しく上下する背中に僅かに呼吸を感じる程度で大きな反応はない。
「……はい」
「がっはは。それで、そんな調子っつうわけだ」
「なにか?」
「少しは落ち着けって。皆が怯えちまう」
指さされたのは壁に飾られた刀剣。
その中、いくつかの刀身に寒々しい輝きが宿っていた。
「……失礼、いたしました」
伏せられた視線と共に、キュっと握りしめていた黒手袋が緩んだ。
ずいぶん前から漏れ出ていた強大なマナの反応が消える。
「まったく……『自分が許せない』ってところか」
「……幼稚で未熟、存じております」
「そうじゃねぇ。ちょっと前なら、すぐに飛び出して行ってただろう?」
「……」
「がっはは。誰の影響なんだかなぁ? ……生きてると思ってるんだろ」
「……絶対、ではありません。ですが、殺害する利点もありません。それに彼が……聡い彼が無事であるなら必ず連絡してくるでしょう。闇雲に行動するより、準備を進めるのが先と考えたまでです」
「おうおう、こんな状況でも『必ず連絡してくる』か。いつの間にか仲良くなっちまって。それに随分とまぁ丸くなっちまってよ。『蒼氷』もついに氷柱から丸氷っつうところかっ」
「なっ……いえ、お心遣い、痛み入ります」
「……おい村長ぉ、どうにかしてくれ。調子が狂っちまう」
「メル様のお優しい御心は、失意の――」
「むうっ! やはり奴らはグロイスには居ないようだぞ!」
急にガバッと起き上がったメルリンドは、ぐっと伸びをしてペキペキと骨を鳴らした。
その顔は意気消沈した感じには見えず、どちらかと言えば白い頬にソファーの模様を残す無邪気さが際立っている。
「えぇっ! メ、メル様っ?」
「どうしたシェフィ? 我がなんだって? んん?」
「え……その……消沈されているものだと……」
「ふふ。我は『マナ感知』を広げていただけだぞ。なぁガノ坊」
「がっはは。『そこそこ使えるマナ感知』が村全体ってのがとんでもねぇけどな」
「なっ……謀ったのですかっ」
「まさか。むしろ近くの大きなマナで邪魔はされたがな」
「うっ……申し訳――いえ、メル様っ最初に一言言ってくだされば!」
「ガノ坊は言わずとも分かっていたぞ?」
「うぅっ……もうっ知りませんっ」
「ふふっそう不貞るな。シェフィ、もっと肩の力を抜け。いつもなら気づけただろう?」
「ッ!」
「まぁ落ち着け。人込みで襲撃されるなんざ誰にも予測できねぇよ。そっから生きてる可能性があるって言うんだ。今はそれを信じるしかねぇさ」
「……ガノン様、メル様」
「あぁ。想いはみな同じだ。必ず助けよう。まぁ昔から囚われの王子様を救うのは、貧乏エルフの口づけだと相場は決まっているからな」
「っ! な、何を破廉恥なっ!」
「ん? ロマンチックな御伽噺ではないか」
「ふ、ふざけないでください! そんな事は私が許しません!」
「がっはは。つうことは、『私の王子様』を取らないでってことかおい」
「気が付かなかった……すまぬシェフィ、我はそういうつもりでは――」
『あのーすみませ――』
「もうっ違いますっ! べ、別に私はコイズミ様のことなど何とも思っておりませんっ! むしろ私は――えっ?」
「えっ?! この声は!」
『うぅっ……えーと大変、その……なんか……すみませんでしたぁ……』




