73:迷宮では多くの選択を迫られる
迷宮では多くの選択を迫られる。
進むか、退くか。
回避か、防御か。
この場においては動かぬ仲間を、仲間だったモノを諦める選択を。
『冒険者は冒険してはいけない』
彼ら彼女らはそんな難しい選択を当たり前にこなしていたからこそ、一人前と言われる銅級冒険者に成れている。
誰も自ら進んで死線に向かうなどという錯誤したヒロイズムは持ちえない。
サポーターのアイカもその1人。
戦闘に秀でていなかった彼女は、人一倍サポーターの技術を磨いた。
犬人特有の比較的高い【敏捷】を活かし戦闘の邪魔にならぬようドロップ品を拾い、【投擲】のアビリティによって投げられたナイフやポーションは幾度もパーティを救った。
それでもある時はオークの尻尾だと蔑まれ、ある時はドロップ品をちょろまかしたと濡れ衣を着せられ、何度もパーティを追い出されながらも徐々に貧弱なステータスを上げてきた。
誰よりも迷宮に潜り続ける日々が続き、いつしか超大手クラン『アイゼイレ』の中堅パーティに所属するころには彼女を馬鹿にする者はいなくなっていた。
それは物理的に迷宮に散っていった者も含まれるが、その繊細なサポートは持続的なパーティ戦闘において、戦闘工程を円滑に進め、異常の際にもバックアップがあるという実利に繋がっていたから。
――こんなのが走馬灯? もっと思い出すことがあったよね
そう自嘲するアイカの赤く染まる視界には、赤黒い塊を啄みながら近づく『ドランゴルム』の姿を捉えていた。
幸か不幸か、重装剣士の影にいた彼女は『ブレス』の直撃を避け、受けた傷の痛みによって『恐慌』も解けていた。
しかし、その体のあちこちに残った深い傷跡が【敏捷】と商売道具だった収納袋を奪い去っている。
穴の開いた足を引きずり、這いずり逃げられるのもここまで。
クランの討伐パーティが来るのは、まだまだ先。
すぐに助けが来る可能性など無く、石柱にもたれ掛かるのも限界に近かった。
唯一と言ってもいいまともに動く右手を動かし、徐にベルトにぶら下がっていた赤い飾りを取り外す。
それだけで体中に激痛が走る。
うめき声が漏れ、吐く息荒く開いた手のひら。
そこに輝くのは、宝石ではない。
覆っている細工から覗くのは、赤い水球。
それはマナを通せば数秒後に激しい爆発を起こす『バーストポーション』。
それも取って置きの上等品。
――あいつに食われるぐらいなら
仄暗い選択。
握った手を胸に置く。
見据えた巨大な目と視線が交わる。
巨体を曲げ、向きを変え、一歩。
確実に死に近づく一歩が踏み出された。
続いて二歩、三歩。
まるで餌を値踏みするような、新鮮な餌に満悦するかのような、感情の読めない細長い瞳孔がさらに細められた。
次の瞬間、強烈な炸裂音が大気を震わせた。
◇
破片が飛び散り、熱の余波が大気を焦がす。
立ち込めた煙が徐々に散り、現状が露わになる。
――四歩目は明後日の方向に踏み出されていた
露見したのは顔の半分を失い、体勢を崩す巨体。
高レベルの【投擲】によって投げられたバーストポーションは、寸分違わずドランゴルムの右目を捉えていた。
「へっへ……ざまぁ……みろ……」
よろめく怪物に悪態を付く。
しかし、その悪態が終わる前には予見していた現象が起き始めた。
失ったはずの右目が、口が、皮膚が即座に形を成しアイカに向けられた。
感情の読めないはずの目には微かな感情が宿っている。
それは憤怒ではなく、どちらかと言えば面倒くさい事をやる前の憂鬱といったところ。
それを裏付けするように小さな紋章が浮かんだ。
出現したのは、キラキラと光を反射する石英の槍が1本。
先ほどの『ブレス』に比べれば、うざったい虫を手で追い払う程度の、或いは刺された蚊を叩き潰す程度の手抜き具合。
しかし、その程度でもマナ障壁は言わずもがな、簡単に防具と頭蓋をぶち抜き、絶命し得るだけの威力があることは明らかだった。
こうなる事は分かっていた。
『階層ボス』にとって、バーストポーション1つでは毛ほどもダメージにならないことぐらい知っている。
逆転の一手でも、反撃の狼煙でもない。
ただ単純にその怪物の目が気に食わなかっただけの、最後の抵抗。
餌を摂って十二分に蓄えた背中の石英が微かに煌めく。
些細な抵抗を軽々と打ち砕く、致命の槍が放たれた。
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『ガジャ』
目を閉じてどれぐらい経ったか。
数秒が無限に引き延ばされた感覚。
……いや……生きてる?
感じたのは違和感。
走馬灯にしたって長すぎるし、聞いたこと無い変な音もした。
血で固まった右目が開けづらいけど、恐る恐る目を開ける。
……え……壁?
壁が出た? なんで? なにが?
何故か目の前には石の壁があった。
それは毎日見るほど目にするウルム遺跡に使われている石材。
『不壊』の古代魔法がかかっているはずの……
「『設置』」
「えっ? あっ?」
混乱し続ける頭の上に冷たさを感じる。
すると不意に体の痛みが和らいだ。
小さな傷が癒え、淀んでいた思考も明瞭になってくる。
降りかかったのは青い液体。中級ポーション?
「大丈夫ですか?」
「はえ?」
助けに来た? なんで?
守るように前に立ったのは黒衣の戦服。
そのどこか頼りなげな背中が語る。
「サポーターの方ですよね。話せますか?」
「あっ……はい?」
「あの槍以外の攻撃方法を知っていますか?」
「えっ……えと、尻尾? あっ尻尾っ! あれあれっ尻尾!」
咄嗟に思い出す知識を言い終わる前に、壁の影に見える巨体が体をくねらせた。
それこそが突起の付いた太い尻尾を鞭のように撓らせ、叩きつける無慈悲な範囲攻撃。
「『収納』」
アイカはまたも目を疑った。
「え……?」
石壁ごと吹き飛ばす勢いで迫る尻尾の先端が、そのまま横を抜け飛んで行った。
ズンと音を立てる尻尾の残骸を振り返っても何が起きたか分からない。
遠心力を乗せた大重量のスイングは何度も前線を崩壊させてきた。
見学した討伐パーティの前衛が吹き飛ばされた光景は未だにトラウマだ。
それを一撃でぶった斬った?
いや斬ったとかではなく、空間がかき消したとしか思えない。
右手を出したその前で、迫る尻尾が中ほどから消えたのだ。
……この石壁も空間魔法?
「あっ!」
全く感じない気配、不思議な空間魔法、黒髪。
……まさかこの人は?!
「他にはありますか?」
「ホカニハ? っ!」
尚も頼りなく見える背中は前を見据える。
目の前の脅威の一挙手一投足を見逃さないように。
ボスに対峙しているのは、見るのも初めてであろう新米冒険者。
……必要なのは情報だ。
基本的な攻撃方法から、その兆候。
そして広い視野を持つサポーターとしての情報。
色々確認するのは後、今は持ってる全ての情報を彼に。
「離れると突進、前足に踏ん張る前動作。近づいた時には体からスパイクが――」
◇
――“完封”
アイカはそう状況を読んだ。
失った尻尾は【超再生】により即座に形を取り戻し、回り込むように距離を取った。
すぐさまジャブのように素早く繰り出される槍での牽制。
しかし『ガジャ』と硬質な音を立てて大量の槍が砕け散る。
再び出現した石壁が、傷が付くこともなく槍を防いだ。
ならばとその隙を付くように繰り出される前足や尻尾の近接攻撃は、近づく初動だけで抉り取る。
近距離では空間が肉体ごと消え去り、遠距離は現れる『不壊』の石壁に阻まれる。
まるで動きを知っていたかのような完璧な対応。
絶大な破壊力を誇る『階層ボス』が攻めあぐねるという異常事態。
繰り返された猛攻は、たった一人の異端によって完全に防御されていた。
ただ、『階層ボス』の名は伊達ではない。
この短時間の猛攻で消え去る間合いを見極めていたように、それ以上不用意に近寄らない。
狡猾な魔物が選んだのは遠距離からの攻撃。
虚を作り出すように放たれる高威力の槍は、徐々にスタミナと精神を削る。
それは無尽蔵のマナを持つ『階層ボス』との持久戦。
数日間でも戦い続けられるボスに対して人の身では余りに不利な土俵。
――“完封”、しかし“手詰まり”
信じられないほど良く戦っている。でも打開策が無い。
討伐パーティが来る前に他のゴーレムが参戦すればすぐにでも決壊する。
周囲に目を配る彼にもそれは分かっているだろう。
戦況の見極めに長けたサポーターには、その絶望的な状況が読めてしまった。
「もう……いいよ……ありがとう。危なくなる前に逃げて」
ポーションでは足の深い傷は治らないし、失った血も戻らない。
自分は必ず足手まといになる。
親愛なる『迷宮技師』を道連れになんてできない。
最後に優しさに触れられただけでも――
「えぇ?! 今『現状把握』が終わったとこですよ!」
退くことなんて何一つ考えていない、心底驚いたような顔が覗いた。
「えあっ?」
「まぁ見ててください。これから『段取り開始』です」




