7:良かった。もう良いようだな。
「良かった。もう良いようだな。我はメルリンド。魔獣研究をしている。副業で村長だ」
屈託なく微笑むのは緑髪緑眼の小柄な少女。
しなやかな肢体はスラリと細い。
肌は透き通るように白く、あどけなさを残した顔立ちは人形のように整っている。
神々を描いた絵画のような荘厳さに、子猫がじゃれ合うような可愛らしさを足したような……
純白の初雪のような透明感に、雪遊びに興じる無邪気さを足したような……
その飛びぬけた秀麗さを形容する言葉が思いつかない。
膝丈のハーフパンツに快活な印象を受ける。
上はシャツにベストに似たものを着て、腰には細見の鞘を帯いている。
左右にゆったりと束ねられた髪は腰ほどまで伸び、その髪からは尖がった耳が見えている。
村長……めっちゃ若いしかわいっ
それにこの人エルフってやつじゃないか? きっと長寿なんだろう?
内心のワクワクを抑え、探りを入れる。
「おかげ様で。小泉と言います。失礼ですが、大変お若いように見えます。その年で村長をされているのですか?」
「ああ。エルフ……森の民を見るのは初めてか? 我はこれでも大人だ。それに村長は副業で飾りだ」
やっぱり森の民! エルフ!
なぜ長寿なんだろう? どういう理由で耳が伸びる進化があったのだろう?
あぁどうしよう。聞きたいことが山ほどある。
「そんな事言ってぇ。メルちゃんはずっと前から村長なんですよ。みんなから慕われているんですよぉ」
気を悪くしたそぶりも無く答えるメルリンドをローザさんがむぎゅっと抱きしめた。
横顔から胸にめり込んだメルリンドは顔半分しか見えていない。かわいい。
「わぷっ今はやめるのだローザっ! 大事な話があるのだ!」
何とか笑っているローザさんの拘束から逃れ、空気を変えるように咳払いをした。
「おほんっ! コイズミ殿失礼だが確認しておきたい。貴方は暗殺者か?」
メルリンドの目が鋭くなる。
部屋の温度が急激に下がった気がする。
下手なことを言えば即座に首をはねられるような威圧感を感じる。
「……いいえ。違います。ここにいるのは道に迷ったからです」
いきなりの暗殺者確認まで想像してなかったが、これは予測していた問答だ。
するとすぐに威圧感が消え、圧迫面接が終わった。
「失礼した。まぁそうであろうな。ただ【マナ】が全く感じられないのでな。それほどに隠蔽できる技術が他には考えつかなかったのだ」
「……マナ?」
「ああ。我は【マナ感知】がそこそこ使えるのだ。高度な隠蔽でなければ見破れる。コイズミ殿のは見破れないが、な。まるでそこにいないようだよ」
「ええと、そうではなくマナとは何ですか?」
「「え?」」
2人の驚きが重なる。
そんな変な奴を見る目はしないでほしい……
「……その顔は哲学の質問ではないようだな。学び舎ではこう教えている。マナとは生命の根源だ。あらゆるものに宿っている。またあらゆるものに利用されている。人が生きるためにはもちろん。生活にも無くてはならない物だ。この星の礎と言ってもいい。貴方はどこから来たのだ?」
「……白い空間に包まれて、気が付いたら森の中にいたんです」
森からの経緯と襲われた恐怖体験を話す。
ディーツーの事とかはもちろん黙っておいた。
「大変だったのですねぇ。ブルートツリーに襲われて……麻痺毒は大丈夫だったのでしょうか」
えぇ……あの木……毒持ってるの?
ローザさんは口を押えて俺を心配してくれている。
「……驚いたな。我も目の前で【神獣】を見ていなければ苦笑してたところだ。ただの【転送失敗】による記憶の欠如かも知れないし、【迷い人】かも知れない。まぁ最近は【転送陣】も安全になって失敗も聞かないが」
と言いながら目の前に座るメルリンドは半眼で俺を見る。
転送失敗? この世界にも白空間ワープのような技術があるのか。
それに【神獣】とかファンタジー過ぎるだろう。
「早速話してくれて助かる。正直に言おう。コイズミ殿。貴方に興味がある」
子供なのにドキッとするようなセリフを真顔で言わないでほしい。
透き通った緑の瞳に釘付けになってしまう。
あぁ大人だからいいのか。いやいやそう言うことじゃない。
「あぁすまない。そんなに身構えることは無い。まずは状況を説明しよう。コイズミ殿を助けたのはシロイヌと呼んでいた【神獣ヴィント】。昔からこの村では守り神とされている【魔獣】だ。昨日の夕方、山守が庁舎に飛び込んで来たんだ」
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人口5000人ほどの村グロイスは、その立地と気候から農業や酪農が主な産業となっている。
また東側には清流が流れ、北には大きな森があり風光明媚な避暑地としても有名である。
夕日が町並みを照らす頃、夕飯の準備に忙しい村を息を切らせ走る男がいる。
彼、小柄な犬人のオウルは何かに追われてでもいるかのように一目散に村の中心に向かっていた。
何事かと視線を送る村人にも目もくれず、村の庁舎へひた走る。
普段の彼を知るものであれば、『何か良からぬことが有ったのか』と声をかけただろう。
それほどに彼の表情は、困惑、興奮、恐怖の入り混じったものになっていた。
――後に伝令を任されたオウルはこう語る
『あん時は自分の足の速さに感謝していたんだ』と得意げに。
『お陰であの場所を離れることができたんだから』と少し自嘲気味に。
『ただ、今考えると……怖いというよりは恐れ多かったんだ』と噛み締めるように。
『きっと……いざ御伽噺で聞いていた英雄なんかに会っても、なーんにも出来ないもんなんだよ』と最後に小さく笑う。
――【神獣】へ感じたのは“畏怖”ではなく“畏敬”であったと
◇
バンッと大きな音を出し、庁舎のドアが勢いよく開かれた。
「わっどうしたんですか!」
終業時刻も近づき『夕食の献立は何にしようかなぁ』と考えていた受付嬢のミネイはびっくりして目を見開く。
「山守のオウルだっ 村長を出してくれ! はぁはぁ……しんじゅ……神獣様が出た!」
「神獣様? 神獣ヴィントが……?」
子が悪さをすれば神獣様に吹き飛ばされるぞと躾け、風が強い日は神獣様が咳をしたと冗談を言う。
夏祭りには模した山車が組まれ、広場を賑やかす。
この村に住んでいるのであれば知らないはずのない特別な名前。
しかし聞こえた言葉は起こり得るはずのない事象、繋がるはずのない言葉。
まさに『現実味がない』とはこの事であり、ミネイはすぐに動けずにいた。
「いいから早く! 人が襲われているんだ!」
人が襲われているという緊急性、オウルの切羽詰まった表情にも気圧されるように何とか思考の海から抜け出したミネイは動き始める。
「わ、分かりました! お待ち下さい! 今呼んできます!」
立ち上がる間もなく、今度は奥の部屋に続くドアが音を立てて開いた。
もう既に軽鎧を着込んでいるメルリンドが準備万端とばかりに飛び出してきた。
「我は聞いている! すぐ行こう! オウル案内してくれ!」
颯爽と机を飛び越えたメルリンドは指示を出しながら駆け出す。
走りながら詳細を聞き、驚異的な速度と跳躍で町並みを抜けていく。
◇
5人の山守達が集まっていた。
ベテラン冒険者で構成された山守という組織は、言わばこの村の“砦”であると同時に“保険”だ。村での魔物や魔獣による被害がここ数十年という長い期間出ていないという実績が彼らとその組織の有能さを示している。
岩の魔物でも軽々切断する戦斧、致命の刺突を繰り出す鋭槍、引き絞れば必殺の速度で獲物を射抜く弓。
数々の魔物、魔獣を打倒してきた相棒は、今はそのどれもが小刻みに震えていた。
その怯えた目の先を辿る。
50mほどを隔てた位置に2頭の【神獣】と称される白い魔獣が鎮座している。
後に語られる『美しさすら感じる研ぎ澄まされた威圧感』に熟達の山守達であっても全くに近づけずにいた。
その神獣の前には黒い服の男が倒れており、しきりに小さい神獣が男の顔をぺろぺろと舐めている。
「わぁっ! ほんとだ! すごい! ほんとにヴィントだ! でっかいマナ! これはねっ威嚇なんだよ! 普段は隠してるんだよ! あぁほんとに白い! すごいよー! ねっねっ小さい子は最近生まれたのかな? どうしよう! かわいいよぉ! はぁはぁ触ってもいいかなぁ?! いいよねっ!」
いきなりズザザーと急ブレーキで登場したメルリンドはぴょんこぴょんこ飛び跳ねた。
「ぜぇぜぇ……お、おい。村長頼むよ……」
容姿相応に見えるがはしゃいでる場合ではない。
遅れて到着したオウルはいつもの感じと大分違う村長の様子に戸惑う。
「あっ……おほん! 落ち着きなさい。武器を下ろすんだ。ヴィントは自ら人を襲わない」
山守達の目は『落ち着いていないのはあんただ』と言っているが素直に従う。
「ここで待っていてくれ。くれぐれも攻撃してはダメだ。こちらが羽虫のように吹き飛ばされるだけだ」
その言葉に山守達は息をのむ。
皆がうなづくのを確認してからメルリンドは自身の細剣をオウルに預ける。
そしてゆっくりと神獣へ向かう。
20mほど手前まで近づくと大きなヴィントは座った姿勢から起き上がりスンスンと鼻を鳴らした。
「ガゥ!」
青白い光が倒れている者に伸びる。
「今のは……【治癒】か? まさか人を助けたのか?!」
ペロペロと顔を舐めていた小さいヴィントも名残惜しそうに鼻を鳴らす。
チラリとこちらを見ると神獣達は風のような速さで森の奥に消えていった。
「あぁ待って!」
邂逅の興奮が冷めて引いていく。
そこには倒れた男と静寂だけが取り残されていた。
◇
――後に村長メルリンドはこう語る
『あの時は出会いに感謝していたのだ!』と楽しげに。
『まさかあんな近くで見れるとは!』と少し興奮して。
『ただ、今考えるともう少しだけ……匂いとか……』と何とも言い表せない表情で。
『きっともう一度会って、この手で抱いてみせる! 愛でてみせる! 御伽噺に出てくるあの神獣を!』と最後に右手を握り締める。
――【神獣】へ感じたのは“畏怖”でも“畏敬”でもなく、溢れんばかりの“愛”であったと
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「それで体毛の感触はどうなのだ? 堅さは? 匂いは? 味は?」
魔獣研究者の血が騒ぐのだろう。
先ほどから目を輝かせながらメモを取っている。
だが可憐な少女が獣の毛の味を知りたがるのはどうだろうか……
ローザさんは『この感じはいつもの事』のようにお茶を準備しに行ってしまった。
「最後にヴィントが目撃されたのは400年前になるのだ。彼らは御伽噺では風の賢狼とも呼ばれ非常に知能が高いとされる。人の言葉すらも理解したと書いている。優れたマナ感知と隠蔽を持っているから見ることすら……極めて困難なのだ。だがコイズミ殿は交流し、救助されるにまで至った! どうやって交流を持ったのか知りたいのだ! その隠蔽技術なのか?! その可愛らしい雰囲気なのか?! あっ……すまない。つい興奮してしまった」
いけない。驚きが顔に出てしまった。
俺……可愛いか? 無精ひげ生えてるけど……
「いえ。知っていることはお教えしますよ。代わりにと言っては何ですが私も聞いていいですか?」