58:一夜明け
一夜明け、森の村グロイスは落ち着きを取り戻していた。
肉まんなどの屋台は忙しなく景気の良い声を上げ。
噴水の周りには小鳥が跳ねるように飛び、陽光の森に向かう冒険者達のおこぼれを啄む。
むしろいつも以上に活気に満ちているようにも見える。
神獣の尻尾亭のラウンジで朝刊を捲ると、そこには昨夜の山火事は冒険者の火の不始末との見出しがあった。
どうやら怪我人もなく、すぐに鎮火したそうだ。
まずは大事がなくて良かった。
半鐘の音なんか久しぶりに聞いて相当焦ったもの。
「コイズミ様、おはようございます」
すっかり顔見知りになった村人達とあいさつを交わしながら歩いていると、不意に声をかけられた。
歩いてきたはずの後ろから。
透き通るような声に振り返れば、やはり目に入るのは青みがかった銀髪。
ただ、いつも一緒の相方は見えない。
「おはようございます。シェフィリアさん」
「……少しお時間よろしいですか?」
◇
「この村の生活はいかがでしたか?」
ベンチに腰掛け、何事かと身構えていればそんな世間話が始まった。
その背筋の伸びた座り方は面接でも始まるのかと思ってしまう。
「楽しかったですよ。本当にあっという間に感じます。皆さんいい人ばかりですし」
「……先ほどは多くの方に声をかけられていましたね」
「シプリさんの所の串焼きにはお世話になりましたし、クーちゃんとは飴を贈り合う儀式があるんですよ」
いつの間にか始まった多くの村人との交流は、とても楽しくかけがえのないものになっている。
「聞く所によると妹様と観光されたとか。では故郷の場所は判明したのですね」
「……えぇ。そう……ですね」
まさか何かを感付かれた?
ディーツーと出歩いたのはまずかったかなぁ……
やべぇ……本題はなんだろう。
その感じはこんな世間話をするだけではないと思うんだけど。
「……冒険者が増え、農場にも森にも多くの雇用と産業が生まれました。感謝いたします。これらはコイズミ様の功績です」
「いやぁ、そんな――」
「ですが、それと同時に問題も起きています。冒険者が多くなった所為で治安が悪くなり、軽犯罪が増えました。元々想定していなかった人数が来ているため、宿、食材、魔石なども不足しています」
「え……」
「更に言えば、“悪目立ちした貴方”を目当てとする問い合わせや多くの野次馬に対応するための工数が膨大になっています。ロンメルは勿論のこと、王都からも来ていますので、対応の限界を迎えるのも近いでしょう」
確かにギルドにはあの指名クエストの所為で事件に巻き込まれたんだからと、全て断ってくれていると聞いた。
それが庁舎に話が行くほどとなると申し訳ない。
「……そんなことが……すみませ――」
「いつまで滞在されるご予定でしょうか?」
「……へ?」
「1月ほどと言った期限はいつなのですかと聞いているのです」
「え、えっと宿は……3日後までです」
「予定を早めては頂けないでしょうか。差額分はお支払い致します」
「ちょっと待ってくださいっそんな急に――」
「言い方を変えましょう。この夏祭りが迫る繁忙期に貴方に居てもらっては困ると申し上げているのです。……心証が良い内に去られる方が良いでしょう」
「ッ……」
冗談で言っているとは思えない語気。
そして真剣な瞳に射すくめられる。
近くで昼寝をしていたケット・シーは気だるげに逃げていった。
「…………分かりました。明朝……発つことにします」
「……賢明な判断です。メル様には私から伝えておきます……良い旅立を」
『それでは』と颯爽と去る後ろ姿が小さくなる。
一度も振り返ることなく、賑やかな往来へと消えていった。
◇
なんだあいつはっ!
急にあんなこと言いやがって!
いいさっ! 厄介払いなら出て行ってやる!
――とでも思って欲しかったのだろうか。
シェフィリアさんはポーカーフェイスを装ってはいたが、キュっと握り締めた黒手袋は酷く強ばっていた。
平たく言えば、憎まれ役を演じたようにしか見えなかった。
多分、いや間違いなく根がとても真面目で素直な人なのだと思う。
人を騙すような役者にはとても成れそうにないなぁ、と少し失礼なイメージが浮かんだ。
まぁ本当にそんな工数が発生しているなら、俺が対処するのが筋だしな。
とにかく不自然過ぎる上に、昨日の今日で態度が豹変する理由なんか1つしかない。
――火事の現場で何かがあった。
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という訳で俺はまたも『何かあったら庁舎までお越し下さい』という言葉を鵜呑みにした。
『こいつ正気か? 普通この状況とこのタイミングでここに来るか?』
という先ほど以上に鋭い視線がビシビシ刺さるがそんなことは気にしない。
『現状把握』は嫌がられても、ちゃんとやんなきゃ意味がない。
「そうか、明日か……寂しくなるな。本当に……寂しくなるなぁ……」
別れの挨拶を告げると、小柄なエルフはその一言。
楽しかった思い出語りは昨日の打ち上げで何度もした。
感情に流されて、それをまた繰り返すのは本意ではないし、引き止めるのも粋じゃない。
分かっている。『寂しくなる』その一言で十分だ。
「メルさん……色々とお世話になりました」
「うぅ……」
ただ、こう後ろから頭をむぎゅっとされてしまうと反応に困ってしまう。
今日は流石に離れてくれとは言えない。
「それでっどんなご要件でしょうかっ! まさか別れの挨拶だけと言う訳ではないでしょうねっ」
おおう。
シェフィリアさんも今日ばかりはくっついてるのを見逃してくれる。
いつになく強めの反応だけど。
「そういえば昨日の火事は大丈夫でしたか? 怪我人もいなかったと書いてありましたが」
「あぁ……そうだ。……ただの焚き火からの引火だった。人騒がせな冒険者だったな? シェフィ」
「えぇ。本当に」
うーん。
骨伝導で伝わってくる声だけでは何とも言えない反応だ。
「それで、今日はどうするのだ? 皆に挨拶に行くのだろう?」
「えぇ。昼間の内に回るつもりです。……そこでお願いがあるんですが、仕事が終わった後にまた『陽光の森』のあそこに連れて行ってもらえませんか?」
「おぉっシロとデカにも別れを伝えるのかっ! それはいいなっ 是非――」
「メル様、今日はご予定があったのをお忘れですか?」
「えっ……あぁそうだったな。すまぬコイズミ殿」
「いやいや、急に言い出したんですから気にしないで下さい」
「コイズミ様、ご存知かと思いますが、迷宮にはイレギュラーが起きます。さらに今は消火はされましたが、『陽光の森』は迷宮としてもかなり荒れている状況です。行くのはお勧めできません」
『思わぬ所に思わぬ強敵がいることがある』と言いたいわけだ。
うーん。筋は通っているようにも聞こえるが、どうにも腑に落ちない。
しかし、『これから会議』と切り上げられてしまった。
分かったことはどうやら俺に村と森に近づいて欲しくない感じ。
これ以上は、情報を得られないかぁ。
かと言って、流石にグイグイ行き過ぎるのもシェフィリアさんに申し訳ないしなぁ。
胸に残るこの感じはきっと別れの寂しさだけじゃない。
この世界に来て、これ以上ないほどの疎外感を味わっていた。




