50:何度も行う発動のトリガー
何度も行う発動のトリガーは尽くすり抜けた。
ありったけのマナを込めるが紋章術は発動しない。
どうしたっ……なぜ発動しないっ!
あいつが何かしたのか?!
驚天動地。前後不覚。
自身の築いてきたものが足元から崩れ去る感覚に襲われる。
その時、服の裏で紋章が瞬く。
効果は『鎮静』。
気の動転を感知して発動、予めそう設定していた紋章術が発動した。
それにより何とか思考の渦から抜け出したゴルゴレは、焦りながらも模索を始める。
いや、注意して見ていた。
あいつはここに来てから何の素振りも見せていない。
破片を片付けるメイド達を気遣う男を見澄ます。
まずは一刻も早く紋章を確認しなければ。
だが、どうにかしてあいつを足止めしておかねば……
「クエスト用紙もまだのようですし、コアを運んでおきましょうか? ずっとここに置いておくのもアレですので」
「いえ、お客様にそんなことをさせてしまっては――」
「いやっ……それは助かる。倉庫までの間に工業区を案内して差し上げるのが良いだろう。頼むぞ」
「……! それでは……ご案内致します」
好都合だ。やはりマヌケめ。
自ら時間稼ぎを名乗り出てくれるとはな。
クエスト用紙を遅らせる手筈を整え、紋章を確認する。
ゴルゴレは濡れた靴を履き替えることなく、急ぎ足で行動を起こした。
◇
工業区にはいくつか立ち入れない部屋が存在した。
それは関係者以外立入禁止の部屋でも、立ち入りづらい静かなオフィスルームでもない。
ゴルゴレのマナによる照合が必要なその部屋は、オーナールームの更に奥、隠し扉の中に有った。
隠し扉から短い階段で地下へ下ると、ゴルゴレはマナ灯を入れた。
そこには天井の低いだだっ広い空間が広がっていた。
鉄塔が丸ごとその空間の上に建っているほど広い部屋。
その地面には精密で巨大な紋様が描かれていた。
初めて見る者であれば、紋章が柱を縫うように描かれていると勘違いするだろう。
しかし、これはゴルゴレが企画し、基礎から柱に至るまで紋章を避けるように設計されていた。
つまり、これこそが禁術『従属』と『洗脳』の多重紋章。
この巨大な紋章とリンクすることで、人の精神を縛るほどの強力な紋章術を生み出していた。
その肥えた体に似つかわしくない速度で、芸術にも見える紋様を確認して回る。
『何もおかしな所はないではないか』
そう思っていた次の瞬間、ゴルゴレは立ち止まった。
いや、立ち止ざるを得なかった。
「なんだこれは……なんなんだこれはっ!」
広い空間に怒声が響き渡る。
その音の振動が目の前の構造で反響し、低い唸り声のように聞こえた。
立ち止まったゴルゴレの目の前には、『紋章諸共くり抜かれた地面』が広がっていた。
◇
「ふざけるなっ! なぜこんな事に?! 誰がこんな事を?!」
怒鳴り散らす声は反響し、自らの耳に響く。
近くの柱をブチ折りたい衝動に駆られ、『鎮静』の紋章が瞬いた。
「ふぅ……ふぅ……」
落ち着け、そんな事をしている場合ではない。
これでは紋章術が発動する訳が無い上、今すぐの修復は不可能だ。
「しかし、どうやって侵入してこんな……っ?!」
遠くを見渡すゴルゴレは違和感に気がついた。
近づいて見ればそれは側面を螺旋階段状に切り取られた柱。
そしてその隣には床板を支えるように積み上げられた『磨かれたような岩』。
なんだこれは? この上は確か便所があったはずだ。
――『トイレが綺麗だった』
脳裏を過ったのは何気ない世間話。
その言葉に身震いするほどの強烈な怖気が走った。
「……まさかっ! あの時には既に?!」
まるでその笑みの内に隠していた毒牙。
迷宮技師と言われるあの男に戦慄を覚えた。
◇
服の裏では繰り返し『鎮静』が発動する。
肥えた体を揺らせがむしゃらに走るゴルゴレは応接室へと戻った。
しかし、あの迷宮技師は戻っていなかった。
「くそっどこに行きやがった!」
悪態をつくその姿にはクランオーナーとしての面影は見られない。
「ゴルゴレ様。探していました」
「なんだっ?」
「ひっ……コアをどこに格納すればいいのか指示を頂きたくて……」
「馬鹿が! 倉庫に決まっているだろう!」
「その……倉庫に入りきらないので……」
「なんだと……何を馬鹿な……」
狼狽し切るその姿には『傑物』としての面影も見られなかった。
◇
急いで部材倉庫へと向かったゴルゴレの目の前には、山と積まれた木箱。
奥に見える納品出入口の方にも積み重なっていた。
そしてその入口で2人の帽子かぶった運搬業者に指示を出すあの男の姿もあった。
「コイズミ! これはどういうことだ?!」
「あぁゴルゴレさん。すみません。今納品しているところです」
「何をだ! この箱はなんだ!」
「『処理済みツァンゴーレムコア』ですよ。それに『重たかったので箱を分けました』と言ったではないですか」
「ふざけるなっ! 10個でこんな箱の山になるか!」
「え? 10個じゃなくて、1000個と記憶していましたが」
「そ、そんな訳あるか! それに1000個も用意出来るわけっ……っ!」
――中身を覗き込み、手に取って確認するまでもなかった
全ての木箱の隙間から見えるそれは見紛うはずもない『処理済みコア』。
箱の数にして200箱。半数ほどがまだ運搬前であるにも関わらず、倉庫から溢れていた。
「馬鹿なぁっ……一体どうやって!」
怒鳴り散らすゴルゴレの声に周囲の者も動きを止めた。
「やだなぁ……『安く加工して頂ける所があった』と言ったじゃないですか。個数についてはクエスト用紙をご確認頂けますか」
「まだ言うかっ! おいっ持って来い!」
控えていたメイドが小走りにクエスト用紙を届ける。
乱暴に受け取り確認すると、納品数の欄には確かに『1000個』。
ただし、明らかに『10』の文字と『00』の文字の書かれたインクの濃さや太さが違っていた。
「なんだこれは! 偽装のつもりか?! 見れば分かるだろうが! これは10個だ!」
「ちょっとお借りしますね。あー本当ですね。これは気がつきませんでした。じゃあこれは汚れですかね?」
わざとらしく驚いてみせるコイズミは、取り出した細いペンに付いているゴムのような部分で擦り始めた。
「あぁ消えましたね。確かに10個でした」
クエスト用紙には『00』の文字が消え、『10』の文字だけ残っていた。
擦っただけでインクが消えた? 新種の紋章でも使ったのか?
「……貴様、何を企んでいる?! こんな真似をしてなんのつもりだっ」
「なんのつもりも何も、まさか“消えるとは思っていなかったので”」
ふざけやがって。意趣返しのつもりか?
やはり間違いない。地下の紋章の破壊もこのクソ野郎がやりやがった。
あれを作るのにどれほどの犠牲と手間が掛かったか。
儂を敵に回して……無事に帰れると思うな。
「貴様が何をしたか分かっているんだろうな?」
「そりゃあ分かりますよ。納品していただけです。……ただ、“集まっている野次馬達がどう思うか”までは分かりませんがね」
……野次……馬?
「……あ゛ぁっ! ……このペテン師がっ! 今すぐ扉を閉じろっ! お前ら野次馬をどけろ!」
◇
独占製造が故に、希少であるはずの『処理済みのツァンゴーレムコア』。
それが山ほどアイゼイレに納品されている。
大半の者が『操業一時停止のお知らせ』を知っている今の状況では、誰もアイゼイレが『処理済みコア』を大量購入する意図を理解できない。
道行く者はこう思った『こんなに買ったのか? まさか買い占め?』と。
ある冒険者はこう思った『こんなに有るんじゃポルタ遺跡はマズイ狩場になっちゃったな』と。
その連れの冒険者はこう思った『あれー? あれって迷宮技師だっ! かわいー』と。
そして、ある商人はこう思った『この工場以外にどこかで大量生産できるのか?』と。
それぞれがそれぞれの考えを持つ。
それはすぐに酒場でごちゃ混ぜにされて、尾ヒレが付いて泳ぎだす。
『きっとアイゼイレが買い占めしているから、コアの値段が下がらないんだよ』
『いやいや、その内大量に販売されて値崩れを起こすぞ。ポルタ遺跡は止めときな』
『だったら防具が新調できるね。助かるじゃない』
『なんでもあの迷宮技師が大量に納品したらしいな。処理加工はどこでやったんだ?』
今宵、下手くそな演奏が奏でるのは、『冒険者達の奇想曲』。
それは燎原の火のように広がっていく。
鉄塔前の大量の箱を大勢に見られた時点で、アイゼイレの独占が崩れた事を意味していた。
ゴルゴレは慌てて警備員達に指示を出すが、それでは遅かった。
指示を出すのが、ではない。
絶望的なまでに、気が付くのが遅かった。
迷宮技師が応接室に来たときには、全ての段取りが終わっていたということを。
※この話ではフリクションボールペンの間違った使い方をしています。
文章の偽装等を肯定、推奨するものではありません。




