49:その日
その日、ゴルゴレは公務を放棄した。
そもそも市長など飾りだ。いなかった所で何ら問題はない。
馬鹿共の手前で誰かの考えた文章を読み上げるだけなら、それこそ馬鹿にでも出来る。
日頃からそう思っているゴルゴレは何の気兼ねもなくクランハウスから出ることは無かった。
それよりも計画の仕上げが今から始まる。
その高揚する気持ちが自ら工業区の階層まで赴き、予定時刻よりかなり前から応接室で待機するという、いつもであれば奇行とも言える行動を取らせた。
その時を待ち焦がれるその様は初々しい初恋のようであり、毒刃に倒れる悲劇の終幕を待つようでもあった。
『トントントン』
応接室のドアがその時が来たことを告げた。
メイドと入れ違いで入ってきたのは、資料にあった通りの黒髪黒目の青年。
「よく来てくれた。座ってくれ」
丁寧な挨拶や物腰の柔らかさから育ちの良さが伺える。
だが、『鉄塔は眺めがいい』だとか『トイレが綺麗だった』とか、いつもなら軽々とこなす世間話が今はまどろっこしい。
ゴルゴレにはそんな事はどうでも良かった。
「早速だが、納品の確認をさせてくれ」
「『倉庫』……はいどうぞこちらです。確認をお願いします」
これがユニークスキル? 空間魔法か。
重そうに出した木箱。中にはコアが5個。
続けて同じ箱を取り出した。
中身を覗き込み、手に取って確認するまでもない。
木枠の隙間から見えるのは『処理されていないツァンコア』が10個。
「重たかったので箱を分けさせていただきました」
すました笑みが余計に滑稽に映る。
重い? こんな物が? マヌケめ。そのステータスの低さを恥じたらどうだ?
内心ほくそ笑むが、ゴルゴレは困った表情を作った。
「これは……処理をしていないな? これでは受け取れない。納品物は『処理済み』だったはずだ」
このセリフを何度思い浮かべたことか。
自身の顔がニヤついていないか心配になる。
「……私は『処理済み』では無かったと記憶しています。お手数ですがギルドに確認して頂けますか」
想定通りの流れだ。
メイドを呼びつけ、クエスト用紙の転送を伝える。
こいつにとっての悲報はすぐに届けられるだろう。
目の前の無能な男が『刃風』を連れてきてくれると思えば、その無能さも可愛げがあるではないか。
この計画が終わった後には、これを素手で処理加工させてから、共にドブ川にでも捨ててやろう。
「……もし、見落としであれば申し訳ありませんでした。ただ待っているのもあれですから……先にこちらの確認をお願いできますか?」
そう言って、その男は同じような木箱を取り出した。
◇
……なん……だと?
中身を覗き込み、手に取って確認するまでもない。
しかし、ゴルゴレは確認せざるを得なかった。
慌てて手に取るそれは紛れもなく処理がされたコア。
2つの薄汚れた木箱には『処理済みツァンゴーレムコア』。個数は10個。
「……どうやって」
なぜ用意している? いや、そもそもどうやって手に入れた?
「いやーたまたま安く加工して頂ける所がありましたので持っていたんです。ご迷惑をお掛けすることにならなくて助かりました」
馬鹿なっそんな報告は無かった。
それにツァンコアの処理は易々と請け負える作業じゃない。
しかも10個だ。小規模工場では1週間で間に合うはずもない。
「それで、いかがでしょうか?」
「あ、あぁ確かに処理済みコアだ。……よく……やってくれた」
「では、用紙が来たらすぐにお渡しできますね」
そう言って、安心したように冷茶を飲む。
馬鹿かこいつは? 物価の相場も知らないのか?
しかし、なんなのだ……どうやってこんな……これもユニークスキルか?
ゴルゴレはその男を計りかねていた。
そのすました笑みの裏にある真意も思惑も。
いや、用意したのは事実だ。今は方法など捨て置いていい。
後でどうとでも聞き出せばいいだけだ。
こいつは……ただの無能ではなかった。流石は迷宮技師といったところか。
狡猾さと忍耐強さで上り詰めたゴルゴレは思考の切り替えも卓越していた。
木箱にコアを戻す時には次の一手に移っていた。
コアを置き、ソファーに深く腰掛けなおす。
「今回は素晴らしい働きだった。クランは優秀な者を求めている。単刀直入に言うが、入る気は無いか?」
「申し訳ありません。大変光栄ですが、どのクランにも所属する気は有りません」
「君にとってもクエストの幅が広がると思うがな、入って損はないと思うぞ。ぜひ入りなさい」
拒否されようが関係ない。
言葉と共にマナを乗せる、紋章術の行使。
すぐさま服の裏に刻まれた紋章が効果を展開する。
気取られることなく、『威圧』と『圧迫』を同時に発現。
相手の思考を鈍らせ、言葉で縛る。
格下相手には絶大な効果を発揮する紋章。
これはゴルゴレが最も得意とし、多用してきた紋章術。
「いやー……もう直ぐ故郷に帰りますし、お断りさせてください」
得体の知れない男は笑みを崩さず、そう言ってのけた。
ゴルゴレは、軽く目を見開いた。
通常、耐性の高い者でも抵抗する素振りを見せる。
しかし目の前の男はどうだ……全くの無反応。
失敗? いや、確かに効果は発現していた。
低ステータスの相手に対して想定していなかった現象に、内心は動揺する。
驚愕を表に出さなかったのはクランオーナーとしての立場と経験の賜物、すかさず次の一手に移ったのは紋章技師としての矜持。
「遠くはルンデンまでクラン支部は有る。考え直せ」
「国も違いますし……すみません」
『脅迫』と『恫喝』を同時に発現。
多重紋章の連続発動という妙技。
しかし、そんな高難度の技術は抵抗する素振りなく、受け流された。
「……そうか。すまなかった。……茶の代わりを用意しよう」
それはいつもであればメイドにさせる作業。
しかしゴルゴレは席を立ち、自ら応接室に常備されている上質な茶器の魔道具を用意し始めた。
見えない位置で大きく見開かれた瞳が揺れる。
馬鹿なっ! 全く効果がないだとっ!
……この男を侮っていたっ
これは耐性ではない……間違いなく何か対策をしてきているっ
この男はそんなことが可能なのか?!
悟られまいとする挙動とは裏腹に、思考は大きく揺らいでいた。
◇
人の精神に強烈に作用する程の紋章術には多くのマナを消費する。
だからその効果を高める為に巨大な紋章を描けば、爆発的にマナ消費が増える。
それは人の持つマナでは対応できないほどに。
だから魔石を大量消費することで発動を補っていた。
いつもであれば、鉄塔内のクランメンバーに使用しているその紋章術。
その忌むべき禁術と呼ばれているその名は『従属』と『洗脳』。
対策のしようがない程強力な禁術の多重紋章。
それをこの男にぶつける。
形振り構っている場合ではない。
それ程までにゴルゴレは焦っていた。
クエスト用紙が届いてしまえば、この計画も流れる。
刃風に繋がる足がかりを、手の内から逃がすわけにはいかない。
ゴルゴレは目の前の壁に片手をつけた。
マナを前方へと浸透させる。
そしてそこから下へ。
工業区の床板の下に描いた巨大で精密な紋章へとリンクさせる。
手こずらせやがって。だが……これで終わりだ。
その飲んでいる茶が最後の晩餐だと思え。
◇
『ガシャン』
茶器が落ちて割れた。
「いかがされましたか?」
その大きな音に待機していたメイドはノックもせずに応接に入る。
飛び込んできたのは割れた茶器や飛び散った飛沫の中に佇む、ゴルゴレ。
最高級の靴を汚していたが、彼は動かない。
そんな瑣末なものは彼の心を動かさなかった。
彼が文字通り心血を注いで作り上げた最高傑作が――
或いは、長年信頼して行使していた相棒が――
また或いは、彼を今の地位に押し上げた屋台骨が――
初めて、反応を示さなかった。




