48:その男は紋章術が得意だった
その男は紋章術が得意だった。
成人して数年が経つ頃には紋章技師として自分の店を持てるほどに。
自身の設計した通りに動くマナの流れを見るのはどこか楽しかった。
それはさらにその男の紋章術を向上させた。
◇
その男は研鑚の手を止めなかった。
卓越したその技は、いつしか紋章を組み合わせる事を可能にした。
多重紋章と呼ばれる技法は、その後大きく紋章術を発展させることになる。
ベテランと呼ばれる頃には凡ゆる紋章術を使えるようになっていた。
中には、禁術と言われる紋章術も含まれた。
しかし、男は気にすることなく探求を続けた。
◇
その男は後悔した。
探求に目を向けるあまり他のモノが見えなくなっていた。
順調に見えた商売は信頼していた取引相手のミスから繋がった裏切りにより大きく傾いた。
慣れない迷宮に赴き、命からがら魔物を狩る日々を迫られた。
襲い来る魔物より、自身の思い通りに動かない他人を初めて怖いと思った。
そんな時、ある禁術の効果を思い出す。
これがその男を大きく歪めることになる。
◆
その男は組織を作り上げた。
パーティメンバーを所属させることで、徐々に時間をかけ拡大していった。
弱い毒を少しずつ飲ませるような気の遠くなる紋章術の行使。
しかし、自身の手足より良く動く手足達を手に入れていく過程には楽しさを感じていた。
その多くの手足達を眺める立場になる頃には、より巨大で強力な紋章術の建設に着手していた。
◆
その男は生産現場を見るのが好きだった。
手足達が働いている結果が、自身の富となるからではない。
自身の命令に従って動く姿にどこか快感を感じていたから。
そこに嘗てマナの流れを見て楽しんでいた面影はほとんど無く、自身の思い通りに動く者達を眺める瞳に少しだけ面影を残すだけだった。
◆
その男は身を震わせた。
新しい探求を思いついたから。
クランメンバーエリアで見かけたどうしても泣き止まない子供を紋章術で黙らせた。
たったそれだけのこと。しかし従わない者を即座に従わせた事が猛烈なカタルシスとなってその男を襲った。
その日からアイゼイレの象徴は、憧れの鉄塔ではなく監獄に変わった。
◆
その男は歪んだ。
それは運命の出会いと言っても過言ではなかった。
粗末な防具でコアの処理をさせ、ズタボロにさせながらも命令に従わせるのには飽きて来ていた。
丁度そんな時、市長に上り詰めたことで、あの『刃風』に近づくことができた。
すぐ壊れてしまう小さな手足達とは違う洗練された真新しい玩具に惚れ込んだ。
『あの強靭で麗しいハイエルフを従わせるのはどれほどの快感を得られるだろう』
その濁る瞳にはもう嘗ての面影は残ってはいなかった。
◆
その男は歓喜した。
ある妙計を思いついたから。
手を変え品を変え、何度も行った密計は尽く周りの取り巻きや高すぎるステータスに阻まれた。
しかし、『刃風』の周辺に彷徨く新人冒険者が現れたことで状況は大きく変わった。
『刃風』のお気に入りらしいそいつを使えば――
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「これだけか?」
豪奢な部屋に声が響く。
調度品に乗せられたグラスが戦くように共振した。
「……それだけにゃ」
赤毛の猫人は雷に怯える子猫のように、尻尾をソワソワと揺らす。
「……そうか。後1日だ。頼んだぞ」
「し、失礼するにゃ」
猫人が去った後に残された資料はたったの1枚。
ゴルゴレは手抜きを疑ったが、嘘は付けないはずだと思い直す。
しかし疑わずにはいられなかった。
なぜならここ数日の資料にはポルタ遺跡に赴いたのは2日間、その後はコアを集めることも、購入しようとすることも記されていなかった。
当然、処理加工の依頼が舞い込むこともなかった。
あの男に関わるモノ全てに目を光らせていたが、商社から連なる材料屋や武器屋含めても購入情報すらも全く無し。
用心深いゴルゴレが用意していた足がつかない妨害も全てが無駄になった。
資料に記されていたことといえば、行きつけの鍛冶屋に顔を出したことぐらい。
しかし一番可能性のあるその鍛冶屋には、年に数個程度しか納品されていなかった。
残りの日は『牧場』に出入りしてチュバ退治とヤックの世話。
『陽光の森』に行って変な道具で魚を採っていたこと程度。
――迷宮技師を買いかぶり過ぎたか
上質な葡萄酒を揺らし、グラスを傾ける。
資料にあった低ステータスという情報ではツァンゴーレムを倒すことも困難だったのだろう。
2日掛けてどうにかコアを集めて、後は小銭稼ぎと遊び。
キャンセル申請が有った時は、なにか感づかれたかと思ったがどうやら杞憂だったようだ。
あれは傑作だ。紋章を描く材料に莫大な費用がかかる代わりに、『看破』でも見通せず証拠も残らない。そして設定した日付で自然消滅出来る。
かの『革新者エレイン』でさえ作れるかどうか。
冷静になれば新人冒険者相手にこの磐石の対策。
目標を目の前にして存外にナイーブになっていたのかと苦笑する。
ただし、手は抜かない。
ゴルゴレは知っているからだ。
他人ほど信用できないものはないということを。
緩慢としたグラスを傾ける動作が繰り返され、肥えた腹に収まる。
ボトルの中身が全て消える頃には、新人冒険者のことなど忘れ、新しく手に入る玩具でどう遊ぼうかという下卑た笑いが浮かんでいた。




