38:……本当に……良いのでしょうか
「……本当に……良いのでしょうか?」
小柄な魔導師は申し訳なさそうに少し目を伏せた。
ただ、掲げた杖はそのまま。自身のマナを練り上げ続ける。
「いいんじゃないですか」
「でも……こんなことで……」
「あっほら【水球】が乱れてますよ」
「ん……」
集中を乱したことで【水球】は少し歪んだ。
でもすぐに球の形を取り戻し浮遊を続ける。
ここは雷鳴山の鍛冶の裏庭。
目の前には大きな球体が浮かび、その下には庭を覆うほどのシートが敷いてある。
「そろそろ休憩の時間よー」
裏口からステナさんが顔を出した。
「……はい」
すーっと下降する【水球】はシートまで降りたところでパシャっと水に変わった。
広がる水は薄い黒色で少し粘度が高いように見える。
クリーム状になっているそれを少し掬って『倉庫』に入れる。
「後もう1回ですね」
俺にはもう完成しているように見えるが、『倉庫』はまだだと言っている。
やっぱり合計で1時間ほどの攪拌が必要なようだ。
それでも驚異的なスピードであることには間違いない。
「……本当にこんなに……良くしてもらって」
杖を後ろ手で持ったレオさんはモジモジしている。
言葉は少ないが、こう言いたいわけだ。
『水球維持の修練をしているだけでお金と貢献度を貰っていいのか?』と。
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遡ること3日前、『幸運を招く猫』に別れを告げた後、俺は庁舎を訪れていた。
『解体バグ』でナノサイズのセルロースを作れることはできたし、『倉庫』から取り出せば自然と結合した状態を作れた。
しかし、それでは意味がない。
求めているのはこの世界の何かを使って攪拌するやり方。
特にある程度まとまった量を作るとなるとマジで見当がつかなかった。
だから俺は『何かありましたら庁舎までお越し下さい』という言葉を鵜呑みにすることにした。
「というわけです。何か心当たりはありませんか?」
「……」
傾き始めた陽の光が差し込む。
厳かな部屋に時計の針の進む音が響く。
沈黙がのっぺりと張り付いたように空気が重い。
いつも以上に寒々しい視線と、今日来たのはマズかったかもしれないと思わせる沈黙に冷や汗が流れる。
これはお昼のアレのせいだろうことは、俺にも容易に想像できた。
「シェフィ何もそんな目をせずとも良いだろう? こんなに萎縮してしまっているではないか。アレは事故だったようだし」
擁護する声が真後ろで聞こえる。
こうしてメルさんが椅子の後ろからウニウニ頭を撫でてくることで、余計に事態を悪化させていることも容易に想像できた。
「メルさんっ今は少し離れてもらえませんか……」
「減るもんじゃなし良いではないか」
「もぅ……メル様っこちらへ! ……魔道具でもそのような物は聞いたことがありません」
渋々対面へ移動するメルさんを確認すると、申し訳なさそうに答えてくれた。
「やはり……そうですか」
「ただ、難しいとは思いますが、【渦潮】のような水魔法を何度も行うことで攪拌することはできると思われます」
うーん。そうなんだよ。
水魔法を何百回と繰り返せばもしかしたら、と思う。
けどそんなイカレタ事をいきなり頼める相手もいなければ、頼む勇気もない。
「お役に立てず申し訳ありません」
「いえそんな。こちらこそ変な事聞いてしまって」
メルさんとシェフィリアさんが知らないとなると参ったなぁ。
ただでさえ少ないプランが減ってしまった。
「……話は変わるが、レオ殿を助けたと聞いたぞ」
丁度良かった。
俺も水球維持について聞きたかったんだ。
「ええ。マナ疲弊で倒れていました。水球維持の練習をやり過ぎたようですね」
「私が見守れれば良いのですが……平日はどうしても目が行き届かないのです」
今の課題は【水球】を大きくしながら維持するというものなので、どうしてもマナを多く消費してしまうという。
にも関わらず、レオさんはぶっ通しで続けてしまう。
一応シェフィリアさんも何度か注意喚起をしているようだが、師匠からの言葉も頑張りすぎてしまう弟子には届きづらいようだ。
「通常ですと【水球】は難しい魔法ではありません。ただレオ様の場合はマナ総量が多いためか、【水球】が割れて飛び散ってしまうようです。その焦りもあるのでしょう」
「っ……そこを詳しくっ」
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シェフィリアさんによると、【水球】が維持できなくなる時は割れるのではなく、そのまま球状から液状に戻るというのが通常の魔法式だ。
だから制御しきれずに割れる、そしてあれほど広範囲に水が飛び散るということは、それ相応のエネルギーが【水球】内にあるのではと推測していた。
実際、先ほどの密閉された黒い【水球】内では遠心分離並みの高速回転や高水圧、そして乱水流が起きていた。
つまり、これはレオさんへの指名クエスト。
提案した1つ目の低級クエストはレオさんに『攪拌の手伝い』を依頼すること。
そして2つ目のクエストはこの黒いクリーム球の元となっている『ブルートツリーの新枝の納品』だ。
良い値段で買い取って貰える素材はすぐに人気になる。
今頃は多くの冒険者達が広大な陽光の森を駆け回っていることだろう。
◇
「これはレオさんにしか出来ないことですよ。それに修練の効率もいいとシェフィリアさんに確認してます」
異物が混じった方が動きが遅い。
レオさんにしてみれば割れにくくなり修練のコツが掴みやすいだろうというのがシェフィ師匠の見解だ。
まぁこれは内緒だが、オーバーワークを心配しなくていいというのが提案した一番の決め手でもある。
定期的に休憩が必要と言って誰かに見てもらっていれば、ぶっ倒れるなんてこともないだろう。
「……僕は……コイズミさんに助けられてばかり」
昨日、顔を合わせたときも診療所に運ばれたことを開口一番謝られ、そしてお礼を言われた。
今回のクエストもむしろ俺としては計画に協力してもらっている感じなんだけどな。
「いやいや私も助かっていますよ。気にすることなんてありません」
「そう、でしょうか……コイズミさんは報酬も何も。なんで……なんでこんなに助けてくれるんですか?」
いつになく饒舌だな。
「なんでって……うーん……頑張っている人を応援したくなるのに理由なんてありますかね」
「……コイズミさんはやっぱり不思議な人……です。……ですが分かったこともあります。手を……出してもらえませんか?」
そう言って持っていた杖を立て掛ける。
言われたとおり手を差し出すと、恐る恐るという感じで両手で上下から挟むように包まれる。
少しだけひんやりと感じる小さな手は微かに震えていた。
しかし次第に震えが納まる。
「……本当に、本当に不思議。……温かい。ふふっ人柄のよう」
微笑みを宿した唇から鈴を転がすような笑い声が聞こえた。
『こんな風に笑えるんだ』と見蕩れていると、重ねた手のひらに少しだけ圧を感じる。
「【福音の光風】」
重ねた手からふわっと柔らかな光が立ち上る。
前髪を揺らす風。そして俺を包み込むようにしてから、ふっと消えた。
「今のは……魔法……いや、スキルですか?」
「ふふっ……『ダンドリハチブ』……です。それと、心からの……感謝を」
少しだけ赤く染めた頬をフードで隠すように、オッドアイの瞳をそらした。
ただ、今も手は重ねたままだ。
チラと俺の視線に気が付くと、はっと手を離し恥ずかしそうに微笑む。
そこには川辺の時より自然で、屈託のない、柔らかい笑顔が輝いていた。
『報酬も何もない』だって?
何よりの報酬じゃないか。
◇
「き、休憩終わったよ。せ、せんぱいはお父さんが呼んでたよ」
顔を向けると見計らったようにマルテさんが裏口に立っていた。
でも頬を赤くしてなんかぎこちないような感じだ。
「……? どうしたんですか?」
「い、いや! ほんとのほんとに何でもないって! ほらっ休憩おわりー」
何故かあたふたとする中、レオさんは水球維持という名の攪拌作業へと戻る。
俺は時計を確認する。
「あーちょっと休憩時間過ぎてますね」
「あっあー。いやー。そのーせんぱいの邪魔しちゃマズイかなーって」
「邪魔……?」
「あたしはそのー……そういうのもアリなのかなって思うし。おふぅ……むしろドキドキし……って何でもないっ」
『えっと削る作業に戻らなきゃー』と裏口からバッと戻っていった。
『そういうの』ってなんだ……?
意味分かんねぇなこれ。まぁいいか。
先ほど言ってた『削る作業』というのは、この攪拌作業の前処理で枝をグラインダーや魔法で擦り潰し、粉末にした後、熱湯に混ぜて原液を作る。
次はそれをこうして【水球】内で攪拌する。
そして手のひらサイズの布団乾燥機の魔道具で水を抜く。
今は武器制作の傍ら、家族総出で『黒晶』と名付けられた新素材の製造に当たっているという訳だ。
というのも昨日、細剣を納品した後すぐに再注文が入った。
サイトンさんの話では今後は材料単体としても納品するとのこと。
定寸のプレート形状に加え、水抜きしてない黒いポーションのような形状での納品にも対応する。
もし俺にその気があれば、そのでかすぎるタピオカかなって見た目はきっと最高に映えたんだろう。
後は同時に粗悪品を世に出すことがないように、作り方の伝播を鍛冶屋組合と相談しているそうだ。
『冒険者が怪我しないことが一番だ』と利益を独占することを簡単に捨てたサイトンさんは、尊敬できる根っからの鍛冶屋なのだと思う。
実はその忙しさのせいで、さっきの新米冒険者はまだクエストを行えていない。
この分だと先輩顔できるのはもう少し先の事になりそうだ。
少しだけ新しい道を歩き出した若者達に心の中で『頑張れ』とエールを送る。
目の前では黒い水球が空に浮かぶ中、裏手に漏れてくる鍛冶親子の喧騒が大きくなる。
軒先ではケット・シーが大きなノビをして、驚いた蝶が青い空に羽ばたいていく。
いつの間にかこんな不可思議な光景も日常と思えるものになっていた。
こんな感じを幸せだなんて呼ぶのかも知れない。




