22:ひゃっ!
「ひゃっ!」
飛び散った飛沫と呼ぶには大きい水の粒が、魔導士のローブを盛大に濡らす。
「集中を切らしてはいけません。もう一度」
離れた位置で見守る青みがかった銀髪女性の注意が飛ぶ。
魔導士はビショビショになりながらも、何度目かになる動作を繰り返す。
意を決したように杖を両手で掴む。
天を仰ぐような、何かを祈るようにも見える動作の終着。
祝詞を唱えるように、言霊を届けるように、魔法の言葉を紡ぎ、神秘を呼び起こす。
「الكره المائية قليلا【水球】」
放たれたマナの青白い光が水面へと宿り、球を形どる。
まるで丸く切り取られたように浮遊する水球。
フワフワと周囲を漂う。
水の精霊と戯れるようなその光景に川辺は時を止める。
『ビシッ……パシャッ』
何かがヒビ割れるような音、続いて水音と共にその聖域は突然終わりを告げた。
「あっ! うぅぅ……」
「今のは惜しかったと思います。固めるのではなく、包み込むようにするのです……少し休みましょうか?」
「まだ……おねがいしますっ」
◇
よくまぁ音を上げないもんだ。
また何度目かのびしょ濡れになった魔導士を掛け値なしに称賛する。
ここは村の南東の外れ。側を流れるセーブル川の川辺。
上流で見たような清流の場所から少し下ったためか、川幅も広がり大小様々な岩が転がっている。
少し緩やかになったが相変わらず流れる水は美しく、流れを堰止める岩下の白い水泡のコントラストが彩りを添える。
「なかなか根性のある若者ではないか。んっ……まだまだこの時期は水が冷たい」
靴を脱ぎ、手頃な岩に腰掛け、足の指先で航跡波のような小さな波を作ったのは緑髪緑眼のエルフ。
眼差しは優しく修練を続ける魔導士を見守り、長い髪は吹き抜ける風に遊ばれ揺蕩う。
その姿は森の妖精が水と戯れているかのように幻想的で、神秘的で、別世界を思わせる。
俺は傍らの岩にどっかりと腰掛け、魔法とエルフの神秘性に目を奪われ、『絵になるなぁ 写真撮ってもいいかなぁ?』なんて浮かれた事を思っている。
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今日を休みとした俺は、午前中からぶらぶら商店巡りを始めた。
もちろん釣り具を探すためだ。
今はお昼を大分過ぎてしまっている。
つまり結果を言ってしまえば、無かった。
……そもそも川釣りの道具っていう概念が。
『こんな素晴らしい渓流があるのに売ってないとかありえんの?』と訝しみ、釣り具は無いのか雑貨屋の店員に聞いてみると、
『川魚を道具で獲るとかありえんの?』という顔でポカーンとされた後、若干可哀そうな人を見る目で『海での魚取りの魔道具なら近くだとロンメルに売っているかも知れませんよ』とアドバイスを貰った。
『かなり値は張りますが』というオマケ付きで。
恥は承知で一般的に川魚はどう獲るのか聞いてみるとこんな簡単な回答を貰った。
『もちろん浅いんだから投網や水魔法で獲ってるんだよ』と。
――自分のポンコツぶりを再確認した。
そりゃそうだ。水そのものを操れるんだったら、中にいる魚だってどうとでもなるよな。
水深の深い海は専用の魔道具を使うが、自身の魔法が届く範囲の川は魔法だけで対処もできるというわけだ。
道具が売っていないのは予想していなかった。
川釣りができない……海釣りでも値が張る……
……どうしよう。残りの日数は、なにを楽しみに生きていけばいいんだろう。
雑貨屋の前で立ち尽くす。
「やあ。コイズミ殿。聞いたぞ! 9級に上がったとな! おめでとう!」
「おめでとうございます」
もう少しで頭を抱えそうな俺に明るい声がかけられる。
目を向ければいつもの制服の代わりに落ち着いた花柄ワンピースを着たメルさんに、紺のスマートカジュアルを着こなすシェフィリアさん。
……休みかな? 仕事が無くても一緒にいるのか。ほんとに仲いいな。
「……はい。ありがとうございます」
「こんな短時間での昇級はなかなか……ど、どうしたのだ?!」
「いえ、……なんでもありません」
「いや明らかにおかしい! すまない! 我が何かしたのか?!」
「メル様は何も悪くありません。コイズミ様は声を掛ける前から、様子が違いましたよ」
切り替えに時間が掛かってしまった。心配させちゃいけないな。
「大丈夫です。なんでもありません」
「むーん。すまない。我は感情の機微に疎いようなのだ。なぁシェフィ。こういう時の『なんでもない』は『何かある』のだったな?」
「仰る通りです。苦悩をしまい込んでいると思われます」
「そうか……コイズミ殿……我は……我々は……信用できないか? くっ……いや……強制はすまい。話せるように……少しでも話せるようになったら打ち明けてくれ……」
「いやいや! そんな重大なことじゃないですよ!」
目の前でそんな苦渋に満ちた顔を見せられたら、俺の苦悩なんか石ころみたいなもんだ。
◇
「ほう。それで道具を求めていると!」
包み隠さず伝えると川魚は水魔法で獲るものだと思っているここら辺の人たちにとっては、どういった道具で釣るのかも分からないようだった。
えーと、ランディングネットと目印は代用が利くからいいとして……
「先端が適度にしなる長い棒に水に強くて透明で細くて強い糸、それに小さな錘に金属製の曲がった針です」
所謂ミャク釣りの道具を説明すると、
「ふむ。錘と針は鍛冶屋に頼めば良い物を作ってもらえるだろう。棒と糸は考えられるとすれば、『ブルートツリーの新枝』と『ラオーペの繰糸』だろうな」
ブルートツリーは知ってる。あの黒い木の魔獣だ。麻痺毒持ちの……
ラオーペは確か芋虫の魔物だ。図鑑で見て愛嬌のある顔をしていたから覚えている。
「どこかで買えますか?」
「『ラオーペの繰糸』は防具屋か素材屋だ。防具の縫製に使われる。ラオーペは『陽光の森』にも出現するから、容易に入手できるだろう。ただ、『ブルートツリーの新枝』に関しては流通していない……と思う。丈夫で良くしなるのだがマナの吸収効率が高いのだ。要は少しでもマナを吸収すると、伸びてしまうんだ。逆に排出すると縮む。建材にも使えず、これといった使い道がないのだ」
「建材になる幹や枝を持ち帰るもの一苦労ですから、どうしても流通しづらいのです。さらに言えば新枝は獲物に伸ばす鋭い枝です。使用後かも知れない枝を持ち帰る人が少ないのも理由の一つです」
あぁ……あれかぁ……あの牛もどきを狙っていた枝ね。
知っていれば拾ってきていたのになぁ……
うーん。竿は簡単には手に入らないか。
こいつは参ったな。希望が見えてきただけに悔しい。
しかも伸縮するとなれば、余計に実際に触ってみなければ使えるかも分からないよなぁ……
「良かった。その顔は元気が出たようだな」
メルさんが俺の顔を覗き込んで微笑む。
ん? あぁ……自然と笑顔になっていた。
――なかなかうまくはいかないから、楽しいんだ。
小さい頃、そこら辺の手頃な竹枝で小魚を釣っていたことを思い出す。
そうだよ。出来合いの物を買う必要なんてない。不格好でもいいからやってみよう。
「えぇ。ありがとうございます。助かりました」
「いやいや。我は何もしていない。魚を1匹ずつ釣り上げるとは思っていなかったから、面白い文化に触れる良い機会だ。協力は惜しまない」
「し、仕方がありません。私もお手伝いしましょう」
メルさんは興味本位という感じだが、なんだかんだ言ってシェフィリアさんも付いてきてくれる。
とにかく焦ってもしょうがない。
まずは近い防具屋に行ってみよう。
◇
防具屋のおばちゃんに『ラオーペの繰糸』はありますか?と言ったら、『何に使うんだい?』と怪訝な顔をされた。
でも事情を話すと心良く売ってくれた。20m巻程度で5000ゴル。
使いかけだからかなり値引きしてもらった。
髪の毛よりも少し細いぐらいだから0.1㎜以下、0.3号程度だと思うが、試しに引っ張ってみると全く切れない。
それこそビクともしない。
俺ぐらいの体重なら全然持ち上がりそうなんだが……なにこの抗張力。
天井糸も水中糸もこれ1本で賄えそうだ。
「ほら。専用のハサミじゃなきゃ切れないよ。お古だがこいつを使いな」
「何から何まで……すみません」
「なーに言ってるんだぃ。後ろで選んでる物は買ってくれるんだろう?」
おばちゃんのニンマリという笑顔に振り返ると、メルさん達がファッションショーさながらに防具を選んでいるようだった。
いや……あれはメルさんが着せ替えられているのか。
2人共楽しそうだ。……特にシェフィリアさんの目が輝いている。
おばちゃん商売上手だなぁ……悪い気はしない。
元々お礼を用意するつもりだったし、何かと世話になっている二人だ。
何か菓子折りでもと思っていた。
防具は少し色気が無い気もするけど、この世界では実用的でいいかも知れない。
どうやらファッションショーに満足したらしく手に何か布を持ってきた。
バンダナかスカーフ?
すると【冒険者の証】を出し、サっと会計を済ませてしまった。
「この場で買ったものですまないが、コイズミ殿。受け取ってくれ。昇級祝いだ」
「えっ! そんな……いいんですか?」
「これには『清浄』と『呼吸』のルーンが刻まれている。またバレ坑には行くのだろう?
3層のレッドファンガスの胞子からも呼吸を助けてくれる。それに『陽光の森』の奥に行くなら必須装備だ。
我に……少し先輩面をさせてくれないか?」
一瞬受け取るのを躊躇してしまうと、少し照れ臭そうな笑顔でそんな事を言ってくれる。
マジ天使。
かなり必要な物をプレゼントしてくれた。
嬉しいけど申し訳ない……
「……ありがとうございます。大切にします」
「当然です。傷一つ付けてはなりません!」
えぇ……何あの目……シェフィリアさんの目が怖いんだが……
「ははっ好きに使ってくれた方が我は嬉しいぞ」
「……メル様がそう仰るなら……コイズミ様。これを」
一瞬だけ『ぐぬぬ』と聞こえてきそうな顔をした後、シェフィリアさんも何かのカードをくれた。
「ありがとうございます。これは?」
「バスの周遊券です。か、勘違いしないでください。……社割が効いただけですので」
えぇツンデレ?!
それに気が利くぅ! ありがてぇ!




