16:一狩り
一狩りは十狩り以上となり草原の隅々まで探し回ってしまった。
時刻は3時。2時間は探した。心地いい疲労感だ。
結局ヤックを襲っていたのは最初の2匹だけで、他は遠目で様子を見ているような奴らばっかりだった。
でかかった奴は当たりだったようで、魔石は少し大きめ。
まぁ楽しみながら現物の小遣いが出て、ちゃんとクエスト報酬も貰える。
こんな面白い仕事は経験がない。
それは行動にも現れてしまっていたようで、チュバを根こそぎ狩って回っているのをモーリーさんや他の従業員にちらちら見られていたらしい。
大の大人がはしゃぎながら狩る姿を……恥ずかしい……
『何体仕留めたんだ?』と聞かれたから正直に10体からは数えてませんと答えた。
『腕のいいのアーチャーと同じぐらいだ』と驚かれた。
頼りないように見えていい仕事だったと褒めてもらえたから良しとしよう。
その甲斐もあって元々の報酬の牛乳2瓶に加え、チーズの詰め合わせを貰った。牛乳瓶は思っていたより大きく1.5ℓほどの大きさだ。
俺には多すぎる。後でローザさんに差し入れよう。
世話になった人に少しでも恩を返せたらと思う。
◇
ギルドに帰るころには薄暗く、もう夕方になっていた。
メガネ受付嬢のヤナさんにクエスト完了の報告をする。
「初クエストお疲れ様でした。いかがでしたか?」
「えぇ何とかなりました」
「それは良かったですね。……怪我も無さそうですね。それではクエストの完了登録をしますので、こちらに冒険者の証を近づけて下さい」
ルーンの書かれた石板に近づける。
ピコーンと音がした。
「はい。確かに。これでクエスト完了です。冒険者の証に入金もされていますのでご確認ください。
それと一つご報告があります。昨日の素材取引で貢献値が9級への昇格値に達しました。後は残り2個のクエストクリアで昇級となります。無理せず頑張ってくださいね」
ディーツーのお陰で早く昇級できそうだ。
◇
宿への道すがらローザさんの診療所に顔を出すことにした。
訪問診療を終えたローザさんは綺麗な刺繍の入ったローブを外し普段着になっている。
普通の人であれば強調しないような服装でもローザさんが着るだけでこんな破壊力が……
フワッとしたパンツスタイルで落ち着いた雰囲気とのギャップに少しドギマギしてしまう。
俺は誤魔化すように手早くクエスト報酬のチーズと牛乳1瓶をお裾分けした。
「あら~ありがとうございます。モーリーさんの所のは美味しくて人気なんですよぉ。よろしいのですかぁ?」
「えぇ。私一人では使いきれませんし、お世話になりましたので」
「それでは……もしお夕飯まだでしたら一緒にどうです?」
「いえ。今日は牧場で汚れていますし、それに汗もかいていますから」
ローザさんの料理は美味しかったが、お礼をしたいのに逆に持て成されてはと思ってしまう。
「気にしませんよぉ。それにコイズミさんが気になるようでしたらお風呂も有りますし、良ければまたお体をお拭きしますよぉ? うふふ」
ローザさんは艶っぽい唇に少し揶揄うような微笑みを浮かべる。
「いやいやそこまで……ん? 拭く? ……また?」
「えぇ。外傷を確認するために服を脱がしましたので、その時に」
あぁ……そういや起きた時下着だった。
思い返すと確かに寝起きの割には全然気持ち悪くなかった。
これはなんと言っていいか……かなりこっぱずかしい。
「それは大変……その……お手数おかけしました」
「いえいえ。だから気にしないでくださいねぇ」
なにが『だから』なのかは分からないが、ローザさんには頭が上がらないことは分かった。
正直言えば女性が作ってくれる手料理というのは、外食とはまた違った良さがある。
「じゃあすみません。お言葉に甘えます」
「うふふ。用意しますので良かったら体を流してきて下さい」
――シャワーで汗を流す
人の家で浴びるシャワーは何かあるわけでもないのに……何故かソワソワしてしまう。
色んな妄想が浮かんでしまうが、『恩人相手に浮かれんな!』と良心が叱咤する。
冷静になり、倉庫から着替えを取り出し着替える。
さっぱりした俺はダイニングキッチンに向かう。
入る前からチーズのいい匂いがする。
お裾分けしたチーズを早速使ってくれたようで、グラタンのように見える料理ができていた。
「おぉ! 美味しそうですね」
「ちょっと待ってくださいねぇ。最後の仕上げっと。『صلاه النار الصغيرة【藁火】』」
目の前で手のひらから小さな炎がグラタンへ移る。
チーズに適度な焦げ目をつけていく。ふわっと食欲をそそる香ばしい香りが広がる。
ローザさん火の魔法も使えるのか。いいなぁ魔法。
「さぁ召し上がれ。熱いので気を付けてくださいねぇ」
「いただきます」
スプーンで切り込みを入れる。トローっと蕩けたチーズの下に敷いてあるのはバゲット。
チーズとホワイトソースを吸ってふわとろに柔らかくなっている。
よく冷ましながら口に運ぶとガツンと濃いチーズの味とホワイトソースが絡み合う。
酸味、甘味が渾然一体となり、味覚を刺激して濃厚な旨みを伝えてくる。
ベーコンの塩気と細かく切ってある玉ねぎのようなシャクシャクの野菜がまたいい歯ごたえになっているため食感も楽しい。
とても短時間に作られた料理とは思えない出来栄えだ。
「うまっ 昨日も思いましたが料理お上手なんですね」
「いえいえ。ありがとうございます。このソースを掛けるとまた味が変わりますよぉ」
味変の用意まで……
男は胃袋で掴むと言うが、それはもうガッツリ掴まれた。
それから今日の初クエストについての話やチュバがキモイ話など色々な話題で盛り上がった。
時刻は早いもので8時ぐらいになっている。
片付けを手伝おうとして、またもやんわり断られた。
これは恩を返すのに苦労しそうだ。
「ご馳走様でした。すっかり遅くなってしまって」
「うふふ。いつでもお越しください。必ずまたお土産話を聞かせて下さいねぇ」
玄関先でちょっと背伸びをしたローザさんは俺の頭を優しく撫でる。
嬉しいような、心の奥がむず痒いような……
なんだこの世界は。
甘やかす風習でもあるのだろうか。
◇
帰り道。
周りの木々から聞こえるざわめきと共に、頬を撫でる涼風が浮かれた気分を静める。
森の村の夜は暗い。
道を外れれば、この星の月の柔らかな光がなければ真っ暗だ。
その分見上げれば満天の星が瞬き、きっと行き交う誰かに尋ねれば聞いたことのない星座を教えてくれるだろう。
聞こえる音は広場からだろうか。
流れるような弦楽器の音色、跳ねるような笛の音、躍りたくなるような旋律はケルト音楽に似ている。
この時間はまだ宵の口と言わんばかりに広場の屋台には人が集まり、談笑の輪を広げていた。
しばらく軽快な音楽に身を委ねながらゆっくりと歩く。
初めてのクエストを無事に終えることができた。
慣れない環境で1ヶ月過ごせるか不安もあったが、どうにかやっていけそうだと少し安心する。
『必ずまたお土産話を聞かせて下さいねぇ』
ローザさんの別れの言葉が心の隅っこに住み着いて、どこかほっこりと暖かい。
思い返すと“必ず”に僅かに力が入っていた。
職業柄、知人に話を聞けない状態で再会する事もあったかも知れない。
――“必ず”元気な姿で会いに行けるようにしなきゃなぁ。
明日も頑張ろうと思えた。
広場から聞こえてくる喧騒は尚も大きくなり、満天の夜空に溶けていく。
静かな森の騒がしい村の夜はゆっくりと更けていった。




