145:牙亭のシリル
『牙亭のシリルだって?!』
『なんで?! どうして?!』
『あのシリルちゃん?! 何やらかしたんだ?』
その時、ざわつく民衆はふわりと撫でる風を感じ目を向ける。
そこには高台から風を纏って降りる戸惑うシリルの姿があった。
階段の中腹に降り立った彼女は、今までいた高台の方を見つめ静かにうなづくと登り始める。
そこには静々とした様子とは裏腹に断頭台へと上がる者を連想させるほどの覚悟、あるいは決意が見て取れた。
最上段にたどり着くと流麗に跪いた。
何か声をかけられビクリと肩を震わせる。
固唾をのんで見守る民衆の前、手をかざされると僅かに光を放ち、黒い髪飾りが外された。
次の瞬間。
くすんだ茶色の髪が艶やかな金色へと変貌を遂げる。
王族の証とも言えるその美しい髪色が遠くからでも視認された。
『ッ! な、なんだって……シリル?』
『えっ……あれは……シュリ……姫様?』
『シリルちゃんはシュリ姫様?』
促され立ち上がり民衆へと向き直る。
そこには普段着に身を包む王女殿下のドレスを纏わぬとも気品に溢れた立ち姿があった
少し乱れた呼吸を深呼吸で抑え込む。
揺蕩う噴水の水面のようにシュリは静かに語り始める。
――私がここに立つことに戸惑う者もいるでしょう
――理由はどうあれ姿を偽り、城下に潜伏していたのです
――……その導因となったこの場に相応しくないと考えるのは至極当然と思います
『お、王族が謝罪すんのか?』
『けっ無理だろ。それに今更どんな事言ったって遅すぎだろ』
『姿を変えてみんな騙してたんじゃねぇ?』
『メイドとか苛めてたって聞いたぜ』
『危うく取り返しのつかないことやったんだもんな』
『しかもあの『小さなヒロイン』をだぜ』
――あの日、私はそうするべき行動であったと考えていました
――王族たるもの模範を示さねばならない
――法令遵守が絶対であり法を守ることこそが王国のためであると信じて疑わなかったのです
『おいおい何を話すつもりなんだ? 謝罪じゃないのか?』
『クソみたいな言い訳だったらどうするよ』
『お、おいっ 憲兵が聞いてたら捕まるぞっ』
――ですが、城下にて知ることになりました
――卑劣に金品を盗むスリがいること
――不認可の拳闘賭博や闇クエストが行われていること
――……飲食店の店員への痴漢が横行していることを
――平和に華やかに見えた王都にも影があり
――それでも王都は成り立っていたことを知りました
『な、なんだって……』
『ッ! まさかっ潜入調査を……』
『や、やっべぇ……手出したのやっべぇ!』
――私は知りませんでした
――金品を貰わずとも往来を掃除する人達がいること
――全く悪くなくとも謝罪出来る人がいること
――言葉がなくとも行動で教え導くことが出来ることを
――法に囚われずとも力強く誇りを持って働き
――陰ながら支えていた者たちの輝きがあることで
――影のある王都を華やかな王都たらしめていたことを……知りませんでした
『……シリルちゃん』
『あんなに物珍しそうにしてたもんな……』
――私は思い知りました
――王国法は守る為にあるのではなく
――誰かを守るためにこそ王国法はあったのです
――信じて疑わなかった模範となるべき姿は
――上辺だけの矮小な価値観でしかありませんでした
――……王国の繁華に真に大切なものは
――王国法全書や宝石箱の中には入ってはいませんでした
――日々を楽しくあらんとする人々の輝きこそが大切だったのだと……思い知りました
いつからか扇動する派閥の野次だけでなく小さなざわつきまでもが消えていた。
小さく震えながらも力強いシュリの言葉が広場に響く。
――だから……私に教えてくださいっ
――また綺麗な紋章の書き方を
――今度は巨大な柱の建て方を
――次はより硬い貝殻の割り方を
――上手な痴漢の投げ飛ばし方を教えてください
窓から見ていた紋章術士は鼻を鳴らし、木組みの上の棟梁は嬉しそうにため息をつく。
高台の観光案内人は目を丸くして、宿屋の女主人は破顔して細腕に力こぶを作った。
――従魔の硬い毛並みの梳かし方を
――横笛の吹き方や軽快な踊り方を
――大きくて重い荷物の運び方を
――丸くて可愛いフルーツの切り方を
――柔らかくて美味しいパンの焼き方を
――力強く美しい花の育て方を教えてください
『あらゆる物を興味深そうに眺める店員』を見かけた者が思い出しほほ笑む。
『宣伝や呼び込みに目を輝かせて飛びつく店員』を見た者が胸に手を当てる。
『丁寧に出前籠を持つ店員』から料理を受け取った者達には照れくさそうな笑みが広がった。
――気になっている友人のこと
――こうるさい上司への不満
――美味しくなかった木の実のこと
――初めて気持ち悪いグールを倒したこと
――可愛いおもちゃを買ってもらったこと
――楽しかった怪盗演劇のことを教えてください
冗談にも馬鹿正直に反応するシリルを揶揄った者達。
ありきたりな軽口話にも大仰に驚くシリルを見守った者達。
料理よりシリルに会う事が楽しみになった者達。
彼ら彼女らの心の片隅にいつからか居ついていたクソ真面目な若者の姿が気品有る立ち姿に重なった。
――どうか皆さんの事を教えてください
――どうかあなたの事を教えてください
――どうか……わらわの大切になってくださいっ
それは『謝罪』ではなかった。
それは『クソみたいな言い訳』でもなかった。
次々と紡がれたのは疑問を繰り返す幼子のように純粋で、巣立つ雛鳥のように好奇心に溢れた『願い』。
一国の王女殿下が国民に願ったのは『教えて欲しい』というありきたりな言葉だった。
そのありきたりな言葉だからこそ。
溢れていたあらゆる王女殿下に対する醜聞を覆すには十分だった。
王族が故に嗚咽を上げ謝罪の言葉を口に出来ずとも、王族が故に公けに頭を下げることが出来ずとも、言葉ではなく行動で語っていた姿が聢と肺腑を衝いた。
『ったく……しょうがねぇな次は大黒柱だな』
『熊さんカットだったら教えて上げられるかしら』
『弦の張り方でもいいかなぁ?』
『じゃ、じゃああたしも籠の編み方でも』
『お、おいっ! そんなに簡単に許していいのかよっ』
『あたしたちを騙していたんだぞっ』
――あっ
その時、誰かの小さな驚きが聞こえた。
◇
そこには群衆から抜け出してほんの2、3歩。
少女が駆け寄ろうとしていた。
その子は頭の上にスライムを乗せ、胸に何かを抱えているように見える。
見守る両親の前、槍で封鎖する警護騎士の前で行儀よく止まる。
次の瞬間。
導くように騎士達が道を開けた。
わっと歓声が上がった時にはその歓声に後押しされるように槍のアーチを潜り、少女は階段を登り始めた。
手の塞がった大きな一歩がどう見ても危なっかしく映る。
するとふわりと風に纏われた。
そのまま壇上へ滑り上がるように登っていく。
少女は驚きつつも笑顔で高台へと手を振り、あっという間に壇上へと舞い降りた。
「あっ」
降り立つ刹那。
少女はバランスを崩し小さくよろめいた。
シュリは思わず駆け寄り、背中を支える。
腰を支えたスライムと共に体勢を立て直した少女は恥ずかしそうに頬を染めた。
「えへへ。ありがとう、なの。また助けてもらっちゃったの」
「ッ! リリー……わらわはっ……」
「ほらねっやっぱりおにあいなの」
受け渡されたのは、花飾りと同じように赤く色づいたヒメユリのブーケ。
それはまるで誂えたように彼女に似合っていた。
次の瞬間、噴水広場に弾けるような大歓声が上がった。




