144:薄っすらと朝日が差し込む
薄っすらと朝日が差し込む。
顔を洗い、薄く化粧を乗せて、鏡に映る見慣れた虚像を見つめる。
日毎に赤く色づいた花弁を髪留めして、忌まわしかった黒い髪飾りもハンカチで丁寧に磨く。
慣れてきた朝の準備。
微妙に開き切らない瞳の下、『少し寝不足かも』と分かる程度の小さな隈が映る。
『それもそうだ』とシュリは振り返り、『逆によく起きれたと褒めてやりたい』とフフッと笑った。
幼獣杯で優勝した一行をもてなした昨晩、シュリは勤務時間が過ぎても手伝いをしていた。
給仕の傍ら、主役である『小さなヒロイン』が語る幼獣杯の裏で繰り広げられていた奮闘に心が躍り、森の麗人が語るそこに至るまでの摩訶不思議な修行譚に胸が弾み、初めて見るシェフィリア先生の酒乱ぶりに驚いた。
その胸躍る気持ちが布団に入っても目を冴えさせてしまい明らかに寝不足。
驚嘆すべき快挙の裏話は、それほど刺激的で爽快で、愉快だったのだ。
どの裏話の中心にもいた彼は、既に日課の『朝まずめ』に出かけているだろう。
夜更かしをしようとも行われる規則正しい生活と、それを遂行する無尽蔵の体力は到底真似できるものではないとシュリは笑みを深めた。
『さてそろそろ朝飯の用意』と軽く頬を叩き目を覚ます。
着慣れた制服に袖を通し、いつもの一日が始まる。
◇
いつもの一日が始まらなかった。
寝不足を感じさせないレジーナから告げられた『シリルは今日休みだよ?』という言葉。
そう言えば聞いた記憶がある。
それに今考えれば自主的とは言え労働協定からしても、過重労働になってしまうことは明白。
シュリは『どれだけ浮かれていたのか』と自嘲すると同時に、急に出来てしまった休日をどう過ごせばいいかと思案する。
祭りのメインイベントも終わり、今朝から帰路に就く者たちが多いことだろう。
ならば郊外の建築現場に行こうか。
いや、孤児院に顔を出すのもいい。
またなめし革工場に手伝いに行ってもいいかもしれない。
それらの休日の過ごし方に、まるで宝物を思い浮かべるように胸が弾んだ。
「あ、おはようございます。シリルさん。あれ、今日は休みでは?」
「おはようございますトモヤ先生っ! 今食事をご用意いたしますっ 今日はカブーの味噌スープとマリンバター焼き、神獣様には焼きロショウがおすすめですわっ はい、お水ですわ!」
予想した通りの『朝まずめ』帰りを出迎える。
いつものカウンター席に案内すると即座に注文を取った。
「う、どうも……じゃ、じゃあそれを」
「かしこまりましたわっ」
ここ最近、急に狭まった距離感に戸惑う素振りにもどこ吹く風。
素早く魔導具を操作して厨房へ注文を通す。
学びとは常にあるもの。
敬愛する者たちに気を配ることに休日もなにも関係はない。
その敬愛する彼は料理を待つ間、いつも決まって『スマホ』と呼んでいる魔導具に映る魚を見る。
そのどこか幼くも見える横顔を間近で眺めるのは、シェフィリアがいない時の特権だった。
しかし、今日は違っていた。
「えーと……今日は休みなんですよね?」
「えぇ。そうですわ」
「……じゃあ、ちょっと付き合ってください」
「ま、まぁ! もちろんですわっ!」
◇
『やっぱり赤が似合う』と言っていたレジーナに感謝しながら一番新しいお下がりに着替える。
しかし、急なお誘いに美味しい賄い料理も急いで食べてしまうほど高揚した気持ちは即座に鎮静した。
2人でお出かけと思っていたら、なぜか貝殻の件で世話になったスクアロが合流したのだ。
若干のモヤモヤを抱えたまま案内されたのは普通の民家。
その家主に一声かけると民家を突っ切り、軒先から路地裏へ。
辿り着いたのは王城へ続く噴水広場を真横から一望できるちょっとした高台。
目の前に広がるのは、広場に押し寄せた民衆と『ここから侵入禁止』と言わんばかりに警備する物々しい装備の騎士達だった。
シュリは知っていた。
これから始まるのは『閉幕宣言』。
『開催宣言』とは逆回りに噴水広場を巡り、建国祭の締括とするのだ。
「どうです? いい場所でしょう?」
「おーい、にいさん。それは俺のセリフだぜ」
「え、えぇ。……感謝いたしますわ」
「そ、そんな畏まられるとこっちも困っちまうぜ」
確かにここはいい場所だ。
明瞭に思い出すことが出来る。
この場で起こしてしまった過ちを。
この場から飛び降り最悪の凶行を未然に防いでくれたことを。
逆の立場から見ていた事が遠い昔のように感じられる。
もう民衆の立ち位置から見るこの光景には違和感を覚えない。
少し前を向くことが出来るのは『小さなヒロイン』と先生たちのお陰だ。
突如、歓声が上がった。
見えた煌びやかな装いというより落ち着いたドレス。
階段上に進み出たのはミア・ド・シャッツフルス国王陛下。
閉幕の式典が始まる。
「……やっぱり噂は本当だったようだぜ。この場にも出てこねぇってことはシュリ姫は軟禁されてるみたいだな」
「ッ! ……」
跳ねる心臓を抑え、シュリは耳を傾ける。
この場に本人がいるとも知らず神妙な面持ちのスクアロは続けた。
「そりゃあんな事をやらかしたんだ。とても人前にゃ出せねぇだろうよ。今でも話題には事欠かねぇしな。訳わかんねぇ影武者を作ってるって噂まであるぐらいだ。ただまぁ雑誌社の奴らが嗅ぎまわっても、部屋から本当に一歩も出てねぇって情報しかないらしい。秘密裏に帰って来たデルフィーノのクソ野郎も含めて、なんかあったのは間違いねぇよな……にいさんは何か知ってんだろ?」
「ははっクソ野郎は不敬ですよ。まぁ……人並程度には知っていますかね」
「デルフィーノ領の誰かとは言ってねぇんだけど『不敬』ねぇ。……今の話だって機密に近いんだぜ。流石は迷宮技師様ってわけだ」
『フワゥ』
不敵に笑い合う二人を他所に神獣は呑気に欠伸をすると横たわる。
対照的にハッとしたシュリは、愁いを帯びた瞳で王城を望み、思いを馳せる。
『アルメリアはどうしているだろうか』と。
たとえ毎日違う服を着られなくても。
仕事に追われて眠る日々だとしても。
以前のような豪華な食事もなく、煌びやかな宝石を身に着けられなかったとしても。
王国法全書を諳んじ、暗殺や毒殺に怯え、政権争いに構える無機質な日々に未練はない。
それは諦めや妥協ではなく、今考えれば追放されて良かったとさえ思える。
シュリに対する罵倒も根も葉もない噂も受け入れる。
このままシリルとして過ごすことにも不服はない。
しかし、アルメリアは自身の命に従ったがゆえに軟禁され自由を奪われたままなのだ。
このままで良いだろうかと思案するも、何も力を持たない自身に何が出来るのかと無情な現実が思案を遮った。
その時、大噴水が静かに止まり群衆の歓声も徐々に収まる。
そこでふと違和感に気が付いた。
ファンファーレが鳴らないのだ。
王族が関わる式典に手違いなどあってはならない。
群衆にも徐々にざわつきが広がる。
――『閉幕』は『開催』を宣言した者が行うのが慣例
――ならばシュリ・ド・シャッツフルスが行うのが適当である
女王陛下の有無を言わさぬ口調がざわつきを遮る。
届いた言葉にシュリの心臓が飛び跳ねた。
『えー……シュリ姫様? 今更なに言うの? 謝るの?』
『王族が謝れるわけねぇよ。それに謝ったってどうにもならねぇだろ』
『あのリリーちゃんを罰そうとしたんだもんなぁ言い訳でもするんじゃね?』
『わたしお花貰ったもん! あたしはリリーちゃんの味方だよ!』
『あの現場近くで見てたけどよぉ……今更なんか言っても……白けちまうよな』
『ほんと、なんか白けちゃったわね。帰ろっかぁ』
『いやぁ……別に、ねぇ? なんか別にって感じだよねぇ』
ちらほらと民衆が踵を返し始める。
それは離れた民心を如実に表していた。
――『神獣の牙亭』のシリルはこれへ
しかし、続いた前代未聞の指名に式典では起こり得ないざわつきが巻き起こった。




