15:あれって魔物だよな……?
あれって魔物だよな……?
遠くにはヤックと睨みあっている小さな影が見える。
「魔物を見つけたのでちょっと見てきますね」
クエストは終わったのに珍しい奴だという顔をされたが、『まぁ気を付けろよ』と他の家畜の世話に行ってしまった。もうすぐヤックの子供が生まれるんだとか。
『さてと』と気持ちを切り替え、槍を取り出す。
その影へと恐る恐る近づいていく。
他に身を隠す場所も無いので少し離れた位置から背の高い草に隠れる。
「ブモゥ!」
「チッチッ!」
様子を伺うと他に比べると比較的小さい、と言っても軽自動車ほどのヤックは1mぐらいの魔物と対峙していた。
ヤナさんとモーリーさんの説明にあった通り、チュバは黒い毛を生やした2足歩行の蝙蝠モドキで大分キモイ姿をしていた。
『可愛くないのだ』と言っていたメルさんの言葉も頷ける。
今は明るいから見えるが、夜なら黒くて見つからないだろうな。
「ブフン! ブモゥ!」
ヤックは鼻息荒く『いつでもいってやんぞ』と威嚇を繰り返す。
余分に見える前足2本は、ああやって威嚇に使うのか。
チュバは一旦下がるが回り込むようにしてすぐに戻ってくる。
小競り合いには終わりが見えず、ヤックには苛立ちが募っているように見えた。
◇
次の瞬間。
前の奴に気を取られている内に草むらから大きなチュバが飛び出す。
そのままヤックの尻に組み付いた。
鋭い爪が皮膚を突き破る。
「ッモゥオー!」
すぐにがむしゃらに身を揺すり振り払う。
引き剥がした時には鮮血が流れていた。
突然の惨劇。思わず息を呑んだ。
――これが魔物
「「チッチュ! チッチ!」」
動揺を他所に、連携を始めた大小のチュバ達はヤックを挟みながら旋回し隙を伺う。
――助けなければ
そんなよく分からない使命感が俺をその場に縫い付けた。
逃げ出したくなる恐怖や不安を槍を強く握って抑える。
ぶるぶると切っ先が震える。
買った槍はこんなにも頼りなく短かっただろうか?
動けずにいる俺の前では尚も攻防が繰り広げられる。
どんなにチュバが背を向け隙だらけに見えようとなかなか踏み込めない。
ちょっと見てみたいという楽観から迎えてしまったこの初戦闘においては、『無経験』という足枷は致命的と言えた。
「ブーモゥ!」
怒髪天。『調子に乗るな』と怒涛のごとき勢いでヤックは突進する。
しかし、当たらない。
2匹が連携することで的を絞らせない。
うまく躱し、隙を見つけ近づく。
黒い魔物はヤックの怒りをも利用し老獪にも思える手段で血を狙う。
繰り返される突進は何度もすり抜け、ヤックの目は血走り、その呼吸には怒気が混じる。
「ブフン!」
激昂したヤックの威嚇
俺に向かって魔物の背が近づく。
っ! 今だ!
ギュッと槍に力を込める。
震える手もそのままに前へ駆け出す。
力の限り! 思いっきり! 槍を突き出す!
『トスッ』
浅いっ!
勢いそのままに地面に押し倒し、倒れ込むように槍を突き立てる。
『ッギジュ』
槍から伝わる硬い感触。
釘をねじ込むような不快な音の元凶は骨か砂利か。
肩で息をする俺の下でチュバは小さく身じろいだ後、その形を崩し始めた。
背中から槍の柄を生やした黒い塊は、塵へと変わり散っていった。
「はぁはぁ……」
鼓動が収まらない。
力の込めすぎで若干痛くなった手を振ってほぐす。
地面に刺さっている槍を引き抜いた。
まだ終わってない。喜ぶのは早い。
ぐっと湧き上がるその場で叫びたい気持ちを抑え、周囲を確認すると俺の喜びを他所にもう一体の大きなチュバは尚もヤックを狙っている。全く逃げる気配はない。
ゆっくり後ろに回り込む。
尚もチュバは回り込む俺を無視してヤックの動きを牽制している。
それにしたって全然反応しないな……
もしかしてこいつは目が良くない……のか?
元々夜行動していたなら夜目に特化するか他の器官で補っていたはずだ。
そうなると聴覚か嗅覚か……
そうだっ!
マナ感知!
こいつはマナで対象を捉えてるんじゃないか?
『近づくと逃げる』と言われていたはずが全然逃げないのも合点がいく。
そうなるとマナなんて無い俺はチュバにとっては天敵だ!
よーしよし! やってやろうじゃねぇか。
土を踏みしめる。
ゆっくり背後から近づく。
1.5Mほどの大きなチュバもこうなればただの的だ。
全力で……突き刺す!
「っらぁ!」
『トッ』
「ぐっ?!」
硬ったいっ! ほんの少し刺さっただけだ!
「ヂッチッチュ!」
チュバは振り向きもせず、素早い動きでサイドステップ。
くそっ間合いを取られた。
「ヂッチュ」
離れたチュバは訝しむように鼻を鳴らす。
そして不意にくるっと顔が――赤い目が俺を捉えた。
――嗅覚。
――ここは風上。
総毛立つ。
気がついた時には黒い魔物は俺に向かって動きだしていた。
まずいっ
槍が震える。
だめだこんな槍じゃ倒せない。
どうすればっ
いや、武器のせいにするな! 俺の【力】だ!
『34』の【力】じゃ倒せない!
“最弱”を甘く見ていたのは俺だっ!
『どうすれば』そんな迷いが許されるほど、戦いは甘くない。
目前に迫る驚異に選んだのは『逃走』。
震える足を引きずりながらの間抜けな遁走。
しかし、さらに低い【敏捷】はそれを許さなかった。
魔物が真後ろに迫る。
止む無く重たい槍を後ろに放り投げる。
「はっ……んぎっ!」
『躱されたっ』と思った時には左腕に鋭い傷みが走った。
衝撃に為す術なく転がる。
深く抉られた肩が熱い。
庇う手にはドロッとした感触を感じる。
開くと今まで見たことないぐらい赤く染まった手のひら。
痛え……くそっまだ釣りもしてねぇのに……
吹き飛ばされ倒れこむ俺の元に、血を滴らせた爪が歩み寄ってくる。
やられてたまるか……
何かっ何か……
不意に感じた違和感。
右手のひらの先に……マーカー?
そうだ――範囲収納っ!
「チッチュ」
逃げなくなった獲物を味見するように、爪先の赤い雫を舐めとるように口に運んだ。
「ヂュ!」
突然長い舌を出し、吐き出すように頭を振る。
間違いない。俺の血はすこぶる不味いんだろう。
頭の片隅でそんな事を考えながら、黒い魔物に手のひらを向ける。
瞬間、チュバは口角を吊り上げた。
興味を失った獲物に鋭い爪を振りかぶる。
「命乞いだとでも? 『収納』!」
次の瞬間。吊り上げた口角が驚愕の表情へと変化した。
慌てふためくのも当然だ。
足元の地面が無くなったんだから――チュバの下半身と共に。
◇
体の半分を『収納』されたチュバは正方形の穴の中でパラパラと塵に変わった。
「……はぁ?!」
やっべぇこれ。地面に穴開けてやろうとしただけなのに。
マーカーが荒ぶってこんな事に……
「ん?」
塵に変わる時に『キラッ』と光る物が落ちた。
少し残った塵を手元に出して探すと米粒ほどの魔石を見つけた。
――初めて獲った魔石。
キラキラと太陽の光を反射する粒を眺める。
まるで初任給のように感慨深い。
あっと、そういや最初の奴はどうだ?
危ない。見逃すところだった。
同じように小さい魔石が転がっていた。
宝探しのような感覚に心が躍る。
「モゥ」
いっけねっ興奮のあまり忘れていた。ヤックの傷はどうだろう。
蹴っとばされないように遠巻きに後ろに回る。
あ~しっかり歯形が付いてる……痛そう……血も止まっていない。
チュバぐらいキモければ凝固を阻害する効果とか持っていてもおかしくないな……完全に偏見だが。
そういや昨日買っておいたポーションは『赤ちゃんにも大丈夫』と書いてあった。
動物にも効くだろうか。
「『倉庫』」
インベントリから透き通ったテニスボールより小さいぐらいの玉を取り出す。
これが一般的な下級ポーションで800ゴルほどだ。
透き通ったゴムのような膜で覆われていて綺麗な薄緑色の液体が入っている。
握り潰すか緊急時はぶつけて使う。
飲み物ではないが胃や内臓が傷ついた時は飲む。ちなみに二日酔いにも効く。
死ぬほどマズいと評判らしい。
さて、まずは俺の肩に……ってあれ? そういや痛くない。
触ると傷が消えている。
……あの傷がすぐ消えるって自己修復やばすぎじゃないでしょうかディーツーさん。
それならもっとこう【力】とか【魔力】とかどうにかならなかったのでしょうか。
「モゥ」
『ふぅ』と気持ちを切り替え、まずはヤックの治療だ。
コツが掴めない俺にはブニブニして握り潰せそうもないので槍の刃で少し切る。
驚くことにパッとポーションの膜が消えた。
慌てて出てきた液体をヤックにかける。
すると見る見るうちに血が止まった。
心なしか気分も良さそうに見える。
「モモゥ」
少し離れた位置で草を食べ始めた。もう大丈夫だろう。
さて、チュバは脅威ではないことが分かった。
もう一狩り行こう!




