137:焔のようなマナの揺らめき
焔のようなマナの揺らめき。
爪が、牙が、角が。
ウルスリノセロスの巨体が一丸の火炎となって文字通り転がるように走る。
高速戦闘時においても安定していた歩法が見る影もなく、砂を掻く前々足が精彩を欠き、足を取られ思ったように進まない。
それでも死に物狂いで前進しようとする従魔の姿は見るものに恐怖を植え付けた。
従魔であっても野性を取り戻せば最警戒すべき強化魔獣であると。
ガッジャッ
魔獣使い(テイマー)用の集音器が障壁の砕け散る音を捉えた。
映像魔導具に映るのは立ち上がり二足歩行から繰り出された渾身の一撃。
イッツミー商会自慢の障壁をぶち抜き、獲物を値踏みする牙獣の姿。
『キャアアアア』
『イヤァアア』
悲鳴が響き、親が子の目を覆う。
時間にして数秒。
一際小さく見える魔獣使い(テイマー)は逃げ出すことも出来ず立ち尽くす。
近づく惨劇。
次なる犠牲者の眼前に致命の爪撃が迫った。
ズガアアアアアアアンッ
魔獣使いエリアの床が弾け飛んだ。
◇
パラパラと砂埃と床材が落ちる。
砂埃が収まり見えてくる惨状。
巨体から振り下ろされた一撃は――
『ディアンさまぁあああ!』
『降って来たぁ?! あの実況席から?!』
『王牙剣だぁ! 片手でぇ?!』
何時ぞやの再現のように雄々しく立ちはだかる王国最高戦力。
迫る致命の爪撃を軽々と受け止めていた。
「リリー・オルテンシアよくぞ泣かなかった」
「絶対助けてくれるって言ってたの」
「ふはは! 見事な胆力だ! 本当にマナの残滓でも――っと救護班は急げ!」
『ブシュル! グルガアアアアア!』
涎をまき散らし間髪入れず逆腕が唸る。
暴れる牙獣は飛び込んできた異物に即座に攻撃を仕掛けた。
二足歩行から繰り出される残り3本の前足。
涎が滴り落ちる凶悪な牙。
人の手の数で足りないのは明白。
『ガアアアア――』
「哀れな」
ズドムッ
鈍い打撃音。
鋭く放たれた右拳にウルスリノセロスの巨体が浮き上がった。
しかし、受け止められ掴まれた腕が上昇を許さない。
「理性を失った従魔はこうも脆い」
ガツッ
落ちてくる牙獣の顎を軽く小突いた。
ドズーンッ
焔のようなマナが消え、意識を手放した巨体が地面へと落ちる。
静まり返った円形闘技場に大歓声が上がった。
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「ヴィクト! ヴィクト! どこに行っていたのですか!」
「ご指示通り動いておりました」
「愚か者! 始末もできず、これではシャトンは……お前はどうしてディアン様が居られるのに!」
「容赦をするなと仰られたのはタミア様ご自身でございます」
「な、なんですかその物言いはっ! まったく使えない! 察して動くのが――」
「果たしてそのような事を仰っている場合でしょうか」
「キィィ! 主人の言葉を遮るとは何事ですかっ!」
またもワインをぶちまけ少し冷静になった頭。
確かにこの場にいては都合が悪い。
「処分は追って下します! 本当に気が利かない馬鹿者共め! 急いで車の用意を!」
バダンッ
豪奢な扉が勢いよく開いた。
ノックも無く現れたのは揃いの鎧に身を包んだ王国騎士達。
「皆その場を動くな! クリニエール伯タミア様。抽選者への贈賄および不正賭博の調査のためご同行願います。追ってウルスリノセロスを暴走させた殺人未遂も調査されるでしょう。どうかご協力願います」
「くっ! 無礼者! 王国騎士団ごときが何を――」
ハッと気が付く。
このような大々的な調査が即座に行われるだろうかと。
裏工作を知っていてこの部屋から出た者は1人だけ。
その者に血走った目が向けられた。
「お前ですか! ヴィクトォ!」
「主人を諫めるのは執事長としての責務でございます」
「お前のせいで! お前のせいでぇ!」
「不徳の致すところでございます。ですが、あのような事をされてまで行うことにシャトン様はお喜びになるでしょうか」
「お前に何が分かる! 子の幸福を願う親の気持ちなど分かるわけがない!」
「仰る通りでございます。良家と縁を持つことだけが幸福であるかは私よりタミア様の方がご存知でございましょう」
親によって選ばれた自身の婚姻。
貴族制などクソくらえと嘆いた日々。
その日々を支えてくれたのは目の前のヴィクトだ。
「くっ……お、お前も同罪なのだぞ!」
「元より私も随行させていただく所存にございます」
ヴィクトは折り目正しく礼を行った。
「なっ……」
「主人と共に在るのは執事長としての責務でございますから」
「ヴィクト……」
「僭越ながら。子を想う親心に罪は無く、至ってしまった立場と選んでしまった選択にこそ罪があるかと存じます」
いつから両親と同じ道を辿っていたのだろう。
いつしか嫌悪していた腹の探り合いと足の引っ張り合いの日々に慣れてしまっていた。
シャトンの事を想えばと良い食事を与え、良い教育を与え、良い家柄こそが幸せであると思ってしまっていた。
『シャトンは喜ぶか?』
答えは否だ。
その道を歩み実際に体験したタミアだから分かる。
誰かを犠牲にしてまで得た良いと思っていたモノは、毛嫌いしていたはずの悍ましい貴族の姿だった。
「……先ほどは酷いことを言いました。ヴィクト。これからも着いてきてくださるかしら?」
慇懃に礼をしていたヴィクトが体を起こした。
「勿体ないお言葉にございます。ですが私も謝罪申し上げなければなりません……私が暴れるウルスリノセロスに選択したのは闇魔法【鎮静】でございます。王国騎士団の方々にはご足労を頂きましたが、殺人未遂とその教唆については有益な情報を持ち合わせておりません」
「ッ!? なんですって!」
「そして大会関係者の皆様、もちろん前試合抽選者のウーキン様にも我がクリニエール伯爵領のワインを贈呈させて頂きました。こちらがもし贈賄等に当たってしまうのであれば、タミア様には罰金と明朝より社会奉仕活動が待っております。お覚悟くださいませ」
「お、お前はっ! うぅぅぐぅうう……ああもう! ヴィクトッ! 着いてきなさい!」
「はい。お任せください」
執事長ヴィクトはニヤリと微笑んだ。
◇
女主人と執事に拘束は無く、まるでエスコートされるように優雅に連行されていく。
未だ興奮冷めやらぬ円形闘技場からのざわめきが響く廊下。
そのVIPルームへ続く柱の陰には赤い猫耳がピコピコと動いていた。




