134:この愚か者!
「この愚か者! どうして始末できないのですか!」
「申し訳ございません。控室から尋常ならざるマナ圧を感じました。強力なボディガードを雇っているようでございます」
ガシャン
美しい光景に沸き立つ観客を見下ろすVIPルーム。
癇癪とグラスが飛び、絨毯に染みを描いた。
「言い訳は聞きたくありません! あんなものをどうするのか聞いているのです! 確かに小さくはしました! ですが何なのですかあの銀色のバケモノは!」
「既に手は打ってございます。抽選者ウーキン様には握らせて――」
「足りません。より確実なものとするのです」
「……」
主人を諫めるのは執事長としての業務であり責務。
他の使用人のように動揺を表には出さず、ヴィクトは言葉を選んだ。
「お言葉でございますが、これ以上は余りにも――」
「ヴィクト。もう十分にあの娘は名を上げてしまっているのです。平民の猿などに容赦することはありません。……分かりますね?」
「……はい。お任せください」
お辞儀と共にヴィクトの視線が落ちる。
絨毯に広がりゆく赤い染みのように奸計が動き始めた。
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「やったな! リリー!」
「うん! メルししょー! やったの!」
「ふははは! この調子でぶっ飛ばしてやるのだぁ!」
「おー!」
『ポブチ!』
『ウオン!』
圧勝に次ぐ圧勝にメルさんも大喜び。
見守るサリーさんもほっと一安心のようだ。
「見事に作戦が嵌りましたね。流石です。トモヤ様」
「いやいや。シェフィさんの対戦相手情報とリリー達が頑張った成果ですけどね」
「またご謙遜を。事前に用意した『汞』が無ければ圧勝とはいかなかったでしょう」
―――――
メタルバルの正体は『汞』つまりは『水銀』。
常温、常圧で凝固しない唯一の金属元素。
今では環境汚染につながるとして忌避され、条約により規制されているが、その特徴を活かし、ガラス管に封入して体温計に使われていた。
安全な量と使い方ならOKということで、身近なところでは蛍光灯、産業では気圧計などには使われていたりする。
電子機器より優れたマナ製品が溢れたこの王国では、ろくに価値のない物とされていた。
硫化物である辰砂も古代の秘薬たりえなかった。
だから自然水銀に馴染みのない人たちにとってみればメタルバルはバケモノに見えたことだろう。
様々な特異な性質を持つ液体金属『水銀』。
今回重要だったのはその重さだ。
鉄の比重が7.8に対して水銀は実に13.5。
『水銀』は液体のくせにめちゃくちゃ重たいのだ。
先ほどのバルが大体1立法メートルとして13.5T。
実は大型トラックほどの質量をあの体には秘めていた。
バルはステータスが上がったことで、巨大な体を支えることも形状変化を精密に行えるようにもなった。
しかし如何にバルのステータスが上がったとしても、単純に軽ければ迫りくる運動エネルギーに耐えられず吹き飛ばされてしまう。
それはどれだけ鋭く硬いペティナイフを持っていても、カボチャに刃を立てるのが難しいのと同じで、支えや質量がなければ使いこなすことは出来ない。
だから『体積を増やすことを規制されたなら、比重を上げればいい』としたわけだ。
この『水銀』の入手方法は簡単。
王都の温泉は硫酸塩泉。微量に『水銀』が含まれている。
だからあれは『聖水モドキ』を作るために超大量の温泉水を【解体】したことで出た不純物だ。
……蒸し暑い排水設備の側で寝起きしたことが活きてくれて良かった。
―――――
「そうなのっトモヤおにいさんすごいの!」
「褒めすぎですって。無くたってあの練習の成果があれば――」
「し、失礼します」
『水を差す者が現れた』。
メルさんの瞳はそう言っている。
現れたのは先ほどクレームを伝えた大会関係者のお姉さんだ。
「た、大変申し訳ないのですが――」
◇
「『銀色が眩しいから止めろ』?! 『中にポーションを隠しているかもしれない』?! そんな子供のわがままのようなクレームを大会本部が認めるのか!」
『グウルルル!』
「ひぃ!」
「じゃあ他の従魔はどうなのだ! 武具の反射は良いのか! 防具の下は? 毛皮の中は調べたのか?!」
『ワオン!』
「ひはぁあ! ご、ご指摘はごもっともです……ですが決まってしまって……次の戦場は『砂地』です! お、お願いしますー!」
紫電と唸り声に怯えに怯えたお姉さんはそう言い残して去っていった。
メルさんも白犬も分かってる。
あれ以上追及しないのは悪いのが彼女ではないことを知っているから。
裏にいる策略家とそれに転がされてしまう大会陣営に対して、行き場のない怒りが湧いてくるんだ。
「やることなすこと禁止され、スライムには極めて不利な『砂地』だとっ これではあんまりではないか!」
「ここまで作為的に進めたと言うことは、なりふり構ってはいないのでしょう。あちらがそういうつもりなら……」
「リリーもバルもがんばるの! だから大丈夫、なの!」
「リリー……」
明るく振る舞うリリーに紫電が『シュウン』と消えた。
みんなに見えない位置のシェフィさんの右手の冷気も小さく音を立てて消えさった。
「すまない……主役はリリーだ……」
「ううん。代わりに怒ってくれてうれしかったの。でもあんないじわるには負けないの! だからね心配いらないの! ねっバル! 練習するの!」
『ポビチっ!』
ムキっと透明な腕を作ったバルと離れた練習スペースで連携の確認を始めた。
「……サリー殿……よくぞよくぞあんな良い子に育てられた……」
「なーんにもしてないよ。でも……それが重荷になってやしないかって思う時もあるんだけどね。……あの子には寂しい思いをさせちゃってるからさ。もっと我儘を言ってほしい……って思っちゃうのは親のエゴなのかも知れないね」
「サリー殿……」
ぐぅ……ダメだ……もうダメだ。
何この素敵な親子! すごい想い合ってる!
ちっくしょう! パパになります!
俺がパパになって寂しい想いは――
「す、すいませーん! 伝え忘れていました!」
先ほどのお姉さんが戻って来た。
「まだこれ以上何かあるというのか!」
「い、いえ……コイズミさんが呼ばれているんです――ガンベレット公爵様に」




