131:ありがとー。シリルちゃん……
「ありがとー。シリルちゃんまたよろしくねっ」
「またのご利用をお待ちしていますわ」
配達を終えたシュリは本日最後の出前先に足を向けた。
「あっ狼牙のシリルちゃんっ ミルクチュロス美味しかったよー」
「新作のハニーマリンチュロスもおすすめですわ」
「シリルー柱がたたっぞー現場見てくかー?」
「配達が終わったら是非お願いしますわ」
「シリル様ぁー罵ってくださいぃ!」
「このオークの頭肉め!」
「よう。今日も良い尻してん――」
『ザパーン』
出前用の魔導箱を下げ、すれ違う顔見知りとあいさつを交わし、ごくたまに水飛沫を上げながら石畳を進んでいく。
建国祭も明日の最終日を残すのみとなった。
夕日に照らされたその顔は『解雇される』と怯えていた頃とは大きく異なり生き生きとしているように見えた。
前にも増して仕事は忙しい。
ほぼ行ったことがない地区がないほど届けては戻り、戻っては届けた。
その上、とても『一般常識』とは思えない授業も大変。
でも、何とかなっている。
何とか食らいつけている。
給仕の速度も正確性も上がったし、尻を狙ってくる輩のぶん投げ方も分かった。
苦痛でしかなかったはずの誰かを褒め称える言葉も今では素直に頷ける。
包丁の使い方はまだまだだけど、水魔法での服の洗い方は上手くなったし、髪を自分で編みこめるようになった。
薪の割り方も知れたし、従魔への餌やりにも怯えなくなった。
大工の木組みも見せてもらったし、紋章回路の書き方も知れた。
大工の棟梁の自慢話や紋章術士の愚痴は、王国の縮図を表しているようでとても興味深く、見せてもらった技術は目を見張る腕前だった。
配達先に沢山の知り合いもでき、シュリではなくシリルと呼ばれるのにも慣れた頃には、鏡に映る自身の虚像にため息をつくこともなくなった。
つまりはあちこち出歩けられる出前は大変だが楽しかったのだ。
その感情の根幹にあったのは敬意。
王国を支えていた全ての者への敬意がシュリを支え、小さな自信へと繋がっていた。
『シリルとして過ごしていくのも悪くないかも』と考えていると、配送先『エルバ・エパティカ』に到着した。
◇
店の中はしっとりと感じる涼しさ。
沢山の花の甘い香りに溢れていた。
「『狼牙』の注文『ドンクレェブの甲羅焼きセット』と『モーリーミルクロール』をお持ちしましたわ」
「ほいーありがとねー。来たよーリリーちゃーん」
……リリー?
霧吹きで水やりをしていた子が振り向いた。
傍らには小さなスライムが寄り添っている。
「はーい。うわぁすごいおいしそうなのっ」
「ッ……」
シュリは息をのんだ。
見紛うはずはない。
この子はあの時、ブーケを届けてくれた子。
仕事の苦労を、掛ける情熱を知った今なら分かる。
あの時の花は誇りを持って届けられたものだ。
それを踏みにじるように、ただ法律を鵜呑みにして棒打罰を加えようとしてしまった。
その心の傷はどれ程大きいか。
忙しさにかまけて先送りにした品質不良を眼前に突き付けられたようにシュリの瞳は揺れた。
「おいしい物食べて明日は勝つぞぉー」
「おー、なの!」
『ポビチ!』
街中で聞こえていた噂話。
最年少の娘リリーが幼獣杯に出場する。
目の前に広がるのは明日の勝利を願いスライム共々腕を掲げる微笑ましい光景。
姿を偽り、暗に出会ってしまっている自分は酷く場違いな異物に思えてならなかった。
「あっ待たせちゃったね。ほい、お代ねー」
「ッ……は、はい」
差し出された『冒険者の証』。
慣れたはずの動作にも関わらず会計魔導具が震える。
そのくるくると逃げる『冒険者の証』のように、シュリの頭の中では葛藤が渦巻いていた。
あの時のことを謝罪――でも今はシュリではない。
許可なくば外すことの出来ない髪飾りはシリルと認識させてしまう。
いや、だからこそ今は謝ることが許されていない王族ではない。
だから謝罪しても――
でもそれはただの自己満足ではないか?
良心の呵責を薄めるための安易な逃げ道なのではないか?
今更の謝罪など家族の団欒を邪魔するだけなのではないか?
『ピッ』
ぐるぐると回る思考の終了を魔導具が告げる。
「あっ……し、失礼しましたわ」
「どしたの? 大丈夫?」
「ぐあい悪いの?」
「い、いえ、お気になさらず……またのご利用を……お待ちしていますわ」
配達は終わってしまった。
招かれざる部外者は場違いなこの場には居られない。
もう出来ることは沈む心を隠し立ち去ることだけ。
後ろ髪を引かれに引かれるが、花屋を出ようとした。
「待って、あげるの」
振り返るとその手にはほんのり赤い小さな百合の花。
星形に開いた美しい六弁花の花弁。
「え……う、受け取れませんわ。大切なお花なのでしょう?」
「ヒメユリ! イイネ! さっすがリリーちゃん先生!」
「えっへん、なの! すこししゃがんで欲しいの」
「え……お待ちに――」
「ほらっやっぱりすごく似合うの」
手を引かれ髪に結わえられた花飾り。
確かに鏡に映る虚像には見事に似合っているように見えた。
「でも明日はもっと赤くなってきれいなの。明後日はもっともっとなのっ あっ」
『もっともっと』と手を大きく広げたリリーは小さくよろめいた。
あっと思わず手を伸ばし、バタつく手を握る。
背中を支えたスライムと共に体勢を立て直したリリーは恥ずかしそうに頬を染めた。
「えへへ、ありがとう、なの。それは3日ぐらいで枯れちゃうの。だからまた来るといいの。その時はこっちのお花もこっちのお花ももっときれいになってるの」
「ッ……」
「せーの、お花のお求めは『エルバ・エパティカ』までー あっ……明日はお店お休みなの」
リリーは極めて精巧な看板に変形したスライムを持ち上げる。
その様子は広場での出来事など何とも思っていないように見えた。
怒りを、悲しみを、苦悩を乗り越え先を見据えていた。
『大いに悩み、学ぶ』
『学びとは常にあるもの』
師の言葉が頭を過ぎる。
短絡的な思考が刹那に消えた。
「…………ありがとうございます。明日は応援しております……そして必ず……必ずまた参りますわ」
◇
出店の威勢のいい呼び込みが響く夕飯時。
夕焼けの城塞を背に出前を運ぶ飲食店の店員。
美味しそうな香りを残す貝殻の証を付けた治癒士達。
まだまだこれからと夜祭りに繰り出す若者。
明日は建国祭最終日。
騒がしく賑やかに夜を迎える王都は少しの疲れと祭りが終わりゆく寂しさを覗かせていた。




