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異世界出張!迷宮技師 ~最弱技術者は魚を釣りたいだけなのに技術無双で成り上がる~  作者: 乃里のり
第5章 出張先での揉め事は極力避けたい件について
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129:国民の暮らしを知る

 

『国民の暮らしを知る』

 ただそれだけの事でシュリの心労は早くも限界を迎えようとしていた。


 少し余裕が出たが為に、色々な話が耳に入ってくるようになったのだ。


 遠征に行っていた『聖女』が帰還したという流浪譚。

迷宮技師ダンジョニア』という荒唐無稽な英雄譚。

 そしてシュリ王女殿下が悪逆を働き謹慎しているという後日譚。


 より下品に色付けされた根も葉もない噂などにも、言い返す言葉も権利もないシュリは押し黙る他なく、給仕の時間が早く過ぎることを願うことしか出来なかった。


 不思議と疲労はなかったが、いつも話し相手になってくれていたアルメリアの無事も確認できず、まともに陽の下に出ることもなく、職場と従業員部屋を行き来する日々に陰鬱な気分に沈んでいた。



 店主レジーナは良くしてくれている。


 初日に盗られた着替えは一向に戻って来ず、来ていた服は拙い水魔法【洗浄】を繰り返したため下着やシャツに毛羽立ちが見られ、既に実用的にもパジャマとしての役割となっていた。

 それを見かねたレジーナはお下がりと言って明らかに新しい服を渡してくれた。


 温泉のアメニティなどを貰えたことにも感謝しなければならない。

 ただ、化粧や髪のセットも、自分だけでは満足に行えなかった。


 他の従業員に手ほどきをしてもらった際の『磨けば光りそう』という彼女らの褒め言葉は、姿を偽っているシュリには心苦しく、鏡に映る虚像の自分を見るたびにため息が漏れた。

 幼く映る目鼻立ちもくるくるとした茶髪も好きになれそうにない。


 このようにとても自分だけでは数日の生活も儘ならなかった情けなさも沈む心に拍車を掛けていた。




 ◇




 楽しみと言えば信じられないほど美味しい賄い料理と染みる温泉と狭いベッドで寝ること。

 しかし、建国祭も中頃になるとほぼ途切れることなく客が押し寄せ、ゆっくり食事をすることも出来ない激務が続いた。


 初日に比べれば幾分かまともに接客できるようにはなったとはいえ、倍近くの仕事量を颯爽とこなす、まるで美しい剣舞のように洗練されたレジーナの動きは到底真似できない。


 さらに少しでも空く時間があれば、シェフィリアによる膨大な知識と冷血な視線を浴びせられる『一般常識講座』が組まれた。

 具体例には特定の2人に対する崇敬の言葉が押し寄せた。


 その敬愛されている1人である彼奴は、教育係に任命されたにも関わらず1度たりとも教示なども行わない。

 白い従魔と共に朝早くからどこかへ出掛け、暗くなるとニコニコと帰ってくるのだ。


 どう見ても遊んでいるようにしか見えない。

 シェフィリアが言うような素晴らしい英傑には到底思えなかった。


 それに対して少しでも疑問を言おうものなら、睨みを利かせたシェフィリアから『如何に高潔であり英明果敢であるか』という2倍3倍の言葉が飛んできた。


 授業は色んな意味で怖かったのだ。


 ただ、そんな文句も不満も漏らすことはなくなった。

 必死に食らいつくも失敗を繰り返し、授業に圧倒されたことで、まざまざと見せつけられたのだ。




 ――如何に自分が無能であり、無知であったかを




 だからこそ考えてしまう。

 いや、考えられるようになった。




 ――繁忙期を過ぎてしまったら解雇されてしまうだろうことを




 追放されてしまった自分に、容姿も出自も偽っている自分に、まともな職に就くとこなど出来るだろうか。


 そんな事を考えてしまうラストオーダーの時間を過ぎた深夜。

 最後の客たちが帰り、ふらふらと温泉に向かおうとした時、レジーナが話しかけてきた。




『明日シリルは休みだよ』と。




 突然のことに狼狽する。

 皿を割ったことに対する制裁か、注文を無駄にした処罰か。

 考え付く失態は山ほどある。


 すると、小さな紙袋を渡された。




 そして『祭りを楽しんできな』と。




 促され中を見ると5枚の紙幣。


 ……これは働いた対価だ。

 ただ漫然と与えられたのではなく、初めて自分の力で獲得した証なのだと理解した時、不意に込み上げて来た。




 ――公明正大

 ――法令遵守

 ――罪には罰を




 斯くあれと教育係から何度も叩き込まれたはずの教戒を乗り越え、溢れる涙が頬を伝った。



 王国法全書の1節を覚えるまで椅子に縛られた時も。


 不注意で花瓶を割り、鞭罰を受けた時も。


 飼っていた鳥に噛まれ、その場で殺処分を命じられた時も。


 咎人の処刑を執行し続けた時でさえも。



 王国法を守ることを第一とした、幼少から塗りたくられた帝王学は弱みを見せることを許さなかった。

 公けの場で泣くことなど決してあってはならなかった。


 だからこそ身分を剥奪され追放されても、気位だけは高くあろうしていた。

 しかし、たった数日でその帝王学は脆くも崩れ去っていたのだ。


 その変化を快く思えてしまっている自分に驚きつつも、シュリは紙袋を胸に抱いた。




「ありがとう……ございます……」




「ふふっなんだい泣くことないだろ。来週からは出前も頼むから覚悟するんだよ」




「……はいっ」




 抱いた袋はどこか暖かく、シュリの心に光りを灯した。




 ◇




『祭りを楽しむ』という行為は、楽しみ方を分かっている者でなければ楽しめない。

 シュリはそう理解した。


 物珍しい市場でも見て回ろうかと思えば、すぐに人混みにぶつかり、人を避けなければならないという行為の連続に早々に気疲れしてしまった。


 しかしその『以前の生活からは考えられないこと』などに辟易している暇はない。

 残り少なくなった初任給を思い浮かべると露店を見て回るほかないのだ。




「おっとごめんよ」




「あっいえ、こちらこそですわ」




 人混みでぶつかってしまった際はこうして互いに謝罪し通り過ぎる。

 そこら中で起こっているこのやり取りにも少し慣れた。


 その時、目に留まるお目当ての物。

 この露店の物がいいかもしれない。


 早速、しっかり残金と照らし合わせて……




 …………え、ないっ!?




 おかしい!

 ポケットに入れていた紙袋がない!


 どこかで落とした?!




「【探知】!」




 追跡魔法の展開。


 自分のマナの残滓を追う。

 後ろに伸びていく残滓が見えた。



 ――さっきぶつかった男だ!



 慌てて走り出す。

 絶対に逃してはならない。


 叩き込まれた【身体強化】は素早く足を運ばせる。



 すれ違う家族連れを避け、横切る馬車を躱す。



 ――【探知】が明確になって来た!



 浮かれる酔っ払いを尻目に、果物の入った荷車を飛び越える。



 見えた! あの後ろ姿!

 あの細い路地に向かった! もうすぐ追いつける!



 必死に速度を上げる。




「ッ! どけっ!」




 逃げる男が大きな荷物を背負った老婆の横を抜けようとしたその時、大きな荷物を押し退けた。




「あっ」




 老婆がバランスを崩した。

 このままでは激しく転倒してしまう。




「危ないっ」




 咄嗟に支える。




「おんや、あんがとうね」




 無事を確認するとすぐに路地に向かって走り出す。




「お気になさらずー! 『高齢者対策基本法』第15条、長寿を享受する権利がありますわー!」




「最近の若いもんははんやいしむんずかしいこと言うんだあねぇ」




 お礼を背に受け、急旋回で角を曲がる。

 犯人が見えるはずだ。




 …………いない?




 そんな馬鹿な!

 そんなはずはない!


 この長い直線の路地で見失うはずもない。

 しかし、この場でマナの残滓は途切れている。



 2歩、3歩と慣性で足が進むも、膝から崩れ落ちた。



 華々しい繁栄の裏の闇。

 王都はこれほど生き辛いのか。



 深い失意が襲う。

 服すら帰って来ない状況で金など帰ってくるわけがない。



 ……失ってしまった。

 また盗られてしまった。



 働けばいいなどとは思えない。

 失ったのは金ではなかった。その金の価値ではなかった。


 初めて自身の力で手に入れたあの紙袋に入ったモノにこそ意味があったのだ。



 心に灯っていたはずの光は完全に消え去った。



 絶望を隠すことも出来ず、溢れる涙。

 砂埃に汚れた頬にいくつもの川が描かれる。




「ぎぁあああ!」




「ッ!」




 ドサッ




 その時、後ろに何かが、誰かが落ちて来た。




「ぐぅうう」




 苦悶を浮かべているのは先ほどぶつかった獣人の男だ。

 その男は膝まで足が凍っていた。




 コツ コツ カッ




 不意に石畳を叩く規則正しい足音が聞こえた。




「ぐっ悪かったって返せばい――ぐっ」




「……どうぞ。こちらを」




 ここ数日で嫌と言うほど聞いた透き通った声。

 潤む視界に差し出されたのは盗られた紙袋。




「……シェフィリア……先生」




 もう二度と放すまいとしわくちゃになってしまった紙袋を更にくしゃくしゃに抱きしめた。


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