120:暁の要塞
――【暁の要塞】
スキルの解放。
迸るマナ。淡く発光する魔鎧。
アルメリアの体を覆うマナ障壁が目に見えて増加した。
まるで鎧の上から巨大で強固なマナ障壁の鎧を重ねたように。
武具に纏い【頑強】を極限まで高める絶技。
難攻不落の、鉄壁の、あるいは無敵の。
あらゆる賛美を集めたそのスキルが齎すのは、もはや暴力的にすら思える防御力。
それが一度攻撃に転じれば超硬の斬撃へと変わるのは明らか。
相対する者の心を折るには十分過ぎる威圧感がそこにはあった。
だが、魔獣使いとその従魔は全く臆することなく真正面から受け止めている。
『ウォオオン』
従魔の咆哮。
顕現するマナの輝き。
そよいでいた風が止まる。
空間掌握するほどの高密度のマナが集約した。
完全に無風となったその時、幾重にも重なった風切り音が響く。
中空に現れたのは薄く引き伸ばされた大気の歪み。
上下から爆風を圧縮し、磨り潰し、削ぎ落すような大気圧差。
この現象は中級魔法――【烈鎌鼬】。
ただ、一度ではなく繰り返し発動し練り上げ続けているオリジナルの魔法式。
アルメリアのマナ感知が鳴らす警鐘が、凄まじい破壊力が込められていることを呼びかけてくる。
気を抜けば胴から上下に分かれると。
(やはりそうか)
アルメリアは値踏みした以上の事柄にも動じずにいた。
あの従魔のポテンシャルは非常に高い。
隠していた強烈なマナ圧に強力な魔法。
不意打ちで魔剣グラナータを凄惨な姿に変えたのも頷ける。
しかし、あれは風属性。
己が絶対の自信を持つ土属性から見て属性有利。
スキルを発動した今、あの風魔法はまるで脅威ではない。
唯一の懸念は得体のしれない男。
対峙する魔獣使いの一挙手一投足に目を配る。
(ならば、当然そう動くだろう)
何かを呟き、向けられたのは右手。
意味するところは従魔との連携魔法。
しかし、どんな魔法を繰り出そうとも己の防御が揺らぐことはないとアルメリアは断じる。
超重量の魔物の突進を物ともせず、超火力の龍ブレスにも無傷で立ち続けた絶対防御スキルに敵は無い。
(初手を譲られて、戦いを決意する者になぞ決して負けることはない)
選択したのは綿密に組み立てた戦略などではなく、単純にして最大の長所。
魔法を耐え、抜刀し、絶対的な力でねじ伏せる。
ババババッ
従魔の練り上げた魔法が一際強烈な擦過音を響かせる。
時が満ちた。
「さぁ参られよ!!!」
「【収納】」
「――――ッ?!」
魔獣使いの口が動いた次の瞬間。
一瞬視界がブレた。
集中していなければ気が付かないほどの微妙な違和感。
しかし驚いたのはそこではなく重大な事に気が付いたのだ。
目の前、従魔の練り上げていた強力な魔法が消えていると。
「勝負あり! トモヤ殿の勝利だ!」
そして瞬時に鬨の声が響いた。
「なっ! 騎士団長!? 何を――――えっっ!!」
驚天動地。
アルメリアは目を見開く。
開いた両手を見つめ、わなわなと震え、崩れ落ちる。
生涯初であった、そして本日2度目となる茫然自失。
アルメリアの眼前。
スキル強化していたはずの、絶対の信頼を置いていたはずの――
――『魔鎧ニーヴェオ』が消えていた
◇
「う、嘘ですわっ! こんなのあり得ませんわ! アリア! 無事ですか?!」
「ニーくんが……ニーくんがぁ……シュリ……姫様」
シュリ王女が崩れ落ちたアルメリアに駆け寄り気遣う。
ヘルムに隠れていたショートボブが唇に枝垂れかかるも、魂が抜けたように放心するアルメリアは僅かな反応しか示さない。
「はっは! 誰がどう見ても戦闘不能だ! 信じられん! 相手を消して武具を剥ぐなど! 間近で見ても何も分からんとは! これで陛下をお救いしたのだな?」
「……それより、『何でも要求を飲む』と記憶していますが」
「おお。そうだった。では聞こう。トモヤ殿は何を望む?」
「そうですね――」
「「ッ……」」
まるで潰れた虫でも見るような視線に射竦められ、2人の美姫の息が詰まった。
「――では、アルメリアさんを私の騎士としていただけますでしょうか」
「なっ!」
「ふむ。良いだろう。ならば今よりアルメリア・カッセはトモヤ・コイズミに仕えよ」
「ダ、ダメですわ! アリアはわらわの騎士であるぞ! 許可できませんわ!」
「人事権は儂が持っておる。許可も叙任式も不要だ。それに査問会にかければ徐団すら有り得る。本来であれば誰かに仕えることすら出来ぬ立場だ。トモヤ殿が望むなら徐団は免れるのだぞ」
「立場を利用してアリアを手籠めにするに決まっていますわ! なんて汚らわしい! そのような卑劣な要求は飲めません!」
「先ほどその口から出た言葉すらも守れぬか。ならば聞くが、騎士派遣は法に反しているか? アルメリアを仕えさせることは法に反しているのか?」
「それは……反して、おりません……」
「『法に基づく要求であれば』と申したのは……シュリ。お前であっただろう。まさかお前の言葉は羽虫のように軽いと言っているわけではあるまいな」
「うう……」
「シュリ姫様……申し訳……ございません。自分は……今までお仕え出来て幸せでした」
「アリア……」
「じゃあ話がまとまったようですので、最初の命令をしてもよろしいでしょうか?」
「あ、あなたという人はっ!」
雰囲気をぶち壊す横槍。
卑劣な要求を出した本人は空々しい笑みを浮かべていた。
――では、シュリ王女殿下の髪を全て毟り取って食べてください
「ッ!!!」
「なんですってっ!!!」
「アルメリアさん。聞こえませんでしたか? シュリ王女殿下の髪の毛を全てぶち抜いて食えと言っているのです」
「き、貴殿は狂っているのかっ! そんな事出来るわけがないっ!」
「なぜです? 棒打刑と同じで殺せとは言ってはいないでしょう?」
「自分にはシュリ姫様を傷つけることなど出来ません!」
「主の命令を守らないのですか? 先ほどご自身で言いましたよ。忘れたのですか?」
「ッ! つ、罪もない者への暴力は持ち合わせては……いないっ」
「では、シュリ王女殿下にお聞きします。公然と、人の社会的評価を低下させるような発言をする罪はご存知でしょうか」
「うっ……刑法330条『名誉毀損罪』、第272条『虚偽告訴等罪』に当たるかも……ですがっ! どちらも懲役刑ですわ!」
「罪の重さなどは聞いておりません。これで確かに罪があるのはお分かりいただけましたでしょう。どうですかアルメリアさん。やる気になりましたか?」
「そんなことをすれば……貴殿も断罪されるのだぞ?!」
「えぇ。当然、騎士に命じた者にも責任があるでしょう。甘んじて受け入れます。だから今すぐ力ずくで髪をぶち抜いて、見せつけながら全て食べてください。1本でも残すことは許しません」
「ぐぅ……自分には……出来ません」
「……そうですか。では命令を変えます。代わりにシュリ王女殿下の四肢を捩じ切りドンクレェブの餌にしてください。食いが悪ければ細かく刻んで頂いて構いません」
「ッ!! ……くっ殺せ。自分が死すれば良いのだろう?! シュリ姫様を傷つけるぐらいなら自分が――」
「いけませんわ! アリア!」
「では、アルメリアさんが亡くなった後に私が実行することにしましょう」
「ぐっううう……この悪魔めっ!」
「……リリーには、剣を振り上げた貴女がそう見えたでしょうね」
「ッ!」
「『騎士の在り方とは忠と義の在り方』と聞きました」
「く……」
「貴女は主の命令も守らず、自身の命も勝手に投げ捨て、前の主をも護ることができない」
アルメリアの瞳孔が大きく揺れた。
「主を諌め導くことすらしない貴女のどこに忠と義があるのでしょうか?」
空いた口からは最早言葉はなく引きつった呼吸が漏れる。
「……貴女を解任します。貴女は誇り高き騎士ではなかった」
「うぅ……ううあぁぁぁぁ……」
慟哭。
それはアルメリアの心の支えが潰れ、圧し折れた音だった。
力もなく、理もなく、義すらない。
絶対の自信を持っていたスキルを破られ、武具すら失った。
もはや自身ではどうすることもできない。
どうすれば良いのかも分からない。
恥も外聞も捨て現れたそれらの感情は止めどなく地面を濡らした。
それを一瞥すると、無感情な瞳をシュリに向けた男は悪魔の右手を構えゆっくりと歩を進め始める。
「あ、あぁ……お、大叔父様! なぜ止めないのですか! この者はわらわに危害を加えようとしておりますのよ!」
シュリはアルメリアを置いて後ずさりを始めた。
「あぁ。実際に行動に出た場合は止めねばな」
「な、何を悠長なことを! 目に見えぬほどの魔法が――」
「トモヤ殿はまだ何もしておらぬではないか。うむ。『疑わしきは罰せず』とは何条だったか」
「刑事訴訟法436条ですわ! でも解釈が違いますわ! ッ! そんなことより! は、早く! 誰か! この者を捕らえよ! 誰か!」
「シュリ。『騒音規制法』とやらを持ち出し、訓練場に【防音】を設置したのはお前ではなかったか?」
「あぁ……ひっ! あぁぁぁ! 早く! どうか!」
「【収納】」
「っひぁあああっ! アリア!? アリアが!!」
突然、目の前のアルメリアが地面ごと消失した。
無残に切り裂かれた地面はいつでも四肢を切断できるという証明に他ならない。
「いやぁあ! アリア! いやぁああ! し、謝罪しますわ! だから止め――っいひゃあ!」
這いずり逃げるも地面の断裂が次々と迫る。
「お、お願いでございます! 確かに騎士に命じた者にも責任が――っあああ! 大叔父様! お救いください!」
「うーむ。その従魔にも手こずる上に、相手はアルメリアを物ともしない強者だ。儂が止めて間に合えば良いがな。……広場でトモヤ殿がしたようにな」
必死の懇願にもディアンは努めて救うつもりがないかのように傍観を続ける。
「ひっ! あぁぁ……どうかっどうか! お願いです! っひぁああ!」
背中には訓練場の外壁。
進み来る絶望の領域。
まるで他愛なく蟻を潰すように、右手が向けられた。
「いやああああああ!!!」
――怖がらせ過ぎではありませんか




