119:ジョッキを置いた音が部屋に響いた
ドンッ
ジョッキを置いた音が部屋に響いた。
神獣の牙亭のレストラン『狼牙』の奥。
主に団体、上客用に宛がわれるその広い個室には、こじんまりと3人のみが腰かけていた。
噂の中心、時の人に飛びつく記者や野次馬達に配慮した結果がこの場所となっている。
しかし、とてもこじんまりではない大声が上がった。
「ミア陛下の体治して叙勲されたぁ?! もう姫騎士を倒して乗り込んだという噂を軽く超えて来たではないかぁ!」
病み上がりのメルリンドは、フルーツジュースを零しそうになるほど驚いた。
「詳しいことは言えませんがね。はいこれ勲章。あっこれ快気祝いです。ごくごくっ」
ジョッキをハイスピードで呷るのはその時の人。
上質さが滲み出ている勲章を興味なさげに置き、キンモクセイのアレンジフラワーを丁寧に差し出した。
「あっありがとう……良い……香りだな……この花は我に合わせて…………いやっ落ち着いている場合ではなかった! どうしよう我は嬉しさと驚きでおかしくなりそうだシェフィ!」
「良かったですねメル様。お部屋に飾るといたしましょう。トモヤ様。こちらの勲章は缶バッジのように無造作に扱うものではありません。欲しがる者は多数おります」
「そうなんすか。じゃギルドに高値で売れますかねー ごくっ」
「おやめください。ギルドなら即座にブラックリスト入り、最悪の場合その場で逮捕されます」
テーブルに落ちたジョッキの水滴を除去しながらシェフィリアは忠告した。
「冗談に決まってるじゃないすかー ぐびびっ」
「あ、明らかに目が笑ってないぞっ」
「ははっそんな事ないすよ。ふざけてやが――面白いのはここからなんですって。公爵様の御戯れが――」
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豪華な廊下を物々しい一団が歩いている。
すれ違う使用人達は一様に道を開け、首を垂れる。
中心にあるのはディアン公爵と白い従魔を引き連れ、胸に勲章を付けた見知らぬ男。
公爵自らが並び歩いていることから賓客として扱われているだろうことはどの使用人の目にも明らかだった。
「あのように溌剌としたミア陛下の姿を見れるとはな。一体何をしたのか。聞きしに勝るとはこのことだ。是非とも一度手合わせ願いたいのだが、どうだろうか。トモヤ殿。いや迷宮技師殿?」
「ひぇっ……いえ……御戯れを。私のような者には身に余るお言葉にございます」
「聞けば『水晶獣』を高速討伐したのは貴公との噂があるようではないか」
「う、噂は、噂でございます。私にそのような実力はございません」
「功労勲章を賜ったのだ。過ぎた謙遜は時に無礼と取られるぞ。王国騎士団は広く高潔の士を求めている。『葉隠れの外套』を見破り、スライムを見抜いた眼力。従魔共々全く気配を感じぬほどの【隠密】。これらだけでも底知れぬ実力を隠しているのは分かる。そもそもその幻獣とも言われる賢狼ヴィントとやらを従魔化した貴公に実力がないとは思えぬがな」
「うっ……た、たまたま従魔化という……そうですっ従魔が優秀なのですっ称えるべきはこの白犬にございます」
「それが正しかったとしてもだ。あの時、儂には従魔ではなく貴公が何かしたように見えたが、何をしたのかがまるで見えなかったのだ。その老骨の頭の靄を晴らすことなど陛下にした治療などと比べれば容易いだろう? ただ手合わせすれば良いのだからな」
「ひぇ……私との手合わせなど蟻を潰すようなものです。そのような事にお時間を使わせては申し訳がありません」
「ほう。ではアルメリアは蟻以下であると申すのか?」
「ぐっ……決してそういうことでは……」
「はっは! 『姫騎士』を打ち負かした者なら、儂のような老骨など造作もあるまい?」
――聞き捨てなりませんわ
透き通った声。
曲がり角から進み出てきた麗人に騎士達も首を垂れた。
件の『姫騎士』アルメリアを筆頭に侍女を引き連れ、つかつかと歩むのはシュリ王女殿下。
うら若き美姫と持て囃される2人の姫の登場に廊下が色めき立つ。
「これはこれはシュリではないか。機嫌はいかがか」
「良いわけがないでしょうっ大叔父様! そのような者を厚遇するのはお止めください!」
「厚遇? 儂は叙勲された者を見送っているだけだが?」
「それが厚遇だと言っているのですっ! ましてや騎士団入りを勧めるなどっ」
「陛下をお救いした者に礼を尽くすのは当然であろう。それに王国騎士団は常に優秀な人材を求めておる」
「刑法162条1項『正犯を幇助した者は、従犯とする』。そのような犯罪者に! 超法規的措置という愚策ですかっ!」
「口を慎みなさい」
「ッ!」
「お前とてトモヤ殿の機転で民心を失わずに済んだのだ。侮蔑は許さん」
「わ、わらわは法を順守したまでですわっ! 刑法第298条の『贈賄』と警護要則における妨害と攪乱に相応の罰を与えようとしただけですわ。そのような物言いをされる謂れはありませんっ」
「超法規的措置ならばトモヤ殿に“そのような物言い”をする謂れもあるまい」
「く……大叔父様……なぜ分からぬのですかっ! 適切なのは棒打刑でした! その者は幇助犯です!」
「これ以上の問答は無用だ……アルメリアには追って沙汰を下す。間違いなく祈盾からの除名は覚悟しておけ」
「……はい」
心ここにあらずだったアルメリアは神妙に頷いた。
「そんなっ! まるで重罪のような処置ではないですか! 棒打刑です。殺せとは言っていないでしょう? それにアリアはわらわの右腕も同じですわ!」
「……その過ぎた右腕があったがために、このような事になったのだ」
「ッ……」
「手間を取らせた。行くぞトモヤ殿」
「あ、その前に、えー……これを」
「下がりなさい罪人め!」
罵倒されながらもおずおずと差し出されたのは紅の異物。
それは鞘ごと切り取られた魔剣グラナータの先端。
「ッ! あぁっグラちゃん! グラちゃあああん!」
アルメリアは見るや否や先端を奪い取り、胸に抱いた。
「ぐ、ぐらちゃん……?」
「なんと無礼なっ!」
「えっ?」
「誇り高き騎士をここまで侮辱されては引き下がれませんわ! アリア! 決闘ですわ! 蟻以下であるかその身に刻みなさい!」
「えぇ! そんなっ侮辱なんてするつもりはありません!」
「今更そのような戯言をっ!」
「トモヤ殿。破損した相手の武具を渡すという行為は『再戦を希望する』という意味がある。だが同時に相手を『格下だと蔑む』意味も持つのだ」
「蔑むだなんて……お返ししようとしただけですっ」
「そうであろうな。シュリ。この通りトモヤ殿には侮蔑の意志は無い。それに同意なくては決闘は行われ……――いや、これは明らかな侮蔑だったな!」
「ディアン様?!」
「はっはっ! そうだとも。これは決闘せねばならぬぞ。トモヤ殿!」
「えぇ?! 嫌です! 決闘なんてしません! 同意が必要なんでしょう?!」
「因みにだが、貴公が破壊した『魔剣グラナータ』はアルメリアが片時も離さぬほど執着していたものだ。なに、貴公に払えとは言わぬが修復には億単位の――」
◇
「アルメリア・カッセとトモヤ・コイズミの“手合わせ”を執り行う。立会人はディアン・ド・ガンベレットが務める」
人払いされた王国騎士団の修練場に大きな声が木霊した。
「これは決闘ではない。条件は相手を戦闘不能にした者の勝利。魔獣使いとして従魔も含める。その他一切の取り決めは無し。双方異存はないな」
「はっ」
『ワン!』
「ありますっ既に戦闘不能ですっ」
「この期に及んで! どの道その者は刑法第173条『不敬罪』で投獄してしまうのですっ アリア! 手加減など不要です!」
「はっお任せください」
「ふむ。投獄が望みか。トモヤ殿はどうされる?」
「どうするって、決闘じゃないなら別に――」
「別に?! 弱々しいくせにどこまでも不遜なっ! 不意打ちなどという姑息な手段が無ければ、アリアが敗れるなどあり得ません! 聞くだけ無駄ですわ!」
「では、なんでも要求を飲むと申すか?」
「法に基づく要求であれば、ですわ」
「決まったようだな。心構えは良いか?」
「はっ」
『グオン!』
「良くありませんっもう心は折れていますっ」
「貴殿の従魔はやる気のようだ。自分も“恨みはない”が、主のため。貴殿も覚悟を決められよ」
2つに分かれた魔剣グラナータを一瞥したアルメリアは煮え切らない対戦者に苦言を呈した。
「…………主の命令であれば、か弱い者にも容赦はしないと?」
「それが騎士なれば。せめてもの情けだ。初手は譲ろう」
予備の剣を抜くことなく、自然体のまま構えた。
「……その言葉決して忘れないでください」
「双方、覚悟は決まったようだな。では――」
――開始めい!




