115.5:神獣の牙亭
『神獣の牙亭』
ここは王都の華やかな大通りから少し外れた郊外に佇む宿屋。
『神獣の尻尾亭』の女将クレアさんの娘レジーナさんが営む姉妹店。
尻尾亭よりはかなり小さく10室ほどだが、行き届いたサービスと素朴で親しみやすい感じは見事に引きつがれている。
昨日の夜も暗くなると白犬がすぐおねむになってしまい、一足先に部屋で休ませようとした。
その時に小型従魔用のふかふかの寝床が出てくる辺りには感動すら覚えた。
さらには様々な産地から集められる食材を使った料理、滾滾と湧き出る源泉かけ流し温泉もあり、人気の宿屋となっている。
まぁ後はレジーナさん目当てってのもあるだろう。
夕飯時には併設された宿屋より大きなレストラン兼酒場で快活に親身に給仕をしてくれて、朗らかな笑顔で送り出してくれる。
暑さに少し開けた胸元が眩しく、躍動する形のいいお尻に視線を送る者も多い。
そうなればああやって酔ったふりして尻に手を伸ばす輩が――
「ここはそういう店じゃないんだよっ!」
途端に伸ばした手を捕まれ、そのまま出口にぶん投げられる。
パンパンと手を払う頃には店前の水路に盛大に水しぶきが上がっていた。
大きなドアが開け放たれていて、宿泊客以外は料金先払いってのはこのためなんじゃないかと邪推する。
「ちきしょー負けた! ほらよっ」
「へへっいただきー」
そして常連客たちが笑い囃し立て、金のやり取りが始まった。
あのぶん投げで賭け事まで行われているのだ。
確かに人気店なのも頷けるもの。
こりゃ酒が進んじゃうもの。
「……」
そんな中1人静かなのはカウンター席隣のシェフィリアさんだ。
治癒士の総本山、アヴェルサ聖教会から『心配なのは分かるけど流石に夜は帰れ』と追い出されてしまったらしく落ち込んでいるように見える。
道中の高速バスでもほぼ無言だったし、余程メルさんが心配なのだろう。
そんな状態でも諸々の手続きを済まし、宿の確保まで円滑に行うのだから流石だ。
『私服の感じが新鮮でいいなぁ』なんて思っていると何か決意を帯びた瞳と目が合った。イッケネ! ジロジロ見すぎたかっ
「コイズミ様。愚鈍である私にはなんとお詫びしてよいか言葉も見つかりません。忸怩たる思いではございますが、もし私に贖罪の機会を頂けるのであれば――」
「えぇ! 急になんのことですか?!」
どうやら別の理由で落ち込んでいるらしい。
マジで全然分からないから察しの良い能力を分けて貰いたい。
「……グロイスにいらっしゃってからというもの、私はコイズミ様に冷淡な態度を取り続けました。剰え、邪険に追い出すなどという愚行は到底許されることではありません――」
確かに笑顔は向けてくれなかったけど、別に冷淡ってほどのあれじゃ……
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始めは些細な反抗心だった。
余所余所しい態度を取り、事あるごとに【威圧】すらしてしまった。
その実、正体不明の迷い人という疑念を隠れ蓑にして、メル様に注目される男性というだけで矮小な心がささくれ立っていただけなのだ。
人柄を知った後でも、数々の偉業と思える功績の後でも、その態度を変えることが出来なかったのは、今更態度を変えるという小さな気恥ずかしさと、それを許してくれる彼の優しさに甘えてしまっていたからに他ならない。
そんな甘えを断罪するように起きてしまったあの事件は全て自身の浅慮から招いてしまったものだ。
帝国貴族私兵の動向や思惑を軽率に考え、危険となりうる要因をただ遠ざけることで安易に解決しようとしてしまった。
『遠ざけた』などと都合よく正当化しても、実際の所は問題を避ける『事なかれ主義』としか思えず、都合が悪いため追い出したと言われても否定はできない。
彼の持つ【遠話】の魔導具と鷹揚な寛大さにより罪悪感が薄れかけた頃、拉致されたと知った時は心臓が飛び跳ねた。
取り返しのつかない失態。完全に失策であったと激しく後悔した。
無事であると知った時の大きな安堵は言葉にならない。
しかし浅はかにも救助に行ったつもりが、真因を突き止め事態を収束させた彼の深慮遠謀からすれば無駄に争いを大きくしただけ。
結果として、メル様が死に瀕することになり、自身は縋りつくことしか出来なかった。
その状況を救ったのも彼の機転だった。
聡明な英雄と泣くことしかできない愚かな道化。
重ね続けた失態にいざ冷静になった高速バスの車内から今に至るまで、あまりの不甲斐なさと申し訳なさにどう顔向けしていいのか分からず、薄っぺらに聞こえる感謝や小賢しい言い訳、何も行動を起こせない自身への怒りとがぐるぐると回り続けていた。
そんな中、『フルスシャッドを釣ってきたから食べないか』と誘われたのだ。
むしろ疎まれ、役立たずと蔑まれてもおかしくないはずなのに。
時折グラスを傾け、花畑の光景や疑似餌での釣りを楽しげに語るその様子は、邪険にされ爪はじきにされたことや救出劇の功績など本当に何とも思っていないように見えた。
そのあまりの度量の大きさに自身の矮小さを如実に見せつけられ、眼前に突き付けられたように感じられてしまった。
そんなことは醜い被害妄想だと理解している。
ただ、そのお陰で決心がついた。
このような場をお膳立てしてもらってまで動けないことこそ愚の骨頂。
どれほど感謝しているかを伝えなければならない。
どの道、綺麗な言葉で繕った謝罪や言い訳など、聡い彼には見透かされてしまうだろう。
ならばいっそ全て打ち明けてしまえばいい。
罵倒も慰めも無関心でさえも彼の答えならば受け入れられる。
◇
『メル様を救って頂き感謝を――』
『全ては自身の甘えで考えが至らなかったせいで――』
『不甲斐なくとても顔向けできなかった――』
一度決壊してしまえば愚かな虚栄心や邪魔なプライドなど見る影もなく無くなり、シェフィリア自身でも驚くほど乱雑に並べられた謝辞と懺悔と自虐が零れ落ちた。
捲し立てるようになってしまった告白に、驚いた様子の彼はグラスを傾ける。
少し戸惑いながらも回顧するように語りだした。
「こんな時に気の利いた言葉が出てこればいいのですが……技術者ってのは事実を並べることしかできないんですよね。……仕事柄、何かを制御したい時にラダー言語っていう決まり事を使うんです」
「らだー言語……決まり事……?」
「えぇ。その決まり事ってのは『結果が全て』なんです。非情なことに過程は関係ないんですね。どんなに頑張って素晴らしく綺麗なラダーを書いても間違っていれば不正解で、片手間のような汚いラダーでも、どんなに無駄に回り道するラダーでも、結果として正しく制御できていればそれが正解と言われてしまいます」
「『結果が全て』……仰る通りです。どんなに心血を注いだクエストも結果が伴わなければ失敗となります。返す言葉も……ございません」
「でも実は、正解であったはずの汚いラダーには落とし穴があったりするんです。後になって何か不具合が起きた時はデバッグ、修正にとんでもなく時間がかかるんです。結局頑張って綺麗に書いておいた方が良かったぐらいに。そうなると一体どっちが正解だったのでしょうね」
「ッ……」
「何が正解かなんて後になってみなければ分かりませんし、複数の正解があったりします。その時の正解が今では不正解に更新されることすらあります。……だから綺麗でも不格好でもなく、その時その時に悩んで最善を見つけていくしかないと思うんです。……面倒くさいんですけどね」
心のどこかで優しい彼なら笑って許してくれるだろうと思っていた。
心の隅で聡明な彼なら厳しく叱ってくれるだろうと思っていた。
しかし、少しはにかんだ彼から発せられた言葉は慰めでも叱責でも無かった。
これからの行動によって如何様にも『結果』は変わるのだという教訓であり戒め。
それは『過去のことを気にするな』という激励に聞こえ、同時に『大いに悩みなさい』という叱咤にも聞こえた。
厳しくも優しい言葉には一切の棘もなく、すっと胸に落ちる。
そのまま胸の内に留まり、少しだけ暖かさを感じる。
「それにメルさんが助かったことにお礼なんていいですって。本当に頑張ったのはローザさん達治癒士ですし、逆にむずがゆくなってしまいます。メルさんにも『元気になって良かったですね』ぐらいしか言えませんしね」
「……ですが、救われたのはコイズミ様のお陰です。本当にどれほど感謝しているか……」
「いやいや、ローザさんが言っていましたよね。シェフィリアさんの咄嗟の【治癒】が無ければ危なかったって。【治癒】は相手の状態や構造に合わせないと効率が悪いから奥が深いとも。『救われた』という『結果』の中には、間違いなくシェフィリアさんの行動と積み上げた努力という『過程』も必要だったと思いますよ」
「ッ……お心遣いに……感謝いたします」
「慰め、ではありませんよ。要領悪く事実を並べているだけですから。それにシェフィリアさん達が助けに来てくれたように、助けたかったのは私も同じです。友人が困っていたらそうなりますよ」
「友人……」
その言葉にはっとする。
私達が彼を救おうとしたように、彼も救おうとした。
無礼も失態も、全てを受け入れて『ただそれだけだ』と。
弱々しい雰囲気に見合わない凄まじい空間魔法も。
次々と積み重なった功績も。
争乱に発展しかねない問題を未然に防いだ思慮深さも。
彼を表すには相応しいとは思わない。
きっとこの底抜けの優しさと見返りを求めない高潔さこそが彼の本質だろう。
「え……? ……友人では……なかったですか……?」
「いえっ……その、わたくしもっ、私も友と……私のような者をそのように思って頂いて……恐縮といいますか……友と呼ばれるにはあまりにも頼りなく……」
「うーん……頼りにしてるんですけどね。少なくとも今この美味しいお酒が飲めてるのは、おすすめしてもらった気が利く美人さんのお陰だとは思っていますよ」
「びじっ――ご、御冗談をっ///」
「言いましたよね。技術者は?」
「……じ、事実を並べることしか///」
「そういえば『何とも思ってない』って言われた時はショックでしたねぇ……」
「あ、あれはっ言葉の綾と言いますかっ むしろ思っていたからこそこうなってしまった……わけで……もぅ///」
落ち込んだ声にカウンターの隅をうろついていた視線が黒い瞳を捉えた。
ショックだという言葉とは裏腹に、微笑んでいたことに気が付いた。
「これじゃ口説いてるみたいですね。でも、少しは元気が出たようで良かったです」
「ッ……」
頬を染めたシェフィリアは『そうか』と理解した。
真っすぐ黒い瞳を見つめ返し『そうだったのか』と納得した。
――友と呼んでくれる者が出来たのだと
何を距離を取っていたのだろう。
何を取り繕おうとしていたのだろう。
何を尻込みなんてしていたのだろう。
妬みも嫉みも虚栄心もどこかへ吹き飛んで行ってしまった。
――なぜなら彼は愛すべき友人であり恩人なのだから
◇
「……恩に敬意を、友垣に敬愛を」
「ん……今なんて?」
「いいえ。なんでもありません。それよりもフルスシャッドのソテーができたようですよ」
「はいっおまちどーさ―― ッ!?」
「はい。ありがとうございます。こちらに」
レジーナが到着の声を出すより早く受け取り、配膳された皿。
『流石……シェフィさん』という呟きを背中で受けながら、料理の説明を始めた。
「トモヤ様。こちらはモッキとシルバジルで味付けされています。お好みでマリンソースをどうぞ」
「えっ……あっはい、ありがとうございます?」
目をパチクリとしながらも、そそくさとソテーを口に運ぶ。
その時ほんの少しだけソースが唇の端を汚した。
「失礼いたします」
さっと高速のハンカチが唇を優しく拭った。
「ふおっ?」
「如何ですか? 牙亭は料理も評判なんです」
「お、美味しいです……えーとあの……」
「如何されましたか? 切り分けいたしましょうか?」
「いやーえーその……。ごくごくっ、ふぅ。えーと見ていられると少し食べづらいと言いますか」
「これは失礼いたしました。フルスエールおかわりをこちらに」
『まいどー! はいよフルスエール!』
「はい。ありがとうございます。どうぞ」
「え、あ、どうも……えー、シェフィリアさんは、その……食べないんですか?」
「もちろん頂きます。トモヤ様が捕ってきて下さったものですから」
「えーと……シェフィリアさん?」
「トモヤ様。親しき方々は『シェフィ』と呼びます」
「一体どういう――」
「『シェフィ』と呼びます」
「……シェフィ、さん?」
「はい。なんでしょう」
「いえ、あの……なんでもない……です」
頬を染め照れたようにソテーを頬張る者と甲斐甲斐しく世話を焼く者。
微笑ましく見守るレジーナはテキパキと配膳をこなし、伸びてきた手を掴みぶん投げる。
水面に映る星々が水しぶきに舞い上がる。
歓声の漏れる店の明かりは、王都の夜に溶けてゆく。




