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異世界出張!迷宮技師 ~最弱技術者は魚を釣りたいだけなのに技術無双で成り上がる~  作者: 乃里のり
第4章 出張からの出張は最早拉致に近い件について
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111:暖色のマナ灯が……

 暖色のマナ灯が柔らかに照らし、薄暗く保たれた部屋。


 奥には上質な木材を使ったデスク。

 がっしりとしたチェアには女が深く腰掛けている。

 窓が無い以外には特に目を引くものは無く、ごく一般的な役員室に見える。



「厄介な物だネェ。それで『筆談』とはネェ。ま、それでもあの『刃風』を、いや仕事をこなすのは流石『鏡』だヨ」



 とてもその部屋の主とは思えない軽薄な声音が響いた。

 言葉を受けた者は、書き殴るように紙の上にペンを走らせる。



『次の仕事は?』



「長い仕事だったんだし怪我もあるよネェ? しばらく疲れを癒しててヨ』



『疲れてない』



「……勤労だネェ。後で新しい名前と顔を上げるから今日はお帰りヨ」



 何かを書こうとした素振りを見せるが、頭を下げたその者は静かに部屋を後にした。



 ◇



 自室、と呼べるか怪しい部屋のドアを開く。

 舞い上がった埃が月明かりに照らされぼやけていく。


 目につくのは布が掛けられている楽器のようなシルエット。

 スタンドに置かれたそれらが部屋の大半を占めるため物置のように見えてしまっている。


 その所為でベッドなどもなく、辛うじて窓際に置かれた椅子だけが生活感を残していた。


 部屋の隅、ストラップに付いたリュートの残骸をスタンドに置こうとして、収まりが悪くて諦めた。

 仕方なく割り切ったようにストラップを撒きつけて、真新しい布を被せる。


 ふっと息を吐き、椅子に腰かける。

 何気なく見上げた三日月は流れる雲に潜もうとしていた。



「……『ずっと一緒にやってきたじゃねーか』」



 ざわつきを鎮めてくれる三日月への言葉か、今もざわつかせる元相棒達への回顧か。


 壊れたリュートのように割り切るには今回の仕事は長すぎたのだと視線が床に落ちた。

 漏れてしまった真似が溶ける頃には、月は完全に隠れ一時の闇夜が訪れた。



 ◇



「……よろしかったのですか?」



 しわがれた声が肩越しから聞こえた。

 するとダルそうに机に肘を乗せ、手のひらで顔を支える。

 傍に控える執事にダラケきった姿を見せた。



「まだ使い道もあると思うんだよネェ。まぁ要らなくなったら消せばいいヨ」



「いえ、貴族私兵もと指示していたのではありませんか」



「……いいのサ。そっちはやりたくないって言うんならサァ」



「ですが他の者に示しが――」



 心底ダルそうに手で言葉を追い払った。



「ジイジは真面目過ぎるんだヨ。いいかい? 誰かが暗躍していたかもって言う噂話だけで十分なのサ。それに悲劇が加わればもっといいと思っていたけどネェ」



 饒舌に語り始める口ほどに、手が語り始める。



「王国の英雄が倒れた、帝国の麗人がやられた、共和国の賢人が消された。民衆なんてのは『あの事件には誰々が関わっている』、『そういえばどこどこで見かけた』、なぁんていう噂話が大好きなのサァ。そこには善も悪もないんだよネェ。信じたいものを信じるのサ。『刃風の死』なんかはただのスパイスなんだヨ」



「ならば不安を煽ることが……」



「ゲッヒヒ。随分言い方が悪いじゃねぇの! 『種を撒く』とでも言ってくれよぉ」



「……下品な笑い方が出ていますよ」



「おっと気を付けないとネェ」



 へらへらとした表情を浮かべる女に執事は言葉を失う。

 あの表情の裏の謀略、奸計に沈んでいった数多の怨嗟の声が聞こえた気がした。



「まぁその種撒きのお陰で『根の7席』ぐらいは芽吹いてくるかもしれないネェ」



「お嬢様」



「冗談だって。今すぐどうこうしようってわけじゃないサ。今からが書き入れ時だしサァ。ま、気楽に行こうヨ……ジイジももう休んでいいヨ。オツカレ」



「……失礼します」



 執事の気配が音もなく消えた。

 手持ち無沙汰となった右手の指で机をカカカっと弾く。



「【迷宮技師ダンジョニア】ネェ……」



 脳裏に刻まれたその二つ名を呟く。

 なんの感情も宿さない瞳が虚空を見つめていた。




 ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲



「とまぁ、こういう感じです」



「……厄介なのに目を付けられたにゃー」



 スマホに録音した会話を聞かせると、その猫人は白いグラスを傾けそう呟いた。



「というと心当たりが?」



「無いにゃ。『お嬢様』とか『根の7席』とかさっぱりにゃ!」



「えぇ……思わせぶりじゃないですか」



「違うにゃ! 厄介なのはコイズミにゃ! 自覚が無いにゃ?」



「えぇ……」



 華やかな王都。

 しかし、場末の酒場ともなれば毎夜荒くれ達が騒ぎ、賑やかを通り越した騒音を奏でている。

 そんな中カウンターの隅で静かな慰労会を開いていた。


 ラッカさんに聞いてもらったのは逃げたペイリをスマホで盗……いや【通話】で追跡していた際に接触した黒幕っぽい人との会話だ。

 それまでペイリは【通話】を警戒していたのか、追っ手を警戒するためか、森を経由して夜を過ごしたり用心深く暗くなってから移動していた。

 さらに筆談で会話を行うという徹底ぶりには舌を巻いていた。


 しかし、まさか見えているとは思っていないペイリは雇い主に接触してしまった。

 そして立体映像に対してスマホで撮影したらどうなるのかって試したら、普通に撮影できて【通話】も繋がってしまった。

 だから黒幕さんの会話を録音した……


 ……確かにやってることやべぇなこれ。

 芋づる式に相手の情報が出せるもの。

 こんなん公表したらストーキングレベル高すぎて捕まるもの。



「もうこいつは丸裸も同然にゃ! 哀れで同情するぐらいにゃ! まったく! 離れた相手に気づかれずに盗み聞くなんて神器レガリアどんな権力者だって欲しがるにゃ! しかもお前しか使えないんだにゃ? こちとら商売あがったりにゃ!」



「なんか、すみません……」



「あぁっ! も、もしかしたら前のアレは! 今までだってにゃあのあんな音やこんな音も?!」



「ち、違いますって! 悪用はしませんよっ!」



「へ、変態にゃ! やっちまってるにゃ! こいつぁにゃあの魅力に完全にやられちまってるにゃ! バチクソ変態野郎にゃあ!」



「や、止めてください! そもそもなんの音ですかっ! ニッチ過ぎますって!」



「そりゃにゃあの……ん? なんでにゃ! にゃあのあんな音やこんな音聞きたくないのにゃ?!」



「えぇ! 聞かれたいんですか?!」



「そりゃ聞かれたくないにゃ! でも聞かれるってのも///」



「えぇ! なんかもうこじらせてるじゃないですか!」



「う、うるさいにゃ! 聞くばっかりだった気持ちは分からないのにゃ! お前には複雑な乙女心は分からんのにゃ! お姉さんミルクハイお代わりにゃ!」



「はいよっ『たっぷりぷりモーリーミルクハイ』!」



「本当に……ネーミングセンスだけどうにかして欲しいにゃ……」



 ◇



『冗談はさておき』と本当にギリギリで場を取り繕ったラッカさんからのアドバイスは、流石と言えた。


 簡易転送の性能から恐らく時差4時間以内の地域。

 扉の開閉時に聞こえた反響から3階建て以上の大きな屋敷で、足音と家鳴りから建材は湿気に強いバールムヤシが多く使われている。

 外の環境音が全く聞こえないから【防音】が部屋でなく建物全体を覆っている可能性が高い。この特徴は貴族屋敷か大商会の商館。

 老人の言葉には若干の共和国訛りが残っているが、さりげない呼吸法は帝国式に近いものがある。


 このことからゲボート帝国の東海岸沿いかルンデン共和国の南洋地域の大商人か有力貴族が濃厚であると結論付けた。

 ……先生が優秀過ぎてヤバい。家鳴りとか呼吸音なんて聞こえねぇし。


 ここまで絞り込んでくれたなら、今の情報だけでも『お嬢様』は立体映像の顔写真で追える。

 更なる盗……追跡を続ければ名前だって出てくるだろう。


 それにその気になれば今すぐ制圧することも出来るし、録音した会話を垂れ流す人間スピーカーにすることだって出来る。

 まぁ対応は相談してからだが、メルさんを傷つけた黒幕さんには『厄介なのに目を付けられた』としっかりと後悔してもらおう。



「帝国なら……あの間抜けな貴族私兵たちに聞いてみるのが早いかもにゃ」



 見つかったから迷子だって泣いたあの貴族私兵ね。



「あーあの泣かさ……いや、そうですね。そろそろ落ち着いた頃かもしれませんね。【通話】を開いてっと――――ッ」



「な、何を言おうとしたのにゃ! ってどうしたのにゃ?! なんで泣いているのにゃ!」



 ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲



 少女がその場でくるりと回る。



 最後に少しふらつくも綺麗なカーテシーで締めくくる。



 短く不格好な演目が喝采を誘い幕を閉じた。



 不意にふらつく足元。



 慌てて駆け寄った観客が体を支える。



 照れくさそうに微笑む少女の小さな手が背中に回される。



 観客は少し躊躇いながらも離れていた時間を埋めるように抱きしめ返す。



 二人を壮年の夫婦が優しく包み込んだ。



 微笑んでいた少女は盛大に顔を歪め、あらん限りの声を上げ、涙が滂沱として流れ落ちる。



 望んでも叶わなかった抱擁が、望むことすらおこがましいと思っていた人の温もりが、難病に抗い気丈に振舞っていた心を解きほぐしていく。



 その胸元には零れた落涙とティアドロップが煌めいていた。

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