105:眼光鋭い中にも……
眼光鋭い中にもどこか慈愛を感じさせる瞳。
短く刈り揃えられた頭髪はタルヴィと似た茶褐色だが所々混じる白髪。
浅く腰掛ける姿には老練たる覇気が宿っている。
レオーベン・ベンクト・シルム
『侯爵』、『2級冒険者』。
末っ子の4男である豚さんの父であり、シルム領侯爵その人。
僻地に存在した数々の厄介な迷宮を踏破、平定して領土拡大の露払いを行ったことから、尊敬と敬愛を込めて『帝国の雨避』と称される重鎮だ。
侯爵って聞いていてもピンと来なかったが、未だ現役で広大な領地を任され、その中のトップなのだと聞けば纏う威厳と貫禄には納得してしまう。
隆々とした筋肉と飛びぬけた体躯。
50代ほどの見た目だがなんと御年92才の大ベテラン。
つまりは豚さんは78才の時の子って事だ。
尊敬しちゃうもの。
でぇベテランが過ぎるもの。
『『家印契約』からお前の名を外した。もう強要することは出来ぬ』
『父上! これは……その……違うのですっ』
『ならば心して答えよ。何故このような暴虐をした?』
『ッ! こ、このようなとは……私は魔獣の……捕獲を指示していただけです』
『ほう。では、その指示に序列の昇降をちらつかせ、他の者に危害を加えてまで強行させた理由を申してみよ』
『そ、それはっイデアル達が愚図でのろまで――』
『そうせざるを得なくなるまで追い詰めた理由を問うておるのだ』
『……従魔化を……したかったからです……それをあいつがっコイズミが邪魔をしたから!』
『現地にも赴かず、魔獣をその眼で見ることもせずに従魔化だと申すか。あまつさえ主を害し、主替えする事を『邪魔された』という理由で行おうとするとはな』
『う……強い魔獣を……従魔化するために……ございます。シ、シルム家の名誉のためでございます!』
『見栄のために捕獲させた魔獣が、『裏テイム』で得た従魔が、誰かを害し奪った従魔が! シルム家の名誉となると思うておるのか!』
「ヒィッ!」
『お前には剣の才はないが、日頃から民を安んじ、日夜従魔魔導の研鑽に励み、『従魔戦』での活躍も期待されると聞かされていた』
『え、えぇ。そそ、その通りでございます』
『だが、ただの数時間調べさせただけでお前の屋敷の使用人からも酒場の聞き取りからも別人と思われるような人物像が露呈した。曰く『我儘な癇癪持ち』、『娼館通いの喚く豚男爵』だとな……どちらが正しかったのか明らかになったようだな』
『そ、そのような者たちの言葉を信じるのですか!』
『領民の言葉を信ぜずして、何を信ずるのだ!』
『うっ』
『……まさか連絡役まで脅迫していたとはな』
『ッ! 決して誤魔化そうとしていたわけでは――』
『タルヴィよ。誤魔化しなどではない。お前はシルム家を、謀ったのだ。怠惰を、色欲を、傲慢を。お前自身悪であると自覚しておきながら漫然と享受していたのだからな』
『ぐっ……』
深い、余りにも深い落胆が見て取れた。
目を瞑り刻まれた眉間の皺で、急激に老けたように見えてしまう。
握る拳に込められているのは怒りか失望か、あるいは自責か。
やがて断固たる決意が瞳に宿り、重々しく口を開いた。
『タルヴィ。処分を言い渡す。今後シルム領への立ち入りを禁ずる』
『なっ! つ、追放するのですか! 実の息子を!』
『追放などという安易な方法に責などない。お前にはローダッハの開拓、灌漑を命じる。誰よりも鎌とつるはしを振るい、誰よりも魔物を打倒し、誰よりも適格な指示を出せ。最前線で開拓せよ。 ……監視者を送る。今度は懐柔など出来ると思うな』
『そ、そんな! む、無理です! あの辺境をなんて! それに開拓には罪人たちも動員されると聞きます! 無理ですっ出来るわけがない!』
『元より出来るとは思っておらぬ。無能だと蔑まれ、唾を吐かれ、疎まれるだろう。遅々として進まぬ開拓に不平不満をぶつけられ、暴動すらも起きる事だろう。だが逃げることは許さぬ。出来るまでやるのだ』
『ち、父上は私を苦しませたいのですか!』
『大いに苦しみ、無様な姿を見せよ。……儂ではなく民たちにだ』
『そんなっ恥をっ――』
『そのままでおる事を恥と呼ぶのだ。故に死に物狂いで学べ。お前が報告させた『理想の人物像』となるまでな……何か申し開きはあるか』
『うぅ……うぐぅうう』
『――連れて参れ』
『ッ! 誰だ! 貴様ら! くそっ何する! 離せ――』
レオーベン侯の合図で突然現れた黒づくめの集団。
暴れるも速やかに、そして怪我をさせぬように連れ去られる豚さん。
聞くに堪えない出荷される豚さんの【通話】を閉じる。
恐らくこの後とんでもなく重い家族会議が開かれるのだろう。
『トモヤ・コイズミ殿。礼を言う。未然に防げたのは勧告があったからだ。そして、済まなかった。其方には多大な迷惑をかけた。斯様な処分で容赦してもらえるだろうか』
豚さんの音声が消えると、レオーベン侯は即座に頭を下げた。
見えていない場所にも関わらずだ。
いやいや! 頭下げさせるとか逆に申し訳なくなっちまう!
「い、いえ、謝らないでください。どんなにお辛い決断であったか、心中お察しいたします」
『……寛恕に感謝する。本来怠惰だと追及されるべきなのは儂だ。目を配らねばならなかったのだ……この件は我がシルム家が責を負う』
根の深い内輪揉めとゴリゴリの国際問題を起こしそうになった豚さんを追放してシルム家を守ることは簡単だ。
『あいつが勝手にやりました。追放したので関係ありません』とトカゲの尻尾斬りをすればいいだけなんだから。
でも追放ではなくシルム家の名を背負わせたまま、言わば労役と実地指導を科した。
それがシルム家の悪評となることを見越した上でだ。
責任を負うとは個人に罰を与えることだけではないと示したのだ。
子への愛情によるものか自責によるものかは分からないが、罰や償いのための労役ととらえるか、経験と実績を積む機会ととらえるかは、これからの豚さん次第となるだろう。
いつかこの決断を豚さんが正しく理解してくれることを願うばかりだ。
『メルリンド・フォン・リエル殿。居られるか』
「むっ! 我を知ってるのか。レオーベン殿。言葉を交わすのは初めてのはずだが」
フォン? 急に出てきたフォンって何さ。
『このような形で、というのが心苦しく思う。……領地を侵したと推察する。今更虫のいいように聞こえてしまうが、こちらに侵略の意思はない』
「……さて、何のことだろうな。間抜けな冒険者のボヤ騒ぎはあったが。観光客が羽目を外してバカ騒ぎすることなど良くあることだ。これからも節度ある交流を望むよ」
『……感謝する。しかと心に刻む』
え、何このやり取り?
侯爵と普通に会話しているんだけど。
もしかしてメルさんめちゃくちゃ偉い人?
全力で『ズザー』していた所も『実は聞かれてました』とはもう言えない……
『我が兵たちよ。苦労を掛けたな。お主達の代わりなど居らぬ』
「レオーベン様、そんな……」
『……イデアル。ルシアナは何が有ろうともシルム家が看る。心置きなく力を振るい、シルム家を支えてくれ』
「ッ! はっ! 勿体ない……お言葉にございます」
まるでどこぞの町奉行のように諸々を捌いていき、最後に『速やかに精査して賠償する』と言い残して、激重家族会議に向かっていった。
スマホからの音声が消え、木々のざわめきが戻ってくる。
山火事から始まった拉致事件はこうして速やかに、そして静かに幕を下ろした。




