100:なぎ倒され、掘り起こされた木々
なぎ倒され、掘り起こされた木々が折り重なる。
パラパラと小石が落ちる中、モゾと動く。
『ドズン』という音を立てて、大木が地面へと滑り落ちた。
「がぁ! ぶっ! ペッペッ! マジかよ……」
どうにか這い出たガノンは、決して小さくないダメージや頭に残る土を払うのも忘れ、目を見開いた。
眼前には土壌ごとひっくり返されたような様相。
まるで巨大な地滑りのように大きく押し流された大地が広がっていた。
「無事かガノ坊!」
「【治癒】」
「……あ、あぁ。すまねぇ」
メルリンド、シェフィリアの声にも一点を見つめたまま、視線を外さない。
折り重なった木々のその先。
崖上に顕現したモノに圧倒的な存在感を感じていた。
――あれが『神獣』
拘束具を付けられた小さな個体には無かった畏れ。
畏怖を覚えるほどのマナとそこから感じ取れる強烈な怒りが、ガノンの持つ【危機察知】を強烈に叩いていた。
「紛う方なき成獣だ。……あの図体で我は触れる事すら叶わなかった。名をデカという」
どこか冗談めかした口調。
メルリンドは幼子にするようにガノンの土汚れを払った。
「……デカ? アレがそう名乗ったのか?」
「はっ。冗談が言えるならもう大丈夫だな。コイズミ殿が名付けたのだ。『大いなる』『偉大な』という意味らしい。言い得て妙と言えるだろうな」
「あぁ陽光の森が8級程度に収まる訳だぜ。あんなのがいりゃあ他がいなくなっちまう」
「ふっそういえば夏祭りの神獣山車に大イタズラした坊主がいたな。今度はしないと良いが。なあ?」
「おい勘弁してくれ!」
「応急処置は完了しました。戯れはそこまでに致しましょう」
シェフィリアの視線で促す先。
空に浮かぶ重力使いの姿があった。
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『思い込み』『見間違い』『誇張』。
様々な要因で人の主観、口伝など当てにならない。
ましてや最新の魔獣図鑑にも詳しく載っていない伝承の魔獣。
『本当に存在しているのか』という疑念を抱くほど、幾日も探し回った。
『存在しない』という自身の目こそが正しいのではないかと諦めかけもした。
だからこそイデアルは『巨体と謳われた魔獣は、実は小さい個体が擬態した姿だった』と都合よく納得してしまった。
しかし今答案用紙を即座に破られ叩き返されたようにそれが『間違いであった』と認識した。
――あれこそが『神獣』
確かに小さな違和感はあった。
ペイリが聞きだした情報の1つ。
『神獣は親子で現れた』ということが頭の片隅から思い出された。
もしそうであるならこの状況は最悪と言えるだろう。
小さな個体を連れ去るには死に物狂いの抵抗が予測される。
「まさか、これほどとはね」
大地は網の目のように絡み合っている木の根ごと捲れ上がる。
災害と呼べる大破壊が苦々しく見つめるイデアルの眼下に広がっている。
そしてその根源。
伝承、情報と一致する巨大な形貌。
近づく事を躊躇うほどのマナ圧。
荘厳たる麗容と叩きつけられる明らかな敵意。
そしてこれほどの魔獣が今の今まで全く感知できなかったという事実に畏怖を禁じ得ない。
見渡せばランク格下とされていた相手にパーティは半壊。
自身も疲弊し、到底万全の状態ではない。
短く息を吐き、胸の内ポケットの上に置かれる手。
無理やり【治癒】で治した腕が軋む。
「……諦めるわけにはいかないんだ!」
揺るがない決意。
マナの宿る片手剣は魔獣を捉えた。
「【重縛牢】!」
アウトレンジからの拘束魔法。
しかしその効果が帰結する前、軌跡だけを残し対象は崖上から消える。
「【烈重弾】!」
用意されていた【標的詠唱】。
駆ける神獣を追跡する連弾が見舞う。
が、これも大地だけを抉った。
――これを躱すか! ならばっ!
「【反重――】」
『オオオオオン!』
咆哮。
突如、蒼白の軌道は荒れた大地を駆け、空へと昇る。
それは最早『跳躍』ではなく『飛翔』。
「ッ!」
いや、飛翔に見えたのは濃密なマナ。
切り刻み、吹き飛ばそうとする大気の刃が迫る。
「【九重】!」
『詠唱破棄』からの障壁の重ね掛け。
穿つ大気の奔流を逸らす。
即座に巡らす思考。
次の一手は――
――!? どこへ消えた?
視覚にもマナ覚にも敵影は映らない。
「【重縛牢】!」
その自らを覆う重力領域の発動は直感。
戦闘経験から来る第六感が危機を告げた。
『バッッッッシュ』
果して展開とほぼ同時、“頭上から”衝撃が襲う。
直撃すれば捩じれ弾け飛ぶほどの超高密度の暴風。
障壁が軽減するも推力は消せない。
「ぐぅっ!」
――【風よ】!
地面に叩きつけられる刹那、ブワッと旋風が起こる。
そして紅蓮の手甲が体を支えた。
「イデアル! 落ち着け! 死ぬ気かてめぇ! いづっ、はぁん」
「【治癒】! あっぶねぇぞ! てめぇ! おっ似てる!」
「そうヨォ! ア、どう考えても引クところヨ! アビ」
『やべぇのが見えたから飛んできた』と『リュートが汚れちゃった』と『数舜でも遅れていれば危なかったと』口々に詰め寄る。
「……助かったよ。でもすまない。ぼく1人でも――」
「はっ! じゃあしゃあねぇ! 小さいもデカいのも関係ねぇ! やってやろうじゃねぇか! ん、はぁ」
「いっくよー! 【春風円舞】」
「はぁ……らしくなイって言ってるノヨ。アビ、諦めてはイないのデショウ? あなたの事だかラ ア」
ある者はどこかの痛みに震え、ある者は痺れを残し、ある者は視線と呂律がおかしい。
これからの戦いに無事である保証などどこにもない。
「……そう、だったね。……力を貸してくれるかい?」
それでもパーティは蒼瞳の神獣を見据えた。
――討伐するよ
静かな開戦の鬨が響き、言わずとも陣形は成る。
「アレは【隠蔽】に本物を混ぜる。マナ覚に頼ってはダメだ。シトゥは援護を」
「ああ? どういうこった?」
「ルスカ、『血幽鬼』と同じ感じってことさ」
――虚実混交
短い言葉で共有される。
『対象詠唱』が外れ、対峙する敵を見失うなどという未曾有の事態で気が付けた違和感。
強烈な存在感の隙間に察知できないほどの【隠蔽】を巧みに混ぜ、まるで現れては消える幽鬼のような気配の明滅が捕捉を極めて困難にしている。
「へっそういうことか。触れるならどうってことねぇ!! 遅れんなよ! 【蜂蝶舞踏】!」
「【重翼】! 合わせるさ!」
「【壁よ】!」
『グルルルルルル!』
激戦は必至。
守護者達の戦いが始まった。
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瞬く剣閃と蒼瞳の軌跡。
巻き上がる土煙と吹き荒れる風。
始まってしまった死闘。
暴虐たる破壊が森林を犯す中、それを瞠目する者達。
「コイズミ様を保護します」
即座にシェフィリアは動き始める。
この場において最も優先するのは、最も効果的なのは何なのか理解していた。
「ッ! 伏せろぉぉお!」
メルリンドの叫声。
屈む僅か上を烈風が掠める。
反応が遅れたシェフィリアの髪を幾本か切り裂いた砲撃は、そのまま木々を千切り飛ばした。
流れ弾ではない。正確に致命を狙った刃。
これは死闘の隙に放たれた近づけさせまいとする神獣の殺意だ。
「デカ! なぜだ! 我らは――」
「メル様いけません! 【剛防壁】! ぐぅう! 抑えきれません!」
続けざまに放たれた烈風。
『バギン』と障壁を貫き、凄まじい風音が鼓膜を揺らす。
「なっ! シェフィ! わ、我らは救おうと――」
「止せ。無駄だ! 構えろ!」
「だってガノ坊! 我らは一度会って――」
「おい。いいか? 子供の周りに『刺そうとしてる蜂』と『守ろうとしてる虻』が飛んでたとして、親がどうするか分かるか?」
「何を……」
「両方潰すんだよ。わざわざ見極めるなんてことはしねぇんだ」
「ッ! ……でもこのままじゃ!」
貴族私兵達を庇えば罪なき神獣は間違いなく死ぬまで抵抗を続け、痛めつけ殺すことになる。
神獣を助ければ貴兵達は成すすべなく死に、そうなれば敬愛する神獣は討伐対象の仲間入りだ。
2度と見えることはないだろう。
1人と1体に付けられた拘束具の解除も困難になってしまう。
優先するものは、守るべきものは何なのか。どうすれば傷つけずに済むのか。
上に立つ者としての苦悩。優しいが故の苦渋。
混ざりあう取捨選択にメルリンドは動き出せずにいた。
ガノンはシェフィと目を合わせると一瞬だけ目尻を下げる。
そしてわざとらしく小さく息を吐いた。
「はぁ……シェフィ準備はいいか?」
「いつでもどうぞ」
「よしっ止めるぞ!」
「ッ! ガノ坊! どちらをだ?!」
「どっちもだ」
「なっ!」
「その目は『どうすれば傷つけずに』とか考えているんだろ。難しく考えすぎだ。ぶっ飛ばして大人しくさせりゃいい。もう忘れたのか? 『両方潰すんだよ』。 できるだろ? 俺たちなら」
「あるいは回復を施し『両方を活かす』ことも可能と思われます」
どちらかではなくどちらも。
それは死闘に飛び込むという最も困難な選択。
一歩間違えば両方を失うだけでなく、自らも失う。
それを困難と分かっていながら『俺たちならできる』と見極めたのだ。
あたかも親の視点から子に諭すように。
「……良い男になったな。ガノ坊」
「がっはは! なんだ今頃気づいたのか?」
「あぁ。終わったらハグして撫でてやるぞ。ガノン」
「うえっ? や、やめろよ」
「なっ! メル様!」
「照れるなガノ坊。ふふっもちろんシェフィにもだぞ」
「――ッ! そ、そういう事を言っているのではなくて あっですが、嫌というわけでは///」
若者の成長がどこか眩しく映ってしまったら年を取った証拠なのだと人は言う。
だが、『それもいい』とメルリンドは目を細くした。
しかし、すぐに拳戟が結び、かまいたちが渦巻く死地を見遣る。
「さぁ! 行くぞ!」
三つ巴となった死闘は加速し混迷を極め始めた。
『はあああああああい!!! やめてくださああああああああああいいい!!!』
「「ッ!!!」」
声と認識するには大きすぎる大音声。
耳元で脳を揺さぶる暴力的な爆音が響いた。




