98:くふふっ
「くふふっ這いつくばるのはあなたの方だったようねぇえ! 【土よ】!」
「くっ!」
【火弾】を転がるように避ける。
当然のように出現したのは土属性ではなく火属性。
マナ集約を成さないはずの詠唱が紡がれ、形態と属性が異なる魔法が展開される。
自らを覆う障壁の中、シトゥルーナは含み笑いを漏らした。
彼女の二つ名の由来となったユニークアビリティ【妖言】。
その効果は『詠唱変更』。
詠唱文の改変を可能にし、規格化された詠唱を必要としない。
本来詠唱短縮により下がるはずの魔法の威力を維持したまま、任意の詠唱文で発動できる。
それは制限されるに相応しいアビリティ。
パーティ戦闘において味方にも何が発動するか分からない魔法など、ただの地雷。
ただ、形態だけでなく属性すらも読み取れない歪な超高速詠唱は、詠唱から予測して動き始めることが必要な高速戦闘においては強力な速攻魔法となる。
それは極めて対人戦に特化したスキルと言え、【魔力】強化の演奏バフを受けた状態は、最早『後だしじゃんけん』にも等しかった。
「あらぁ? これじゃあ弱い者いじめしているみたいじゃないのぉ 謝ったら許してあげてもいいわよぉ」
溜飲も下がった。
幕引きとしては頃合い。これ以上の戦闘に意味は無い。
「ふぅ……『拙い魔法』と申し上げたのは訂正いたします」
「ふふっ最初からそう素直に――」
「『子供騙し』と形容するのが相応しいでしょう」
足を庇う動きが続き、戦服は土に塗れ、顔にも汚れが目立つ。
しかし、シェフィリアの凛然とした瞳は死んではいなかった。
シトゥルーナは一体どこから来ている自信なのだろうかと思案する。
絶え間ない連撃により、上級魔法は封じている。
機動力を無くした移動砲台など詠唱を紡ぎ切る前に簡単にファンブルさせられるだろう。
「ねぇ……そろそろ諦めたらどうかしら。手も足もでてないじゃなぁい? 【土よ】!」
群生するスパイクは【土杭】。
素直に展開された土魔法は木の枝に飛び上がったシェフィリアの足元を掠める。
「強力な魔法を持っていても当てられなきゃ意味ないのよぉ。常識よねぇ? 【炎よ】!」
「【水弾】」
「ッ! なっ!」
炎が掻き消えた。
木ごと消し炭にするかと思われた【火槍】が相殺される。
いや、覆う障壁には水魔法の余波が届いている。
下級魔法で貫かれた?
「『当たらなければ意味がない』。これについては同意致します。【水槍】」
「ちぃ! 【炎よ】! 【土よ】!」
「【水壁】」
「くっ!」
【火槍】が貫かれ【剛防壁】を叩く、反撃の【土弾】は【水壁】に飲み込まれた。
「ですが……当たらずとも、こうして意味を持たせることは出来るのです」
「……なぁるほど。水を増やしていたのねぇ」
繰り返された氷魔法は水へと変わり、落ち葉の地面を湿地のように変えていた。
それは当然火属性を弱め、水属性を助ける。
「ふふっ流石ね。でもその程度で勝てると思わないことね! ペイリ! あれをやるわよ! …………ペイリ?」
違和感。
返事がない。
チラと後目でペイリを見遣る。
「ッ! ペイリ!」
「…………」
そこには障壁の中にも関わらず倒れ伏し、痙攣する吟遊詩人の姿があった。
微塵も声は出せず、身動きもとれていない。
――演奏効果が消えていた
シトゥルーナはすぐに理解し視線を戻す。
水属性有利環境に加え、バフが消えているこの状況で視線を切るのは自殺行為。
ましてや原因が不明な状態で治療するのは愚策。
常に余裕を浮かべていた表情に初めて焦りが覗いた。
恐らくあれは状態異常【麻痺】と【沈黙】。
オークメイジやコボルトアーチャーなど、厄介な敵を無力化するのに最適と言われる状態異常だ。
だからこそ理解できなかった。
『一体いつ、どうやって状態異常を掛けたのか』
そもそもペイリが倒れる音も聞いていないし、そんな魔法を発動する素振りも見ていない。
当然、銀級冒険者ともなれば耐性を鍛えると共に、装備でも耐性を上げている。
生半可な状態異常など大抵レジストできるし、違和感に気が付くはずだ。
今まで以上に注意深くシェフィリアを観察するとある事に気が付いた。
【土杭】に貫かれたはずの足の血が止まっている?
ポーションを使ってもいないし、【治癒】を行っても――
「ッ! まさか【無詠唱】! あっ! ああぁぁぁ?!」
突然シトゥルーナの視界が煤でも放り込まれたように暗転した。
「ご明察の通りです。少し遅かったようですが」
「そんなっ嘘よ! 【炎よ】! 【解――】」
「【烈水槍】」
「きゃあああああああ」
【剛防壁】を砕く衝撃。
朧げに見える影は難なく牽制の【火槍】を貫き、状態異常【暗目】を治そうとしたマナは即座にファンブルさせられた。
意味不明。
致命的と言える【暗目】を食らうなど、物心ついた時から記憶にない。
高耐性を貫く状態異常魔法など【無詠唱】で撃てるはずがないのだ。
それにも関わらず【暗目】に視界を奪われていることへの混乱と恐怖は思考を溶かしていく。
「何をしたのっ! 【炎よ】! 【炎よ】! 【炎よぉ】!」
「【剛水壁】【氷弾】」
「ッ! あぐっ!」
避けようとした足元が凍り付き、片足が縫い付けられる。
崩したバランスに膝をつく、這い上がるように氷が浸食を始めた。
「このっ! くそっ!」
首元にマナの輝き。
【暑熱】の紋章にマナ供給したことによりなんとか進行が止まった。
しかし、パキパキと凍った地面を歩く音が近づいていた。
「……這いつくばるのは、貴女だったようですね」
「ふざけないで! 何なのよこれは!」
「闇魔法【暗目】ですが」
「【無詠唱】のなんて効くはずないじゃない!」
【無詠唱】。
それは特別なことではない。
魔法を学ぶ上では避けては通れない修練の1つともなっており、新規魔法開発を生業としている者、詠唱を作る者などは業務として日常的に使っている。
ただし、『戦闘に使えるか』というと総じて首を横に振ることになる。
魔法を理解し制御を全て自身で行わなければならないだけでなく、詠唱を省略することで威力は極端に下がり、練り上げるマナ量は増える。
刻一刻と変化する戦場において、思考のリソースをわざわざ低威力の【無詠唱】に回すメリットがないのだ。
「現に効いているではありませんか。まさか対策していなかったのですか?」
「くっ……しているわよ!」
「他の状態異常については見事な耐性でしたが、どなたでも耐性の綻びはあります。【暗目】は不得手だったようですね」
「そんなことないわっ! 今までっ……他の状態異常?」
「【沈黙】【麻痺】【暗目】。次の候補は【鈍重】【混乱】【幻惑】でした」
「なっ! そんなの一度も――」
「貴女には各30回試行しております。【暗目】は12回目でした」
「ッ! 30回?! う、嘘よっ! そんな時間だってないわ! 一体いつ――」
「対峙した時からです。魔法発動の裏。着弾の裏。言葉の裏。あらゆる音、意識の隙間に埋伏しました」
戦いを始める前から
気付かれないように【隠蔽】しながら
高速戦闘を繰り広げながら
針の穴を通すように何度も何度も
――【無詠唱】で複数の闇魔法を発動していた
正しくユニークアビリティが『子供騙し』と思えるほどの瞠目すべき難易度。
『後だしじゃんけん』をしている者を、少しずつ崖に追いやるような盤外の謀略。
それを支えたのは驚異的な魔法技術の粋。
まるで闇魔法を熟知した熟練の――
「さて、ご理解いただけましたでしょうか」
「…………貴女の挑発。そこからまんまと乗せられてたってわけね」
「……? ……えぇそうですね」
「え、ちょっと何なのよその間はっ! その為の挑発だったのよねぇ?」
「……ふむ。【鈍重】の耐性も素晴らしいものです」
「えっうそ! や、止めなさいよ! はぁ……降参よ。降参。わたくしたちの負けよ。ったく、どうしてここは凄腕の暗殺者ばっかりなのかしらぁ」
「…………الارتباك والتردد.【混乱】」
「ウぐッ! ちょっと降参だっテ言ってるじゃナい! 【防壁】!」
「ロンメルで倒れた方々に『降参』はできましたか? 『رأسالارتباك والتردد.【狂混乱】』」
「そんナ……償えばいいノデしょう? 謝れバいいノでしょウ? ア」
「رأسالارتباك والتردد.الشعلة الزرقاء【狂瀾怒――】 ……ここまでですね」
異音しか吐き出さなくなった者を見遣ると小さくため息を付き、ワンドを下す。
微かな震えを残す黒手袋をキュッと握りしめる。
「……ここまでです」
パキパキと鳴る氷柱に少しもたれ掛かると、言葉を確かめるように力なく繰り返した。




