97:脇腹を抑える左手
脇腹を抑える左手には【治癒】の光。
「ガッフッ! ゴプ!」
その下、歴戦の白銀のプレートが拉げ、圧し折られた胸骨が肺に損傷を残す。
それでも喀血は捨て置き立ち上がる。
足音が近づく戦場で寝転ぶなど死を意味する。
「軽いくせに頑丈なんだな。3級にしてはよくやったと思うぜ」
意外にも飛んできたのは拳ではなく、世間話に似た言葉。
「ゴホッ……2級冒険者様にしては、血濡れではないか。回復しなくて良いのか?」
「【餓狼奮迅】。ユニークアビリティなんだってよ。『攻撃は最大の防御』ってやつだ」
「なんとも歪んだ解釈だな……『ダメージに応じて【敏捷】の上昇』。ゴッホゴホ! 反則だと言われんか?」
メルリンドは皮肉と共に歯噛みする。
それは制限されるに余りあるアビリティ。
死の直前こそが絶頂期。
上昇するステータスの万能感や高揚感に支配されれば、それだけ死が近づく諸刃すぎる刃。
発現するに目の前の少女が血で血を洗うような状況に置かれ続けていたことが想像に難くない。
「ふんっ! だから捨てられちまったんだよ」
鬱々たる過去と言葉を吐き捨てると、握られた手甲に紅蓮のマナが宿った。
「さぁもういいか? 奥の手を出すなら今の内だぜ」
「……ふふっ」
「なんだてめぇおかしくなったか?」
「いや、すまない。……思い出したのだ。コイズミ殿が『悪い奴らではない』と言っていたことをな。確かに相手の回復を待つなど、性根の腐った者に出来ることではない」
「はんっ! これからぶっ飛ばされるのに、善いも悪いもねぇだろ! いくぜぇええ!」
疾駆。
地面が爆ぜ、巻き込まれた落ち葉が粉微塵に吹き飛ぶ。
隔てた空間が瞬時に縮む。
刹那。
【敏捷】の上昇した視界はメルリンドの左手の動きを捉えた。
――魔法? でも、遅せぇ! このままぶっ飛ばす!
「――【迅雷の心得】」
『キィィイン』
火花が散る。
甲高い音を立てて受け流される渾身の右ストレート。
発動したのは魔法ではなくスキル。
左手には幅広の短剣。
白銀鎧の内側から取り出された短剣を巧みに操るその姿。
これは、パリィング・ダガーによる二刀流。
「ッ! 増やした所でぇぇえ!」
上昇する【敏捷】に加え、対するメルリンドの速度は確実に低下している。
手数が増えたところで大した脅威ではない。
慣れないはずの森での戦闘においても、岩を、樹木を、黒色の動く木をも足場とする抜群の戦闘センスは立体機動を可能にする。
生み出されるのは暴風にも似た拳打のラッシュ。
連続する衝突音。
壮絶な零距離の連打。
――くそっ当ったんねぇ!
しかし『顔をぶっ飛ばして終わり』と考えていたルスカは気が付く。
メルリンドの目線が追って来ていないことに。
それにも関わらず全ての打撃が紙一重で防がれている。
――まるでどこが狙われているか知っているような……
「気が付いたか? これは『速さ比べ』ではなく、『読み比べ』だ」
「ゥッ!」
火花。
小突かれたのは拳の底。
アッパーに合わせた剣技に上体が浮く。
既視感。
まるで再現。
迫るは細剣の横薙ぎ。
「クッ!」
超速の立て直し。
間合い外へのバックステップ。
――見切ったっ ぶっ飛ばして終わりに
次の瞬間、横薙ぎの細剣がピタリと正中線で止まった。
「ッ!」
「【風槍】!」
◇
高密度の旋風は、次第にそよ風に変わり、木の葉を揺らし消えゆく。
「……さらに後ろに飛んだか。本当に素早いな」
なぎ倒された木々の隙間。
顔を歪めるルスカは赤みの混じる汗を拭う。
「はぁはぁ……それが奥の手か」
視線の先。
よく見なければ気が付かないマナ領域。
メルリンドを広く覆うそれは微かに煌めいていた。
「奥の手? これは第2の手だぞ」
フリフリと掲げられるパリィングダガー。
「――てめぇ」
「冗談だ。そうだな……このスキルは『第3の目』でもあるな」
「??」
「ふふっ『もうお主の動きは見切った』というヤツだ」
「ッ! 調子に乗りやがってぇぇええ!!」
猛る餓狼。
即座に最接近する影が交差する。
ダガーが火花の散らし、細剣が手甲を穿つ。
超速度の拳が空を切り、流され、弾かれる。
視線は尚も定まらない。
それでもぶん殴るためだけに特化した体運びが崩され続ける。
「どうした? 見えているぞ」
「うるせぇええ!」
常人には目視できぬほどの息もつかせぬ高速戦闘。
だからメルリンドが選択したのは『視覚』ではなく『マナ覚』。
【迅雷の心得】
それは微弱な雷属性のマナ領域が見せる超感覚。
宛らイメージングレーダーのように正確に対象を捉え最小限の動きで迎撃を続ける。
これこそがメルリンドのマナ感知の神髄。
まさに『第3の目』が拳打の到達を許さない。
「ちょこまかしやがってぇぇえ! 守ってるだけかぁ?!」
――そう、攻撃の芽は潰されたままだ。
――反撃を許さぬラッシュは止まっていない。このままスタミナを削る消耗戦は悪手。
「『攻撃は最大の防御』なら、確かにお主は止まらぬよな。ならば――」
――【迅雷の極意】
『パチッ』っと小さな放電。
次の瞬間。
轟音。
迸る稲光。
「あぐっ! がっあぁああ!」
突如スパークした視界。
収縮した筋線維が膝を畳む。
晒したのは致命的な隙。
歪む視界に捉えたのは迫る細剣。
「んあ゛ああ!」
首を垂れる間際、咄嗟に地面を殴る。
正に『攻防一体』を体現したようなマナ領域は、『近づいただけで詰み』と言っているようなモノ。
腕力のみで体を飛ばし、雷光を放つ領域を脱する。
「……凄まじい戦闘センスだ。だが、やっと足を止めたな」
ダガーが白銀鎧の内ポケットに消え、戦いは終わりと言わんばかりに『カチン』と細剣が鞘に納まった。
「くっ、ぐぅ……くそがっなめやがって! なんのつもりだ!」
片膝をつくルスカには苦痛と怒りの表情が覗いた。
未だ痺れの残る四肢に檄を飛ばし、拳技の構えを結ぶ。
その怒りの矛先は勝敗の帰趨を見切られたからでも、反則と言っていいスキルを温存していたことでもない。
細剣を向けられた部分の傷が癒えていることに向けられた。
『内心ほくそ笑んで手心を加えたのか』と滾る紅瞳には、激情と戦意が混じる。
「手加減、ではないぞ。これ以上お主を速くしないためには、与えたダメージより“癒してやれば良い”のだろう?」
「なっ……そんなことっ」
血で血を洗う戦場では起こり得なかった“敵を癒す”という選択に瞳が見開かれる。
「時間もない。仕置きを始めるぞ。あまりこれを使っているとな――」
『ピシッ』
髪紐が弾ける。
自由を得た緑髪は浮遊するように揺蕩う。
輝くマナ領域と木漏れ日を纏うその姿は、まるで後光を背にした神々のような神秘性を帯びて映る。
「『髪が痛む』と心配されるのでな」
ただし、手のひらには【治癒】の輝きと『バチバチ』となる紫電、そしていたずらっ子のような笑顔が台無しにしていることを除けば。
「ひっ!」
「腐っていなければ性根は叩きなおせる。安心して良い。何度でも尻を叩いてやる。何度でもな」
「なっ! や、やめろよっ はぁぅ/// やめろよぉお///」




