第8話「糸環シロー3」
急に無言になったシロ。程なくしてゆっくりと目を開き、前を向いた。
座り込んだ男は、薄い笑みと共に、
「どうだい? 考え直してくれたかい?」
「…………」
男の問いかけに、シロは答えなかった。どころか、視線も向けない。無言のまま、一歩、二歩と、『種』の『核』の方へと歩いていく。
「……なるほど、やっぱりそういう手段に出たわけだ。そのカードの力でもって、強制的に、完全無欠の『心無い人間』にあいなったわけだ」
おどけるようなトーンで言ったが、シロは視線を泳がせない。
「どうだい、今の気分は? ……もしかして、気分って単語自体、忘れてしまったのかな? 脳内から消してしまったのかな? ……そんなんじゃ、目的を達成したところで、『達成感』なんてものも得られないだろう? さっきの話じゃないけど、一体君は何が楽しいんだい?」
「…………」
脇目もふらず歩いていくシロ。
男はここで初めて、腰を浮かせようとした――しかし、それに反応するように、シロはぴたりと足を止め、右手に握っていた黒いカードを掲げる。
「……これ以上少しでも動いたら、そのカードで僕を壊すってことかい? ――はいはい、わかったよ」
溜め息をつきながら、男は再度座り込む。
するとまた、シロは無言で、無表情で、『種』の『核』へと歩きだした。
「……まあ元々、力尽くでどうこうするつもりはなかったし――そもそもを言えば、君が『そう』なった時点で、僕はこれ以上何もする必要はないんだけどね」
歩を進めていき、シロはついに『種』の『核』の前にたどりついた。左手を上げ、その掌を種の表面に当てる。
「……さあ、君が望んだ状況だよ。君の好きなようにしたらいい。……で、どうするんだい?」
男の問いかけに、しかしシロは――
――そのままその場で、動かなくなってしまった。
種に手を当てたまま、
直立のまま、
瞬きもしないまま、
無表情のまま、
無言のまま、
その場に固まってしまう。五秒経ち、十秒たち、三十秒経ち、一分経ち――しかしシロは、それ以上何も行動を起こさない。
「……言わんこっちゃない」
男は嘆息した。
「『心が無い』って、つまり『そういうこと』だろう?」
言いながら、すくりと立ち上がる。そしてシロの背後に歩み寄った。しかし、シロは何も反応しない。
「有体に言えば、一昔前のロボットと同じさ。プログラム通り精密に動くけど、それ以上のことは何もしない、できないってことだろう?」
シロの後方わずか一メートルまで近づいたが、何の反応も返ってこない。
「君は、心を完全に消したおかげで、僕の甘言に惑わされず、この五個の『種』の『核』すべての影響範囲内に辿り着いた。そしてその種に触れ、いざ発動させようとした。あとは、君の目的を達成させるための未来像を脳内に浮かべればいいだけだった――しかし、その作業にも、細かな不明点、不可解な点、不安な点がいくつもあったはずだ――例えば、五個とも同時に発動させるには本当にこの地点で良いのか? 種に触れるのはこの場所で良いのか? 他の罠はないか? 失敗したらどうリカバーするか? 世界中を範囲とする場合、具体的にどの場所をイメージすればいいか? 誰をイメージすればいいか? どれくらい時間をかけてイメージすればいいか? ……普通に考えれば、まぁ些末な疑問さ。無視したっていい、やってから考えればいい、くらいのね。しかし今の君には、新たに生まれたそれらの疑問に対して、新たに考察したり、判断したり、回答を導いたりするモチベーションがありはしない。なぜなら、そのための『動機』も、その原動力となるべき『感情』も『激情』も、今の君にはすでにないからさ」
ここまで言うと、男は手元のノートをパタンと閉じた。そしてシロに背を向け、部屋の奥へと進んでいく。
「……まあ、そのうち誰かが君を見つけてくれるだろう。僕の役目はここまでだ。もし、この後また会う機会があったなら――そして、その時の君が『改心』したいと望むなら――うってつけの先輩を紹介してあげるよ。……まあ、それが良い方向の改心かは、保証しかねるけど。
じゃあね――
――『心無い人』
――改め、
――『生きる屍』君」