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第7話「糸環シロー2」

 暗証番号を入力し、指示された部屋に入ると、そこはほとんど真っ暗だった。


 どれくらいの広さなのかも、よくわからない。

 壁際に幾重にも積み上げられた、コンピュータと思われる機械類――そこからこぼれる点滅LEDの明かりだけで、うっすらと周囲が見えるだけである。


 歩いていくと、五つの大きな影があった。


 形としては、果物の種――それこそ、リンゴの種のようなものだった――ただし、その大きさは見上げるほどだ。大型トラックと同じくらいか、それ以上だった。


 この形と数からして、間違いないだろう。

 これが『種』の『核』だ。


 情報は本当だったようだ。信頼に足る取引相手だったということか?――


 ――いや、そんな単純な話でもないだろう。


『信頼』などという、実体のない言葉に身を預けた覚えはない。『あいつ』はそもそも最初から、この取引自体を特に問題視していないようだった。何が起きても問題ない、黒いカードを使えばどうとでもフォローできる、と考えている節があったのだ。


 ――まあもう、それらはすでに過ぎたことだ。


 迷う時間ほど、無意味なものはない。

 迅速に目的を達成しよう。

 そう思って、『種』の『核』に歩み寄ったシロ――その眼前に、別の、小さな影がった。


 ――座り込む、一人の男だった。


『種』の『核』をぐるりと囲う、膝下くらいの高さの塀。その縁に座り、手には――ノート? A4かB5くらいの大学ノートを手元に広げ、そこに目を落としていた。


「……やあ、初めまして」


 その男が声を掛けてきた。

 シロは足を止める。

 ここに別の人間がいるなんて、そんな話は聞いていない。……これも『あいつ』の差し金か? もしくは、もっとイレギュラーな事態か?

 いぶかしみ身構えるシロを、しかしその男は気にかけるでもなく、口上を続けた。


「自己紹介……は、必要ないだろう。僕にとっても、君にとっても、ね。ただ一応、僕は現状、君の先輩であると、それだけは伝えておこうか――まあそれだって、今後どうなるかわからない話だしね」


『君の先輩』――つまりこの男は、オレのパーソナリティをある程度知っているということか?


「念のために言っておくと、君をここに寄越した人間と僕は無関係だ。無関係中の無関係。その人にとっても、すこぶるイレギュラーな出来事のはずだよ、僕の介入は。だから、その人を疑うなんてことはしないでくれ。僕のせいで、関係ない人が蔑まれるのはさすがに心苦しい」


 ……その言葉を信じろと言うのか? どうやって? 何を『根拠』に?


「さて、とりあえず本題に入ろうか――僕がここに来たのは、一つ、君にどうしても尋ねたいことがあったからだ。……なに、難しいクエスチョンじゃない。イェスかノーで答えてくれればいい。簡単だろ? さあ、答えてくれ、僕の質問――



 ――『君は、正気か?』」



 一瞬の静寂。

 次いで、シロはその男を真っ直ぐに見返した――正気も正気だ。日本で一番正気を保っている自負がある。


「君の性格については、僕も、ある程度わかっているつもりだよ。初対面ながらね。一言で表すなら――少し安っぽい言葉かもしれないけれど、気に障る表現かも知れないけれど、シンプルに言えば――


 ――君は『心無い人』ってところだろう?」


「…………」

「自覚はあるかい? ……ああ、僕は別に、そのこと自体を軽蔑しているわけじゃない。問題視しているわけじゃないんだ。たとえ心がなくとも、君は人間だ。決して人でなし(・・・・)ではないし、人でなし(・・・・)な奴よりかは随分とマシだよね」


 ……さも、『人でなし』な奴を具体的に知っているような口ぶりだ。


「君が『そんな風』になった経緯も、まあ、ある程度予測はつくよ――あくまで予測だけれど――つまり君は、何らかのきっかけから、『悩むこと』、『迷うこと』、『逡巡すること』、そして『感情に左右されること』、それらをよしとしなくなった。受け入れなくなった。無駄だと断じた。そういうことを可能な限りしないように、行わないように、何年も生きてきた――その結果として、君は、今の君になり得たんだ。つまり――


 ――何か目の前で事象が起こった際、ほとんど条件反射と同じようなスピードとプロセスで、予め用意していた結果に考慮なしに結びつけてしまう、そういう思考回路を自分の脳内に構築したのさ」


 …………。


「予想外の出来事が目の前で起こったときに、君は他の可能性を推察したりしない。記憶を遡って経験的に判断したりしない。保留して確認作業に戻ったりしない。感情に問い掛けたりしない。あくまで、予めインプットしていた答えに辿り着くだけ――常人がやれば、失敗続きで、とても普通に生活できるような生き方じゃないだろうけど、君にはできた。できてしまったんだ。数年の尽力と、先天的な能力と、尋常じゃない動機付けの結果、見事にそういう生き方を体現してしまったわけだ。決して悩み惑ったり、あるいは何かに憂いたり戸惑ったり、慮ったりしない人間――つまり、『心無い人間』ってのに」


 …………。


「そうだね。タラレバの話で申し訳ないけれど――もし、『人の心を読める』人間ってのが存在して、君を見たらどう思うだろう? まあ、簡単な話だよね。『人の心を読める』ってのは、その対象人物の脳内の電気信号を遠隔で受信し、解析し理解できるってことだから――君の脳内を見ても、見えるものがほとんどない。ほとんどが見えない。君自身の個性も目新しいものも、何もない。見当たらない。見つからない。少し失礼かもしれないけど――君のことを『つまらない』と感じてしまうんじゃないかな?」


 …………。


「じゃあ、もし、『人の心を操れる』人間ってのが存在したらどうだろうか? ……これもまあ同じような話で、君の脳内にはシンプルで直線的な電気信号が稀に流れるだけだから、操ろうと思ってもなかなか操れないだろう――ただ、『人の心を読める』人間の場合と違うのは、この手の人は恐らく、今まで散々他人の心の中に干渉してきた輩だからね。他人という他人を総じてナメている節がある。……けれど君だけは、そう単純にはいかないというわけだ――個人によるかもしれないけど、そういう輩は、君に対して興味を持つ可能性も高いんじゃないかな? 操ることができない君が果たして、自分の眼前でどういう行動をとるのか? どういう選択するのか? そういうことに興味をもったり、あるいは、そのうち君のことも操ってオモチャにしてやろうと虎視眈々と狙ってたりしても、まあ、おかしくはないよね?」


 …………。


「これらのことから察するに――君のことを単刀直入に『心無い人』と言ってしまったけれど――そもそも『心』ってのは、『人の心を読める』人が読もうとする部分、『人の心を操れる』人が操ろうとする部分――つまり、その電気信号の『揺らぎ』や『乱れ』や『遠回り』の部分なんだろうね。知識、記憶、性格、状況、精神状態――そういうものが影響して、結論に至る前にあちらこちら飛び回る思考。それが、君がこれまで排除してきたものの実像なんだ」


 …………。


「……ちなみに、突然目の前に現れた僕のことを、君はどう考えているのかな? 実は現在進行形で、迷ったり、悩んだり、戸惑ったりしているのかな?」

「……してるわけないだろう」


 シロは吐き捨てるように言った。


「こんな地下に相当金がかかってそうな施設を隠して、しかも『種』の『核』なんてシロモノを五つも保管し、監視してる――この那頭奈大学と、その背後にあるだろう何らかの組織が、カタギでないことくらいわかる。あんたも、そこから派遣されてきた人間だろう」

「……一応最初に、無関係と言ったはずなんだけどね……まあ、信じるわけもないか」


 座った男は軽く息を吐く。

 シロはシャツのポケットから黒いカードを出した。


「……残念ながら、オレもまるっきり丸腰というわけじゃない。あんたをリンゴのように壊すことも可能だ。オレは別に、あんたに構いたいわけじゃない。構っている時間はない。……どけ」

「……なるほどね」


 男は口元を歪めながら、両肩を持ち上げた。


「……でもさ、そのカードを使うにあたって、君ってば随分自信ありげだけれど、本当に大丈夫かい?」

「あんたに心配されるいわれはない」

「でも心配だなぁ……だってほら、君がそのカードを使った瞬間、まかり間違って、僕じゃなくて、この背後の『種』の『核』が壊れたりなんかしたら、それこそ大問題じゃないか」

「な――」


 何を適当なことを――とシロが口にしようとした瞬間、


 ――ペシリッ


 乾いた音がし、目の前の『種』の『核』の一部が欠け、消滅した。


「……ほら、言わんこっちゃない」


 その欠けた部分を振り返り、男はあーあと呟く。


「君のそのイメージに反応したのが、その小さなカードの方でまだよかったよ――これがもし、その『種』の『核』の方が反応していたら、どうなっていただろうね? それこそ、すべてがおじゃんになってたじゃないかな――言っちゃ悪いけど、君も別に『完璧』というわけじゃないんだ。『心無い』と言っても、実際はゼロじゃない。他人より極端に少ないだけであって、君だって少なからず揺れている。悩んでいる。戸惑っている。そしてこの『種』の『核』は、その揺れや悩みや戸惑いも忠実に投影する。だからこうやって、種の方が壊れたりするわけだ。……そんなんで、本当に大丈夫かい? 今日の所は帰った方がいいんじゃないかな?」


 この男の発言に、シロはぎりりと歯軋りをした。


「……君がこれからやろうとしていること――想像でしかないけれど――多分、壮大で、複雑なことをしようとしているよね? そうなると、少しの揺れが命取りだ。そういう大層なものは、難解なほど、色んな影響と齟齬から、一つでも狂えば、結果としてその効果が伴わなくなるものがほとんどだ。……ねえ、君は本当に、『これ』で君が思う通りのことができると思っているのかい?」

「……うるさいっ!」


 シロは叫んだ。


「これは、とっかかりだ! 手始めだ! きっかけとして、世界が正しい方向へ進むよう、その口火を切るためのものだ! 『夢』も『希望』も『期待』も消し去る! まずは北半球から! そして世界中から! 消し去って、正しい世界を始めるんだ! 足りなければ、追加の施策を行っていく! 誰にも止めさせやしない!」

「『正しい』ねえ……」


 言いながら、男はシロの手元を指さした。


「……ほら、震えているじゃないか」


 言われて見ると、黒いカードを握りしめたシロの右手は、小刻みに、左右に振れていた。無意識だった。


「今の現象で、この『種』の『核』が思いの外センシティブだったことに、不安になったんだろう? 思い通りに事が運べるのか、確信が持てなくなったんだろう? ……その迷いはすこぶる正しい。それこそまさに、君が排除しようとした『心』の作用によるメリットだよ。無意識の予測や感情の訴え、潜在意識下の経験則から、正しい選択を促すためのものさ」

「……ち、違うッ!」


 違う違う違う違う――と、自分に言い聞かせるように、シロは繰り返した。

 ガシガシガシと、髪を掻きむしる。

 ――これは、不安などではない。迷いなどでは断じてない。オレの思考回路がまだ未熟なせいだ。不完全なせいだ。そうでなければ、間違いなくうまくいく計画なのだ。ならば――


 シロは黒いカードを握りしめ、目を閉じた。

 そして口には出さず、頭の中で呟く。



 ――このカードの力で消せばいい。

 ――完全に消してしまえばいい。

 ――この揺れや迷いを生む、根本的な原因を。

 ――オレの『心』を。

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