第5話「奥沢クルトー2」
「ほら、見てみなよ、糸環君! これが、君がイメージした『壊れたリンゴ』だ」
そう言って奥沢は、シロに笑いかけながら、テーブルをなぞった指先を見せてくる。
首をかしげながらもそれを見ると、その指の表面に、白い粒が無数にこびりついている。これらは、リンゴの果肉の粒? ――リンゴは、結晶かと思うくらい細かく分割され、あのテーブルの上に広がったということか?
考察するような表情のシロを見やり、
「今ので何となく分かったと思うけど、そのカードは、握った人の脳内イメージを具現化することができる。実体化することができる。そういうシロモノなわけさ。……ただ、普通はね、こういう場合――」
と言いながら、奥沢はその人差し指をぺろぺろと舐めだした。
「――普通の人がリンゴを壊そうとした場合、リンゴが弾け飛んだり、上から押し潰されたようになったり、あるいはナタで刻まれたようになったり、そんな挙動をして、結果として、リンゴが『壊れた』状態になるんだけどもさ」
次いで、白衣のポケットからハンカチを取り出して、人差し指を拭う。
「君は違った。まったく違ったんだ。そんな『壊れる途中』のリンゴなんてイメージしなかったんだ。あくまで、『壊れた後』のリンゴだけを、純粋に、率直に――それこそ脳直で――その脳内にイメージしたんだ。その結果、あまりの変化に、僕にも君にも、リンゴがまるで『消えた』ように見えたわけだ」
奥沢はハンカチをポケットに戻した。
「……そしてまた、この『結果』も実に興味深いよ。ボロボロに崩れるとかではなくて、皮も、果肉も、種も、ヘタも、このリンゴを構成していた何もかもが、イメージできる限り最小の大きさに分割されている。『さらに壊れようがある状態』なんかではなく、あくまで、想像できる限り、『極限まで壊された状態』になったわけだ。これはすごいことだよ」
ツカツカとパソコンの方へと戻り、奥沢は椅子に座り直した。
「……これから君にはね、例の『種』の『核』を使って、同じことをしてもらうわけさ。そんなテスト用なんかではなくてね。そして君には――ご覧のように、経過を無視して結果だけを最大値で体現することができる君には――その『核』のポテンシャルを最大限に発揮させる能力があるということさ。才能があるということさ。ふふふ、テストなんてして悪かったね。合格どころか、君はすでに人類のチャンピオンさ! おめでとう!」
ぱちぱちと手を叩く奥沢。
褒められて――シロには特に、思うところはなかった。
「……ちなみにね、その『種』の『核』っていうのは、そのカードに埋め込まれている欠片の本体になるわけさ。出力は、そのカードの数億倍。作用としては、言うなれば、映写機と思ってくれればいいよ。君がイメージしたものをこの現実世界に映し出す映写機さ――と言っても、映像が写されるんじゃない。現実が、現実に映し出されるのさ。だから――」
「……わかりました。それ以上は大丈夫です」
シロは、奥沢の言葉を遮った。
「恐らくそれ以上は、オレが聞いても詮なき事でしょう。時間の無駄です」
「そう? …………まあ、君が良いなら良いけどさ」
奥沢はわずかばかり残念そうな顔をし、
「……じゃあ、次は報酬の話かい? だったら確か、話では、君の前払いだったよね?」
この奥沢の問いかけに、シロは自身の腕時計を見やった。
「……もう、振り込まれてるはずです」
「あ、ほんと?」
そう言って、奥沢はポケットからスマホを取り出し、スルスルと弄りだす。
「…………おお! ほんとだ! ほー! ありがとう! これで文句はございません! 一切ございません! ――というか、やっぱすごい額だよねえ、これ。こんなに、いいのかな?」
「元々オレの金じゃないし……さらに言えば、キレイな金でもありませんから」
「ふーん、まあ、詳しくは聞かないよ。命は惜しいからね」
「……逆に、その歳で、これだけの金を必要としている方もどうかと思いますが」
「そうかい? 別にこっちは単純な話でね。俺はここに軟禁されてるわけだけど――つまりは、その刑期を買うのさ。このお金で。……おかげさまで、これで半分くらいになる」
「……半分でどれくらいになるか、聞いてもいいですか?」
「うん、まあ、百二十年だよ」
「……生きてるうちに出れるんですか?」
「あとは、模範生としての恩赦と、成果で埋め合わせるのさ。せめて十年くらいは、外に出て生活できるといいんだけどねえ」
言いながら、肩をすくめる奥沢。
「ここの生活は快適だけど……やっぱりね、こうなると求めてしまうんだよね――ああ、空が見たい。山が見たい。海が見たい。川が見たい。星が見たい。月が見たい。……この三年、まったく見ていないからねえ、恐らく僕の中では、これらの風景が恐ろしく美化されていると思う。見えないほど、見えないのに、惹かれてしまう。見えないものを、見えないからこそ、求めてしまう。人間てのはそういうもんなのかもねえ」
ふふふと自嘲気味に笑う奥沢――ズキンと、シロの頭が疼きだした。
「…………もう、話はいいです。さあ、早く対価を」
「そうだったね――ええと、この部屋を出て、右の方に進んでいくと暗証キー付きの扉があってね。その先に、『種』の『核』が五つ保管されているわけさ。その五つの『核』を同時に起動させれば、少なくとも北半球を範囲として、君の思うまま、君のイメージした通りに、君の目的が『達成』されるわけだけれども――つまり対価ってのは、僕が命懸けで探り出したその暗証番号になるんだけど、いいかい?」
奥沢を真正面から見据え、こくりと頷くシロ。
――じゃあ、百回ほど繰り返すから、
――メモは取らず、覚えてってくれ、
――121桁の暗証番号。