第3話「心深沙良ー2」
この時期、新入生を見分けるのはそこまで難しくない。
まだ高校生チックな格好をしている子。
まだファッションにやる気のある子。
もしくは、服装が総じて新しめの子。
この辺りを見極めれば、高い確率で一年生に当たる。実際、心深の打率もそこまで悪くなかった。部室棟から程近い、人がそこそこのキャンパスの中庭でビラを配る中でも、ぽんぽんと明らかな一年生に渡すことができていた。しかし、
「文芸部、いかがですかー?」
「…………」
「…………」
「…………」
笑顔と共にビラを渡しても、なかなか返事が返ってこない。男子なんかは、通り過ぎた後もちらちらと心深の顔を振り返ってくるが、残念ながらそれ以上のレスポンスはない。結局十分も経たないうちに、心深の笑顔はあからさまに引きつることになった。
そんな時だった。
男が一人で歩いてきた。そしてビラを渡すと、その内容をつらつらと読み始めたのだ。
「お? 興味あります?」
と言って、心深はこの男の顔を覗き込んだ。
「え、あ、いや、そういうわけじゃ……」
と困った表情をするその男。
――この時、心深に悪意があったわけではなかった。
ただ、いつも行っている『精神操作』。俗にいうマインドコントロール。その導入部分を、挨拶代わりにかましたというだけだった。
ようはきっかけ作り。これでしばらく引き留め、話をして、最終的に興味を持ってくれたらラッキー、ダメなら仕方ない。その程度のものだった。
しかし結果として、心深が驚くことになった。
手応え――というか、精神応えがまったくなかったのだ。操作すべき精神に突き当たれない。これは初めての経験だった。
「……文芸部、ですか? ……ああ、オレ、ちょっとそういうのは……」
と苦笑を浮かべる男に対し、心深は、
「…………く、くくく、はは、はははははは、あっはははははははははは!」
と、腹を抱えて笑い出した。
「ははは、あははははは、いやいや、くくくく、ははははは、おもしろい、あんた、おもしろいわね!」
「……え? え? な、な、何です?」
と顔を引きつらせ、後ずさる男に、
「ああ、ああ、いいの、いいの、そんな小芝居は」
と、あまりに笑い過ぎてこぼれた涙を拭いながら、心深は語り掛ける。
「いやいや、わかる、わかるわよ。あんたのその思考、考え方は。無駄を省きに省いた結果の、その極地! 人生を有意義にするために無駄を排除していたはずが、『無駄を排除すること』自体が目的になっちゃったっていうその感覚! 本末転倒の宝石箱ね! ああホント、おもしろいわー」
思い出し笑いをするように吹き出しつつ、心深は続ける。
「いや、私もね、いつかそういうヤツを見かけることもあるかとは思ってたんだけど……まさかほんとに、こんなところでばったり会うとはね! いやーほんとおもしろいわー」
「……な、な、何なんですか!」
男は段々と肩を震わせながら、顔を赤くして声を張り上げた。
「ちょ、し、失礼じゃないですか! 初めて会った人にその物言いは! 酷い言い草じゃないですか! 言ってる意味はよくわかりませんが! 言葉尻から、なんか、オレを蔑んでるのは、オレにだってわか――」
「あらら! 演技も上手なのね!」
心深はぐーと親指を上に突き立てる。
「もしかしたら、文芸部よりも演劇部の方が、あんたには合ってるかもね! ……うっくく。まぁもし、どこにも行くところがなかったら、文芸部に来なさいな! 歓迎するわ! 一緒に楽しくやりましょう!」
「し、知るか!」
吐き捨てるように言って、男――糸環シロは駆けだした。その顔には困惑と怒り――いや、まるで親の仇でも睨みつけるような、憎悪の面が現れていた。
その背中を見やり、心深がうんうん頷いていると、
「……あ、心深せんぱーい!」
と、今度は甲高い声が聞こえてきた。
振り返ると、頭頂部に白いゴムで団子を作った、大学生にしては小柄な少女がこちらへ駆けてくる。
「ああ、まいみちゃん! ようやく来たのね!」
待ってましたとばかりに、心深は両腕を広げる。
まいみは心深に駆け寄り、そのままばふりとその腕の中に飛び込んだ。
「……やっと、やっとたどり着きました。さっきまで、何べんも同じところをぐるぐる回ってて、一生たどり着けないかと思いました……」
「なによ、電話くれれば迎えに行ったのに!」
と、まいみの頬をブニブニとひっぱる心深。
「……で、まいみちゃん! 早速で悪いんだけど、あなた、文芸部に入らない!」
「ぶ、文芸部、ですか……?」
ぽかんとするまいみ。次いで口をへの字にして、
「……うーん、あ、いや、ダメということはないんですけど、その、あたしももう少し、色々見たいかなーって……。ほら、一応大事な大事な大学生活ですから、どこがいいか、ちゃんと自分の目で見極めて――」
ふいに心深は、まいみの目の前で指をぱちんと鳴らした。
その瞬間、まいみの目の焦点が合わなくなり、
「――な、何を言ってるんですか!」
と、急に怒鳴り声をあげる。
「あたしがこの大学に来たのは! すべてもすべて! 心深先輩の側にいるため! 一緒にいるため! 全てを捧げるためですよ! それなのに、敬愛する――いや、愛する先輩が入っている部活に入らないなんて! そんな選択肢があるわけないじゃないですか! さあ! 早く入部届を! 今ここで! 血文字の署名と血判をいたします!」
「ああー、やっぱりまいみちゃんはまいみちゃんだわー、ありがとー」
ぐりぐりとまいみの頭を撫でまわす心深。
「別にうちは兼部オーケーだから。毎月の部集会にさえ出てくれれば、それで問題ないわ。あとは好きに他のサークルにでも入って頂戴――さ、さ、部室に行くわよ! 部長に紹介するわ!」
そう言って心深は、いまだ虚ろな目をしたまいみの手を引き、さも連行するように、文芸部の部室へと戻っていったのだった。