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エニアグラム

 ずいぶん放置してしまった。

 リーの恋愛色彩論、プラッチクの感情の輪と書いたので次は性格論としてのエニアグラムを題材にしようかと軽く考えていた。

 図形も書いたし、さあ執筆するかと思っていてもなかなか書き出せない。

 宗教論争に巻き込まれる可能性に(おび)えて筆が止まってしまったのだ。

 前回更新から早、一年超。

 しかしエタったわけではない。


 某巨大掲示板から専門サイトまで、エニアグラムに関してはみんな熱い。

 様々な論争がある。

 良く知りもしない私がうかつなことを書いて火だるまになるのを想像すると恐ろしい。

 いや、分かっている。

 ここで私が何を書こうがそんな大したことにはならない。

 悲しいけれどそれが現実である。


 エニアグラムには人を熱くさせる何かがある。


 特に小説を書くうえでエニアグラムによる性格分析、キャラクター設定は定石であると思う。

 だからエニアグラムについて記事を書くのも、なにかしら意味があると思う。

 以下独自研究を含むが、お付き合いいただけると(うれ)しい。


 エニアグラムとはなんぞや、に関して語るのはとても難儀だ。

 色々な教義や宗派があり、単純ではない。

 しかしまあ、自分なりの理解の説明を試みよう。


 性格論としてのエニアグラムは性格分類の手法の一つである。

 人間には持って生まれた個性としての性格の類型があり、それは九つのそれぞれ異なったタイプに分類できるという。

 各タイプは参照する文献、WEBサイトによりさまざまであったりするが、概ね以下のような表題が与えられている。


 タイプ1: 改革者 The Reformer

 タイプ2: 献身家 The Helper

 タイプ3: 達成者 The Achiever

 タイプ4: 個性的な人 The Individualist

 タイプ5: 調査者 The Investigator

 タイプ6: 忠実なる人 The Loyalist

 タイプ7: 熱中する人 The Enthusiast

 タイプ8: 統率者 The Leader

 タイプ9: 調停者 The Peacemaker


 これらを九つの頂点を持つ特徴的な図形の各頂点に対応させて並べて表現する。

 つまりは以下のような表現となる。


挿絵(By みてみん)


 それぞれのタイプは選択した中枢と外界との関係に関する自己認識により区別されている。

 表にすると以下のようになる。


挿絵(By みてみん)


 縦軸にある中枢とはなんぞや?

 中枢とは人が人としてあるために必要な機能を司る抽象的単位で、腹中枢、心中枢、頭中枢の三つがある。

 腹中枢は本能や運動の次元で機能し、人が個の存在を維持継続するのに必要な最も原初的な中枢である。

 心中枢は感情や感性の次元で機能し、主に対人関係を円滑にするのに必要な中枢である。

 頭中枢は思考や想像の次元で機能し、原因と結果、行動と予測の関係把握などに必要な中枢である。


 これら三つの中枢はどれも人としての生活に欠かせない重要なものである。

 しかしエニアグラムでは人間は不完全な生き物であるがゆえに、三つの中枢のうち一つを選んでしまい、選択されなかった他の二つの中枢は機能しなくなってしまっているとする。

 三つの中枢はそれぞれ他の二つの中枢を限定的ながら代行できる。

 また、隣接する中枢は限定的ながら使用できる。


 横軸は外界と自分の関係に関する認識である。

 生まれながらの個性として、もしくは幼少のころの環境や経験として、人は「自分は外界より大きい」、「自分は外界と適応する」、「自分は外界より小さい」という三つの認識のうち一つを感じて成長する。


 この「選択した中枢」と「外界との関係の認識」の組み合わせにタイプ番号1~9を振り、それらを円上に並べたものがエニアグラムの図形になるわけだ。

 「私は外界より大きい」もしくは「私は外界より小さい」と認識するタイプはそれぞれの選択した中枢の両端(ウイング)に並ぶ。

 これらウイングに位置するタイプは隣接する中枢を副次的な中枢として用いる。

 対して「私は外界と適応する」と認識するタイプ9、タイプ3、タイプ6はそれぞれ選択した中枢の中央(否定点)に位置し、他の中枢を使用することができない。

 その結果、選択した中枢で他の二つの中枢を代行するため、本来の中枢の機能が著しく低下してしまう。


 エニアグラムの図に戻るが、図は三つの部分から構成される。

 一つは九つの点を結ぶ円。

 二つ目は円に内接する正三角形、これは否定点に位置するタイプ9、タイプ3、タイプ6が各頂点に配置されている。

 三つめは円に内接する変形六角形、これはウイングに位置するタイプ1、タイプ2、タイプ4、タイプ5、タイプ7、タイプ8が各頂点に配置されている。


 以上を踏まえ、それぞれのタイプについて見てゆこう。


 タイプ1の人間は腹中枢を選択し、自分は外界より小さいとの自己認識を持つ。

 また、心中枢に隣接している。

 腹中枢を選択しているがゆえに攻撃的である。

 しかし、外界よりも小さいとの自己認識と、心中枢に隣接しているため他者の心情を汲むこともできる。

 よって、攻撃の対象は他者へではなく自分へと向かう。

 自己への攻撃は自分の不完全さの否定である。

 一方では頭中枢から遠いため、行動による成果を予測することが苦手で、果てしない努力へと突き進んでしまう。

 このタイプの人間は改革者もしくは完全主義者と特徴づけられるが、至らぬ自分への憤慨がモチベーションである。

 完全な人間になるという幻想を追っているのだから、彼の努力が終わることはなく、彼の憤慨が止むこともない。

 ただし憤慨する人間は完全とは程遠い。

 だから彼は自分が憤慨していることを認めない。


 タイプ2の人間は心中枢を選択し、自分は外界より大きいとの自己認識を持つ。

 また、腹中枢に隣接している。

 心中枢を選択しているがゆえに他者との関係に鋭敏である。

 そして、腹中枢に隣接しているがゆえに自己保存の欲求も強い。

 それらの欲求は他者を心的に操作することにより行われ、行動様式としては依存的である。

 一方では頭中枢から遠いため、行動の結果予想に対してはあまり頓着せず、関係の変化を事後的に実感することが多い。

 このタイプの人間は助力者もしくは与えるもの、しばし愛するものと特徴づけられるが、そのモチベーションは自分自身が他者より有利に立つことである。

 しばし追従や迎合の意味を含む。

 従って彼らが与える愛は無償というわけではないが彼ら自身はこのことに無自覚である。


 タイプ3の人間は心中枢を選択し、自分は外界に適応するとの自己認識を持つ。

 ただし、心中枢の中央に位置するため、本来の心中枢の機能は表面にでてこない。

 心中枢を選択しているがゆえに他者との関係の中に生きようとする。

 しかし、その方法として競争の勝利(腹中枢的解決)や法律/ルールの駆使(頭中枢的解決)によって行おうとする。

 よって彼らは攻撃的な表現形式となる。

 このタイプの人間は達成者、能力主義者として特徴づけられるが、そのモチベーションは自分の優秀性の確認である。

 そのために努力を惜しまず、また他者との軋轢(あつれき)(いと)わない。

 努力自体が目的であり、絶えることのない努力により前進し続けることが可能なのだ。

 ただしその努力が客観的に価値があるかはまた別のことである。

 周囲からは彼らの努力は虚栄や欺き、愛なき行動に見えるかもしれない。


 タイプ4の人間は心中枢を選択し、自分は外界より小さいとの自己認識を持つ。

 また、頭中枢に隣接している。

 心中枢を選択しているがゆえに他者との関係に敏感である。

 外界よりも小さいとの自己認識と頭中枢に隣接していることから、興味の対象は自己の存在価値に対するものとなる。

 その表現形態は後退的なものとなる。

 一方では腹中枢から遠いため、他者からの影響により安易に精神的安定を崩されてしまう。

 このタイプの人間は個人主義者や夢想家、しばし芸術家と特徴づけられるが、そのモチベーションは脆弱な自分の価値を探すことである。

 しかし他者との比較も得意である彼らは、多くの場合自分の価値を認め続けることがでない。

 結果的に彼らは多くの場合憂鬱である。


 タイプ5の人間は頭中枢を選択し、自分は外界より大きいとの自己認識を持つ。

 また、心中枢に隣接している。

 頭中枢を選択しているがゆえに調査することや観察することに長けている。

 そして外界よりも大きいとの自己認識と心中枢に隣接していることから、興味の対象は他者を含む全世界へとなる。

 観察は一歩引いた場所からしか行うことができない。

 したがって後退的表現形形態となる。

 一方では腹中枢から遠いため、自然体でいることが難しく、経験と知識の違いを自明なものとして受け入れることが苦手である。

 このタイプの人間は観察者、調査者と特徴づけられるが、その成果は多くの場合自分自身へのためのものであり、他者へのものではない。

 彼らは習性として知識やものを集め続ける。

 そして得たものを共有したり手放すことに価値を感じない。

 それは傍から見ると吝嗇(りんしょく)家に見えるかもしれない。


 タイプ6の人間は頭中枢を選択し、自分は外界に適応するとの自己認識を持つ。

 ただし、頭中枢の中央に位置するため、本来の頭中枢の機能は表面にでてこない。

 頭中枢を選択しているがゆえにより良き未来への歩みを指向する。

 しかし、その方法として信仰/所与のルールの順守(腹中枢的解決)や他者への依存(心中枢的解決)によって行おうとする。

 よって彼らは依存的な表現形式となる。

 このタイプの人間は忠実なるものとして特徴づけられるが、それは自信の無さゆえである。

 彼らは自らが必要と認めるとき、果てしない努力が可能である。

 必要は複数あっても良く、彼らは効率よく合理的にそれら必要を満たすべく努力するだろう。

 努力を努力と思うことなく邁進(まいしん)できることが彼らの強みである。

 しかしそのためには他者の助力や指導、時には強い肯定が必要である。

 周囲からは優柔不断で臆病に見えるかもしれない。


 タイプ7の人間は頭中枢を選択し、自分は外界より小さいとの自己認識を持つ。

 また、腹中枢に隣接している。

 頭中枢を選択しているがゆえに計画することや観察することに長けている。

 そして外界よりも小さいとの自己認識から、現状に不満を抱えて生きている。

 更に腹中枢に隣接していることから、より良い状況を作り出そうという欲求に駆られ、計画し、実行する。

 より良い状況とは人間関係も含まれる。

 人間関係の改革は一人ではできない場合が多いので仲間を作ることにも長けている。

 結果的にこのタイプは依存的な表現形態となる。

 一方では心中枢から遠いため、他者からどう見られているかの観点が薄く、他者の理解や許容を超えたことに気付かないことが多い。

 このタイプの人間は熱狂者や探求者、時には冒険者として特徴づけられるが、そのモチベーションは現状への不満、否定、苦痛からの逃避である。

 彼らは現状を変える必要があるのだ。

 そのために彼らは知恵を絞り、計画し、試し続ける。

 しかし現状が現状であるのには理由があるわけだから、しばし彼らの行動は周囲を困惑させることになる。


 タイプ8の人間は腹中枢を選択し、自分は外界より大きいとの自己認識を持つ。

 また、頭中枢に隣接している。

 腹中枢を選択しているがゆえに攻撃的であり自己保存の欲求が強く、攻撃の対象は単純に敵へと向かう。

 そして頭中枢を使えるがゆえに危険に対して想像力を働かせるのにも長けている。

 一方では心中枢から遠いため、あまり他者の心的な動きを積極的に察知せず、経験的もしくは観察的な方法により知ることが多い。

 このタイプの人間は挑戦者、守護者、時には統率者として特徴づけられるが、そのモチベーションは自己保身である。

 彼らは危害を受けること、管理されることを極端に嫌う。

 そしてそれら危険の排除のために力を行使する。

 これらの特徴ゆえに隣人が離反してゆくこともあり得るが、そのことが彼らをより怒らせることになるだろう。


 タイプ9の人間は腹中枢を選択し、自分は外界に適応するとの自己認識を持つ。

 ただし、腹中枢の中央に位置し本来の腹中枢の機能は表面にでてこない。

 よって彼らは問題に対して攻撃的ではなく後退的な解決方法を好む。

 腹中枢を選択しているがゆえに自己の保存、安定を指向する。

 しかし、その方法として他者との協調/調停(心中枢的解決)や自己主張を止めること(頭中枢的解決)によって行おうとする。

 このタイプの人間は仲裁者、調停者として特徴づけられるが、そのモチベーションは自己の心の安定である。

 彼らは他者との軋轢(あつれき)に耐えられないのだ。

 だから自己主張を排してでも他者との関係を保たざるを得ない。

 ただしそれは常に成功するわけではない。

 方法を失った場合、もしくは過度な問題に直面した場合、彼らは現実放棄して怠惰になるだろう。


 以上速足ではあるが、各タイプについて説明を試みた。

 注意すべきは、選択した中枢も外界との関係に関する自己認識も、あくまでも「自己認識」であるところ。

 タイプ8やタイプ5だからと言っても、彼らが本当に他者より「大きい」かどうかは分からない。

 同様にタイプ1やタイプ7の人々が他者からみて必ずしも「小さく」見えるわけでもない。

 実際のところタイプ1の人などは他者から見て決して「小さく」など見えないだろう。

 頭中枢から離れているからと言って頭が悪いわけではない。

 同様に心中枢から離れているからといって心無いわけでもない。

 どのタイプにも偉人はいるのだろう。

 そしてどのタイプにも愚かな人はいるのだろう。


 個人的な解釈では「頭の良さ」を知性と取るならば、高い知性とは理性と感性、そしてそれらの実践/言語化に優れていなければならない。

 つまりは頭中枢、心中枢、腹中枢のすべてが高次で活用される必要がある。

 どのタイプであったとしても高い知性を獲得するには努力が必要ということだろう。


 閑話休題。

 エニアグラムの基本となる考え方としては、人は皆、勝手な自己認識を持っている、ということだろう。

 そしてそれぞれの持つ自己認識に応じて誇りと忌避事項を持ち、成長してゆく。

 誇りや忌避事項は行動や習慣の形成を促す。

 行動や習慣はタイプに応じた基本的な欲求と基本的な恐れにより特徴づけられる。

 人は基本的な欲求を実現させる方向への行動を指向し、基本的な恐れを忌避する。

 ただしこれら行動や習慣によってでも、必ずしも誇りは守ることはできないし、忌避事項に触れてしまうかもしれない。

 誇りを傷つけられた場合、囚われの状態となる。

 更に状態が悪くなると抑圧方向に移行し、移行先タイプに対応した囚われが顔を出す。


 またエニアグラムでは成長/統合のプロセスも説明する。

 状態が良い場合、もしくは状態を良くしようとする場合、統合の方向にあるタイプの誇りを感じればよい。


 以上に関して表にしてみた。


挿絵(By みてみん)


 抑圧の方向は注意してみれば以下の方向に動いていることが判る。

 ・攻撃的タイプ→後退的タイプ

 ・後退的タイプ→依存的タイプ

 ・依存的タイプ→攻撃的タイプ


 攻撃的タイプは状態が悪くなると疲れて引きこもってしまう。

 後退的タイプは状態が悪くなると無気力に降参してしまう。

 依存的タイプは状態が悪くなると精神的(たが)が外れて荒れる。


 統合の方向は抑圧の方向の逆向きだ。

 ・攻撃的タイプ→依存的タイプ

 ・後退的タイプ→攻撃的タイプ

 ・依存的タイプ→後退的タイプ


 攻撃的タイプがうまくいかない理由は個人では実現不可能な理想のためである。

 であるのならば、他者との協調の中に解を求めればよい。

 後退的タイプがうまくいかない理由は守るべき内的世界が広すぎるからである。

 であるのならば世界を外に広げ、内と外のバランスを取ればよい。

 依存的タイプがうまくいかない理由は基本コントロールできない他者をコントロールしようとしているからである。

 であるのならば、より自己の内面に解を導けばよい。


 このように、エニアグラムは各タイプの通常の状態、悪い状態、良い状態を説明する。

 エニアグラムの図では、否定点に位置する各タイプを結ぶ正三角形、ウイングに位置する各タイプを結ぶ変形六角形がそれぞれ、抑圧の方向、統合の方向の各タイプを結んでいる。

 つまり否定点の各タイプを結ぶ正三角形ならば以下のようになる。

  抑圧の方向:

   タイプ9→タイプ6→タイプ3→タイプ9

  統合の方向:

   タイプ9→タイプ3→タイプ6→タイプ9


 同じくウイングの各タイプを結ぶ変形六角形ならば以下のようになる。

  抑圧の方向:

   タイプ1→タイプ4→タイプ2→タイプ8→タイプ5→タイプ7→タイプ1

  統合の方向:

   タイプ1→タイプ7→タイプ5→タイプ8→タイプ2→タイプ4→タイプ1


 繰り返し断っておくが、エニアグラムには宗派や亜種亜流が大量に存在する。

 そしてそれら宗派、本家本元亜種亜流間で宗教論争が巻き起こるわけだ。

 私の説明も私の独自研究が入っているため、単に亜種亜流を増やしているだけであろう。

 エニアグラムに詳しい諸先生は鼻で笑うだろう。

 私の説明文に興味を持たれた方であっても鵜呑(うの)みにせず文献をあたることをお勧めする。


 エニアグラムには妙にシステマチックな構造の美しさと、疑似科学的な胡散臭(うさんくさ)さがあって非常に興味深いと思う。

 我々小説家になろうとするワナビはこれらの基本事項を頭に入れてキャラメイクを行なえば、より説得力のある人物造形ができるのではないかとスケベ心満載で愚考するわけだ。


 ところで実在や架空の人物のエニアグラムタイプ判断を例示しているサイトが多々ある。

 その中で私が受け入れられないものがある。

 コナン・ドイル先生の著書シャーロック・ホームズシリーズのシャーロック・ホームズがタイプ5の代表として紹介されているのだ。

 調査や観察が得意だからタイプ5としているのだろうが安直すぎる。

 そうであればすべての探偵小説の探偵はタイプ5になってしまう。

 そんなはずはない。

 私の解釈ではシャーロック・ホームズは典型的なタイプ6である。

 彼は必要があって探偵に必要な調査方法、観察方法を努力して習得したのだ。

 彼は彼の必要と思う技能を貪欲に習得する一方、必要としないものには一顧だにしない。

 相手の知りたいことに対しては必ずしも答えないが、彼が教えたいことに関しては相手の都合を無視して熱心に説き続ける。

 通常の彼は明るく社交的な変人であるし、相棒としてのワトソンに精神的に依存している。

 ワトソンの助力があるとき、もしくはワトソンの危機に対しては英雄的活躍を見せる。

 そしてダメになったときの彼は引きこもりか鬱陶しいいじけ虫である。

 これらはタイプ6で説明がつくし、タイプ5の性格とはかけ離れている。


 タイプ5を小説の主人公に据えるのは正直難しいと思う。

 たしかにタイプ5は良い状態では目的を理解し、その遂行に卓越した知識や技能を駆使する怪物的英雄として描ける。

 しかし通常の状態では黙々と一人で知識を収集する。

 悪いときは投げやりになる。

 良いとき以外の状態に共感しにくい。

 なによりも社交的ではないのが扱い辛い。

 商業的に成功している作品で思いつくタイプ5の主人公としては、機動戦士ガンダムのアムロ・レイや司馬遼太郎先生の花神の村田蔵六、あとは意見が分かれると思うがさいとう・たかお先生のゴルゴ13のゴルゴなど。

 いずれも多くの登場人物が居る物語のなかで超絶的な技能を披露する形でフィーチャーされる。

 彼らが映えるには魅力あるわき役と、彼らのための場を作らなければならない。

 かなりの構成力が要求されることになる。

 タイプ5の使い道としては主人公としてではなく、主人公を支える冷静な参謀役などが良いと思う。

 ちなみにタイプ5が社交的であっても矛盾は無いが、特徴的に描くのが難しくなると思う。


 私はタイプ6を主人公オブ主人公だと思う。

 タイプ6は通常の状態でも社交的で人懐っこい。

 幾つかの特殊技能を持っていたとしてもそれをひけらかしたりしない。

 それどころか凄い力を持っていながらどこか自信なさげである。

 それでいて、自分の技能や他者の能力に対しては冷静に分析している。

 魅力的ではあるがどこかが抜けていることもある。

 思いっきり変人に書いても理由付けは簡単だ。

 誰かのために研鑽(けんさん)し、戦う。

 良い状態のときは勇気があり英雄的な活躍する。

 ダメな場合でも暴力的になったりせず、静かにいじけるので魅力的にダメさを表現できる。

 これならヒロインに慰めさせることも簡単だ。

 上手く作られたタイプ6のキャラクターは、彼の日常を描くだけでストーリーとして成立するだろう。


 実際のところ、タイプ6を主人公に据えた小説や漫画は主流を占めるのではないだろうか。

 世にいうハーレム系の主人公は(ほとん)どタイプ6として描かれている。

 ヒロインたちの露骨なアプローチに鈍感でいられるのも自信の無さで説明がつく。

 もしくはグループの存続が至上命題であるので一人のヒロインを選べない優柔不断さゆえでも良い。

 私たちワナビはタイプ6を研究して、魅力ある主人公をメイクしようではないか。


 この記事が誰かの役にたてばうれしい。


 だが次回更新は一年後かもしれない……。

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