リーの恋愛色彩論
前回のプラッチクの感情の輪はいかがであっただろうか。
色々な考察ができて面白いと思う。
これらの図は複雑であるはずのものを解ったような気にさせてくれるから便利だ。
つまりは我々ワナビの人生経験の浅さを埋めてくれるような気がする。
小説家に限らず芸人は、人生経験を芸の肥やしにして己の芸を磨きあがていたのだと思う。
だからそれこそ女房子供を泣かしてでも「呑む」「打つ」「買う」などで人生経験を積み上げていたのだろう。
そんな人格破綻寸前ではあるが一方で人間というものへの強烈な理解、観察があり、初めて小説というものが書けた。
行き過ぎれば人様の奥方と入水自殺をして相手だけを死なせてしまうなどという、人としていかがなものかと思われる奇行となりえるが、それも芸のためと言えば無価値ではない。
とは言え我々ワナビはそこまで人生を賭けられない。
少なくとも私はそこまでして芸を磨こうとは思わない。
やはり生活は守ってこその創作活動である。
ということで人生を賭けずになんとか座学で人生経験の足りない部分を補いたい。
特に恋愛といった経済的にも時間的にも精神的にも高いコストが必要となるものならなおさらだ。
ということで今回はリーの恋愛色彩論の図が題材だ。
この図もシステマティックで美しい。
規模が小さいので簡単に書ける。
以下のような図だ。
恋愛色彩論はカナダの心理学者John Alan Lee(August 24 1933 - December 5 2013) によって提案された恋愛態度の分類法に関する理論だ。
ここで取り上げられているLOVEは男女間の恋愛態度であることに注意が必要。
プラッチクの感情の輪では、恐らくは男女間の愛だけでなく慈愛、敬愛、友愛、自己愛、家族愛、神への愛等を含んでいる広義の愛であるところが同じ愛でも大きく違う。
リーの恋愛色彩論では哲学書や文学における恋愛の記述を分析して次の恋愛類型を抽出している。
一段階目の類型のグループにエロス(EROS:美への愛)、ルダス(LUDUS:遊びの愛)、ストルジュ(STORGE:友愛的な愛)、およびそれらの混合した副次的類型。
エロスは外見的な美しさに拘りをもち時に一目惚れを引き起こす類型。
ルダスは恋愛をゲームのように楽しむ類型。
ストルジュは友情と似た緩やかな繋がりを志向する類型。
二段階目の類型のグループにマニア(MANIA:狂気的な愛)、アガペ(AGAPE:愛他的な愛)、プラグマ(PRAGMA:実利的な愛)、および「それらの混合した副次的類型。
マニアは執着や嫉妬を強く感じ、激しい感情の中を揺れ動く類型。
アガペは愛する対象への献身や奉仕を厭わない類型。
プラグマは地位の獲得や家庭や子を持つための手段として考える類型。
三段階目の類型のグループに一段階めの類型と二段階めの類型が混合した副次的類型九つを定義している。
マニア的エロス(Maniac eros)
マニア的ルダス(Maniac ludus)
マニア的ストルジュ(Maniac storge)
アガペ的エロス(Agapic eros)
アガペ的ルダス(Agapic ludus)
アガペ的ストルジュ(Agapic storge)
プラグマ的エロス(Pragmatic eros)
プラグマ的ルダス(Pragmatic ludus)
プラグマ的ストルジュ(Pragmatic storge)
つまりは恋愛態度はエロス(美への愛)、ルダス(遊びの愛)、ストルジュ(友愛的な愛)、マニア(狂気的な愛)、アガペ(愛他的な愛)、プラグマ(実利的な愛)の六つの類型とその組み合わせにより合計二十一種の類型に分類することができる。
恋愛は普通一人ではできない。
だから恋愛態度は組み合わせが重要となってくる。
リーの恋愛色彩論では図上で中心の反対側にある類型同士は互いを理解できずに長続きしないと予測されるそうだ。
正直私はこの理論の背景や条件を理解していない。
上記類型は年代やその人の状況によっても変わると思う。
十代の恋愛の時と、三十代の婚活で同じ類型になるとはとても思えない。
相手によっても変わるだろう。
だがしかし、我々の目的は創作にこれらの図が活用できないか? である。
そういう意味では非常に有用であると思う。
恋愛小説を書くとしよう。
まずは主人公の恋愛態度を類型の中から一つ選ぶ。
主人公と恋愛関係となる対象の恋愛態度も類型の中から一つ選ぶ。
すると互いの行動や運命が組み立てやすくなるわけだ。
主人公と恋愛関係になるのは複数であってもよい。
主人公のライバルも登場させよう。
これらの登場人物の恋愛態度の類型はそれぞれ変えてやればキャラの被りがなくて描きわけやすい。
肝要なのはこのような図で一旦キャラクターを決め、後はブレさせないようにすることだろう。
無論キャラの成長によってキャラの恋愛態度の類型を隣接するものに移動させて行っても良い。
最初ストルジュであった彼氏がアガペとなり、主人公があまりにもモテすぎるのでマニアと化す話なんか面白いかもしれない。
最初ルダスとして登場した彼女が主人公と付き合ううちにストルジュ的ルダスになり、主人公の良き理解者となる、なんていうのも王道だろう。
昨今、努力はあまり好まれないと聞く。
小説の中に求められるのは男性向き女性向き、共にとても魅力的な複数の異性が主人公だけに好意を寄せて群がってくる図式であるという。
そうであれば主人公の恋愛態度はアガペかストルジュが好ましい。
受け身であるが誠実な主人公にエロス、ルダス、マニアな異性を配置し、それぞれが主人公を賭けて争いながら、読者に許容される近しい類型に成長していくパターンが良いだろう。
結論としてはリーの恋愛色彩論の図は妄想膨らむ良きツールであるということ。
ぜひ活用してくれると嬉しい。