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六本のやきとり

作者: タケノコ

三十五度を超える日々が続く、真夏の建設現場で、土木のアルバイトをしている。土木と言っても、ユンボでは掘れないような狭い場所を、スコップを使い、人力で穴を掘る仕事だ。毎朝早く起きて現場に向かい、直射日光を浴びながら、ヘルメットの中を蒸らす。炎天下の中、汗水垂らして過酷な肉体労働をしている。昼はもっぱらコンビニ弁当を喰う毎日。炭水化物が中心で栄養は偏る一方。命を削る生活だ。皆がそうではないと思うが、単純作業の疲れからか、マイナスに考えてしまう。とにかく風呂に入ってさっぱりしたい。冷たいビールをグビグビ飲みたい。三本飲みたい。これが日常生活の唯一の楽しみになっていた。いつもより仕事を早く上がり、帰路に着く。駅前の繁華街を抜けるいつものルートだ。常に危険が隣り合わせのこの道は、誘惑で一杯だ。ちょっと歩けば、色鮮やかなドレスに身を包んだ女性に声を掛けられ、一時間でいくらだと言われる。気を許せば、薄暗い部屋で欲望が根こそぎ抜かれる。路地に入れば、小料理、焼肉、焼鳥、おでんが件並みを揃え、狭い店内に、人が溢れながらも活気に満ちている。前を通れば炭火の薫りが食欲を誘い、脳裏に酒がちらつく。煙が染みた目に赤提灯は破壊力抜群だ。といっても、それらは金がなければ意味を持たない。アルバイト生活の身には、節約という厳しい現実があるのだ。それでも俗世界に向こうとする足を、堪えながら踏み出す。いつもの道で、いつもの何気ない景色を見ながら、さも後ろには空間が存在しないかのように歩き続けた。未舗装の道から脚に伝わる砂利の感触で我に戻る。遠目でも廃墟に見えてしまうような、塗装が剥げて黒ずんだ自宅アパート、改め我が古城に着く。今にも崩れそうな階段を、慎重に上りながら鍵を取り出す。築年数と同年の木材が、ひび割れている馴染みの扉を開ける。不揃いの石が剥き出しに埋められた玄関に俗世の足枷を脱ぎ捨て一目散に風呂に向かう。ふぅー。なんたる至福。爽快感。老朽化して小汚なくなった風呂場でも、湯を浴びれば一日を流すことが出来る。これで日常の穢れはとれた。だがまだだ。疲れをとるには核燃料が必要だ。すぐさま台所横にある、どこかなつかしい緑色の古ぼけた冷蔵庫から、キンキンに冷えた缶ビールを取り出し、タブを引こうとしたその時。なんと、六本のやきとりがテーブルの上に置かれていた。これはなんだ。やきとりだ。やきとりだが、なぜここにあるんだ。近づいて確認する。温かい。つい最近ここに置かれたものだ。先程まで誰かいたのか…。得体の知れない恐怖で、高まっていた体温が下がるのを感じた。静寂の部屋が急激に冷えこむ。呑気に風呂に入っていたことに背筋が凍る。気のせいか額に描かれた人物の髪の毛が伸びている気がする…。いや、気をしっかり保つんだ。泥棒か?部屋を確認する。荒らされた形跡はない。棚に無造作に置かれたままの貴重品も変わらぬ状態。窓と扉は鍵が掛かっていた。完全な密室だ。盗まれた物は何もないようだ。一先ず冷静になろう。本当に泥棒なのか。いや、そんなはずはないと思いたい。貴重品を盗まずに、やきとりを置いていく理由がない。だが現実にやきとりがある。何故だ、わからない。更なる情報が必要だ。現場に残されたやきとりを調べよう。やきとりは全部で六本。ねぎま四本もも二本の組み合わせで、味付けはタレだ。パック詰めされている。この組み合わせに意味はあるのか。定番だと、レバー、むね、かしら、はつ、鶏皮、手羽先など、他にも複数ある中で、この二種類を選んだ上に、味付けをタレにした理由はなんだ。何かの暗号かもしれない。しかし素人に解読出来るわけなかろうに、一先ず置いておく。謎を解くには別の視点から考えよう。犯人の立場に立ち、糸口を見つける。好意的に解釈してみよう。浸入したはいいが、貧乏暮らしに同情して置いていったのか。そんな馬鹿な話があるか。そうだ、熱くなるな。迷宮に踏み込むより先にすることがあるだろう。警察に連絡した方がいいかもしれない。しかしなんと言えばいいのか。部屋に未確認のやきとりが置いてあった、助けてくれ。いや、回収してくれ。とにかく来てくれ。これじゃあ、家にゴキブリが出たから退治してくれと110番した人間と、同じ扱いをされそうだ。やきとりが置いてあった謎を除けば、実質的に被害を受けていないのが現状だ。携帯電話を見つめながら考えること、五分ほどだろうか、メールのマークに気がつく。まったく、緊迫した状況だと言うのに、どうしても見たくなってしまう。ピピ、ガラケーのボタンを押してメールを開く、昼過ぎに届いたメールだ。「誕生日おめでとう。今日の約束すっぽかしたな。やきとりはプレゼントだよ、スーパーのねぎま好きでしょ。」なんてことだ、まさかこのやきとりが、彼女からの贈り物だったとは誰が考えてつくのか。しかもスーパー品。それにねぎまは好きだが、二本はももじゃないか。そんなことより、今日の昼間に約束していたのを、すっかり忘れていた。確かに彼女なら家に入り、やきとりを置いていくことが可能だ。ついに謎は解決した……、かのように思われたが、まだ事件は終わっていない。昼間に置いていったはずのやきとりが温かい。この謎が証明出来ていない。少し時間が経ってしまった今では、正確にはわからないが、感覚的に言うと人肌の温かさだった。この唯一残された情報を考察する、この温かさを温度として焦点にしてみよう、この温度にするには、どんなに早くても十五分前には電子レンジを使ったはずで、まだ熱が残っているはずだが、残っていない。使用した形跡がない、使用したと判断出来ない。まさか体温か。犯人が何かしらの理由で身体を乗せていて温かくなった。いや、それはおかしい、やきとりはパック詰めされている、潰れた跡がないのだ。炭を用意して焼いた?そんなバナナ、部屋には匂いすら残っていない。炭を用意するのに無駄な時間もかかる。部屋の主がいつ帰るかわからない状況で無謀だ。そこまでするなら素直に電子レンジを使うだろう。そうだフライパンか。台所を確認する。いや、使われた形跡がない。シンクも乾いている、水道も未使用ということだ。なぜだ、わからない、文明に馴れてしまった人間には理解出来ない。いでよ犯人……、そんなことができるわけがない、仮に出てこられても怖いだけだ。なにかを捻りだせ、なんでもいい、なにかだ。帰ってきて風呂に入った。そうだ、シャワーを使ったんだ。しかし、うろ覚えだが、風呂場の床は濡れていなかった。これは違うか…。脳が疲れたぞ…、脳に栄養が必要だ。脳の思考は糖が必須だ。なにかあるかな…。そうだ、ビールだ、確か一本当たり十グラム以上は含まれているはずだ。汗をかいて水溜まりになった中心にそびえ立つ円柱の筒を手に取り一気に飲み干す。よし、糖がまわった!それにしても、多少ぬるくなったビールは飲みやすいな。濡れた手を拭う。そうか、そうだったんだ。わかったぞ、

真犯人である、やきとり怪人がな。







人間というのは、誠に勝手な生物だ。居ない者、見えない者という勝手な偶像を造り上げ、勝手に恐怖し怯えている。恐怖心は人間を惑わすんだ。最初から最後まで、大きな勘違いをしていたんだよ。真犯人は、この夏の暑さによって生まれた"この部屋"だったんだ。真夏日というのは三十五度以上になる、日中に屋根や外壁が太陽に熱せられ溜め込んだ熱を、部屋の中に放熱していたんだ。いつもより早く帰ってきて、玄関を開けた時に気がつくべきだった…。そう、炎天下に密室、このやきとりは完全に傷んでいる。


六本のやきとり 完

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