表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

キミがボクで、ボクがキミで

 そこでボクは目が覚めた。

 幾度となく繰り返されてきた悪夢だった。

 可愛い猫のトーマス鄕サー・トーマス・ザ・プッシーキャット──かつてボクとしのぎを削りあった誉れ高い捨て猫の彼が、あの日、箱の中で経験したであろう恐怖と絶望と葛藤を思い返してはうなされる日々。

 あのとき、ボクはトムが連れ去られ、箱の中に無理やり押し込まれた光景を部屋の片隅からびくびくしながら眺めていることしかできなかった。彼に追いかけられては返り討ちにした経験をもってボクは彼を救い出そうとしたけれど、その知識はすべてトムをいかに出し抜くかに注がれていたものだから、人間相手にはとても敵わなかった。

 助けてくれよドクター──怒ったように叫びながら暴れていたトムの顔と鳴き声は、思い出すと背筋が凍る。そのうち箱の蓋は強引に閉じられ、電動ドリルで密閉された。彼が箱の中に入っていた時間は決して短くはなかった。そのあいだずっと、彼は箱をカリカリ擦って狂ったように鳴いていた。鳴き声と擦る音が止んですぐ、トムは長い舌をだらりと投げ出して、濁った眼をひん剥かせて、鼻水と涎と排泄物でぐしょぐしょになった姿で引きずり出された。

 その実験で彼らは一体なにを説明したかったのかはわからない。箱を開けた直後の彼らはやれやれといったふうに嘆息していて、やれ観測者がどうとか、やれもつれがどうとか、しきりにそんなことを話していたような気がする。

 彼らが観測するよりずっと早くトムは既に死を覚悟していて、箱を開けて確認する前に彼の鳴き声が止まったことでその結果を推測できたはずだった。そして、悪夢で追体験するトムの恐怖と絶望と葛藤は、結局のところボクの悪夢でしかなく、それが本当のことだったのかは確認しようがない。だってボクは箱の外にいて、トムは箱の中にいて、トムはボクが見えないし、ボクはトムが見えなかったからだ。唯一わかったのは、箱の中にはトムがいたし、箱の外にはボクがいて、お互いにそのことをしっかり観測し合っていて、だからトムはボクの名前を叫びつづけたし、ボクはトムの声を最期まで聞きつづけた。

 トムがまず死んで、トムの死をボクが遅れて観測したことだけが、あの実験でわかったことだ。死の一瞬はお互いに間違いなく認識していた──眠いよお──声が止んだ──互いにその経験は違えど、訪れた瞬間はまったく同じものだった。死。

 そして、トムの死がボクにもたらしたものは星ひとつが死ぬときと同じくらいあまりにも膨大で、偉大で、薄っぺらな木の板一枚隔てるほど遠すぎて、ボクひとりだけではとても観測しきれない。寝ても覚めてもトムのことばかり思い出に満たされて、もう頭も割れそうに痛い。

 トム、キミは箱の中でどれほど凄絶な思いを抱いたのか、ボクにつぶさに聞かせて欲しい。キミがボクの名を呼ぶように、悪夢が日に日に増してゆくんだ。

 ボクの名前はDr.ラットン。ボクももうすぐ、そちらへ逝くよ。




 了

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ