手のひらの花びら
ルーク=バースとアルマは、紅い列車から消えたタクト=ハインを追い掛ける。
時にすれば、深夜の頃だった。
人懐っこく礼儀正しいタクトを、バースは血をわけた肉親……『弟』のように接していた。
アルマも、バースと同じ気持ちでタクトを見つめていた。
物語は、急行。
タクトは、何を何の為に何処に行ったのか?
バースは、アルマの手を引いてタクトを追い掛けたーー。
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バースは、虫の声がしない列車の外へ飛び降りた。
アルマは靴の底で踏みしめた草から放たれた緑の匂いを鼻から吸い込ませ、バースの手を離さなかった。
深夜の空で月明かりを遮る雲は、南南東よりの風が吹いても僅かに流れるだけだった。
バースの胸の内は、正直にいえば焦っていた。
【サンレッド】に到着寸前で、イレギュラーの事態が原因で列車からタクトが放り出された記憶は鮮明に残っていた。
幸いに、タクトは持っていた転送装置で列車に戻ることができた。
だが、今回は自ら列車を離れた。
ザンルの目撃証言より、そんな臆測をバースはしたのだった。
ーー畜生、畜生、畜生ーーーー。
バースは、自分を責めるように心の中で叫んだ。
「バース、おまえの叫びが針が刺すように私に伝わっている。心を乱すのはわかるが、冷静さを失うのはタクトに追い付けないことになる」
ひたすら駆けるバースの脚を止めたのは、アルマの涙声だった。
「ははは、すまなかった。感情が垂れていたなんて、気づかなかった」
バースは鼻から息を吹いてアルマに言う。
「バース。タクトが【遺跡】から手土産を持って帰ってきただろう? ザンルの証言によれば、おそらくーー」
「……。あんまり良いモノではないのは、わかっていた。だが、どっちにしろ避けることができないと、頭の中にあった」
夜風を受けるアルマの頬につたう涙の滴を、バースは右の指先で拭う。
「バース……。おまえはひとりで『あのお方』と闘うつもりだったのか?」
「するどいな。さっくりと片付けて、しれっと【国】を目指す予定だったけどな。まさか、タクトが真っ先に気付くなんて微塵たりとも思ってなかった」
「どっちにしろ、避けては通れない『試煉』を、私も覚悟はしていた」
アルマはバースの右手を両手で包み込むと、バースの胸板に押し込んだ。
「【国】は幻だった。俺達を巻き込んで〈団体〉は『内部事情』を揉み消そうとしていた」
「【遺跡】をカムフラージュにして事業を展開させていた。バース、おまえは『あの時』タイマンと〈団体〉の実態を調べ尽くした」
「俺達の役目は【サンレッド】でとっくに終わっていた。だから、此処で本当に終わらせる」
「私もおまえと同じだ。もう、これ以上失いたくないものがあるからだ」
「ああ、そうだ。アルマ、おまえに絶対言いたいことがあるが、先ずはーー」
「優先順位がある。そっちを片付けてから……ゆっくりと聞かせて」
バースとアルマはかたく抱き締めあった。
そして唇をふかく、やわらかくつけると闇夜を照らす“蒼い灯”の方向を見つめる。
「タクト、待っていろ。俺達は、これからもおまえの傍にいる」
「これからも、ずっと……。バースと一緒にいて私の傍にいて」
「俺の」
「私の」
ーータクト………。
バースとアルマはまっすぐと“蒼の灯”に翔ぶように駆けていく。
橙と深紅の色が交じる閃光が空と大地に迸り、厚い雲を吹き飛ばして月を見せ月明かりが大地を照らす。
大地はうめき声に似せた轟きの音を響かせて“光”が消えると同時に……静寂が訪れたーー。
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薄紅の花びらが、風に吹かれて晴天に舞い上がる。ひらりと一つ、手のひらの中に吸い寄せられるように、押し込められる。
タクトは掌の中の花びらに息を吹き掛け空へと飛ばすと、聞き覚えがある声に振り向いていった。
「お久しぶりです、タッカさん」
「元気そうではないか!」
タッカは袋いっぱいに詰まるドリンク類を片手に空いてる手をタクトの肩に乗せて、笑みを湛える。
「バースさんはやっぱり、来られないのですよね? 」
「何度か促したがな。休暇が取れないと、奴も嘆いていた」
「仕方ないですよ。階級が上がってしまわれた上に、家庭もありますからね」
「上官が退役すると同時でな。必死の抵抗は愚か、選択の余地もなかったと、俺の顔見る度に顎を突き出している」
ーータッカさん、それ、ひょっとして……。
ーー満開の花を見るには付き物だ。食料は、ハケンラットがロウスの店で予約したオードブルだ。
タクトから笑みが溢れていく。
「ついに〈その道〉を極められた。ロウスさんらしいですよ」
「ファミリー向けにと、メニューも工夫されている」
ーーおーい、おまえ達さっさと来てくれよぉお……。
「あは、マシュさん待ちくたびれてる様子です!」
タクトとタッカは土手に生える草を踏みしめ、更に滑り落ちるようにマシュが待つ場所へと向かっていった。
ひとり、ふたりと敷かれるレジャーシートに集い、その上に各自で持参した品を並べ終えるとタッカは立ち上がっていく。
「多忙の中、よく集まってくれて感謝をする。残念ながら『あの頃』の隊員は、バースを含めて五名は欠席となってしまったが、奴等の分も大いに呑んで食ってと、楽しむ事にしようではないか!」
「乾杯」と、彼等は飲み物が注がれているカップを一気に空にさせると、一斉に食べ物に手をつけていく。
「すいません。僕、苦手なので」
タクトが持つ紙コップにザンルが瓶からアルコールを注ぎ込ませようとしていたがタクトは阻止した。
「アラ、意外! タクトくん、ハタチ過ぎちゃったからてっきり呑んでるかとワタシは思ったのに」
「乾杯程度の量は何とか大丈夫ですけどね」
ーータッカ。これ、アルコールばっかりじゃない!
ーー近くに自動販売機があっただろう?
ーー盛り上がってる様子だから、僕が行きます。ザンルさんは、続けてください。
「えーと……。結局、みんなも飲むと言い出したのだっけ?」
タクトは自動販売機より商品のボタンを押し続け、あとひとつと、いうところの時であった。
ーー俺、ブラックコーヒー頼む。
ーーはい、ブラックコーヒーです、ね………。
「え?」と、タクトは呼ぶ声に驚愕すると、抱える缶をぼろぼろと、地面に落下させながら恐る恐る、振り向いてみるとーー。
「よ!」
ズボンのポケットに手をしのばせて、笑みを湛える青年がいた。
「バースさん、酷いですよ。あなたが来れないと僕は聞かされてたのに!」
「内緒にしとけと、俺が言ったのだ。おまえの目を丸くさせてやる為にな!」
「て、ことは?」
「はは、悪いな」
「みんなのあんぽんたん!」と、唇を噛みしめながらバースの掌に拳を押し込めていく。
「あは、目もとバースさんにそっくり!」
「やっぱり、似てるか?」
「ええ」
「カナコ、タクトと久しぶりに会うから顔忘れちまったのか?」
バースは片手で抱く幼児――カナコを地面に降ろしていく。
「赤ちゃんだったから、覚えてなくて、当然ですよ」
タクトは腰を下ろして、カナコと視線を合わせようとするものの、バースの後ろに廻って脚に両腕を絡ませる仕草に微笑をする。
「お父さん大好きと、いうところですね?」
「ただの人見知りだよ。一番ひどかったのはちょっとでもアルマが離れるものなら、ビービーと騒ぐものだから『爺』が落胆しまくってたな」
「アルマさんは?」
「臨月だから、連れてこれなかった。ロウスの飯余ったら、持って帰ってこいだとよ」
「なら、本当は?」
「心配するな、呑めないだけだ」
タクトは「ふう」と、息を吐き
「みんなの処にいきましょうか?」と、腕にドリンクの缶を抱えて言う。
ーーお、カナコ、タクトの手伝いするのか?
ーーえ?そんなに沢山はさすがに……。
ーーやらせてみろ!そのうち、放り出すさ。
ーーバースさん、その、言い方あんまりでは?
「行くぞ、タクト」
「了解」
双方が目を合わせて言うと、何処より汽笛が高らかと鳴り響く。音に耳を澄ませ、河川に架かる鉄橋を通過する列車に振り向いた。
樹に咲く花、今一度風に吹かれてその花びらを舞い上がらせるとーー。
ーー駆け抜ける紅い列車を目指すかのように、吹雪いていったーーーー。