難関レール
タクト=ハインは列車の通路を歩く最中、ルーク=バースの個室で起きた出来事を振り返っていた。
アルマはやはりバースを愛している。普段の振るまいと一転しての柔和な女性らしい仕草と言葉が何よりの証拠だ。
一方、バースに向けて怒りを覚える。アルマに対しては哀しみを溢れさせた。
人を思う感情が辛い。歯痒くて堪らない。
何かに縋りたいが逸れすらも声に出して言えない。
タクトは5両目で立ち止まる。車両から無邪気な歓声が聞こえて
扉のプレートの〔娯楽、学習室〕の文字を目で追うと、深呼吸をしながら入室する。
待ち構える子供達が一斉にタクトに飛び付いていく。
ーータクトお兄ちゃんこの本読んで!
ーーわーい! お兄ちゃんジョーカー引いた。
ーータクトさん、この問題の解き方教えて!
『お兄ちゃん! お兄ちゃん! お兄ちゃん!』
「人気者だな?」
子供に押し潰され、身動き取れないタクトに身を乗りだし、覗きこむバースの姿が視野に入る。
「どちら様ですか?」
タクトは言葉に棘を含ませてバースを睨み付ける。
「そう、怒るなよ。つい、カッとなってしまっておまえにとばっちりを浴びせたのは悪かったと謝るからさっ!」
「アルマさんは?」
「びーびー泣きまくって、疲れて寝ちまった」
「あなたのこと、いつも恋しがってました」
「それは、スミマセンでした」
「今度何処かにバホバホ行こうとするならば、首輪と鎖を掛けますよ!」
「犬か? 俺は」
「隊員の皆さんもきっと、同じ気持ちです」
バースは「了解」と、右手で敬礼をしながら室内の少女にふと、視線を追う。
「あのツンデレ娘。誰かに似てると思わないか?」
「あは! バースさんも気付きました?」
ーーおーい、キキョウ!
ーー何だ? タクト。
「ぶふ、もろ、コピーしてやがる!」
「でしょ? 僕も最初は戸惑いましたけど諦めてます」
「面白いから放っといている?」
「そうとも言えますね。完全形態で手のほどこしがない状態ですよ」
ーー今やってのけてる変顔もか?
ーーはい。
「ならば私は貴様たちの真似をさせて貰おう」
地獄の魔物が這い上がる如くの声色に双方一斉に振り向くと、掌の関節をボキボキと鳴らしたアルマが眉を吊り上げ、尚且つこめかみに青筋を浮かべて仁王立ちしていた。
「いっ! おまえたちなおり早っ」
「バースさん、外に干してた洗濯物取り込まないとぉお」
「待て、待て! その前にーー」
ーー歯を食いしばっとけっ!
タクトは頭部に岩石のように硬い衝撃を覚えて、バースは身体を室内の天井まで届くほど舞い上がると、床に落下した振動を車内に響かせていった。
英雄舞台の観賞と誤解した子供達の拍手喝采に戸惑うアルマは
鼻息を吹かすと
「キキョウ、あの姿勢はもっとこうだ!」
身振り手振りと自身の仕草の指導をする。
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=ウスマ=
その名の駅に紅い列車は停車する。
プラットホームは閑散として車窓から見る景色の濃く深く紅葉する山に野鳥の群れ帯びる。
「ニケメズロ。列車が減速した原因は何だ?」
「エンジン、計器、システム全て異常はありません!」
「停車して既に三時間は経過している。これ以上の遅れは不味いな」
バースは頭髪をくしゃりと握り締めると一呼吸する。
「仕方ない。また“あれ”を使って貰おう」
「この大馬鹿者! それは、絶対」
ーー許せんっ!!!!!!
「………鼓膜、裂けた」
食堂車でタクトと共に寛ぐアルマの断末魔に近い叫びにバースは目眩を覚える。
「アルマ、非常事態だぞ? 許さないもへったくれもないんだ。それにーー」
ーー俺はタクトに指示したのだ。おまえが口を出すことではないっ!
バースとアルマはお互いの顔を睨み付けていた。
暫くの沈黙を経てアルマが口を突く。
「〈あの時〉タクトは反動病に侵されのだ。処置が遅れてたら命は……無かった!」
アルマの言葉にバースは瞬時に「何故、その事を黙っていた?」と、眉を吊り上げる。
「おまえが知る必要はないっ!」
アルマはバースが肩に掴む掌を払い除けるとタクトの前方を塞いでいく。
「いい加減にしろっ!」
バースが激昂すると、今にも振り上げそうなアルマの腕をタクトが取り押さえる。
「お二人ともやめてください! どうしてそんなに喧嘩ばかりするのですか?」
「タクト〈あの時〉の経緯を説明しろ!」
「タクト、しなくていいっ!」
「おまえは黙っているのだ!」
「静かにしてくださいっ! 僕がちゃんと言います」
ーーアルマさんが助けてくれたのです。ご自身の身体を張ってもらうほど、大変な状態の僕をーー。
バースは険相を止めてアルマに憔悴の眼差し向ける。
「だが、此のまま列車を停めとく訳にもいかない。アルマ、頼む。タクトの“力”を貸して欲しい」
ーーあた達は何ば揉めよっと?
「ハケンラット、いつから其処にいた?」
「おどんはずっとおったばいた。ご馳走さんばいた! ロウス」
丼の縁に箸を置いて湯呑みを手に取り飲み干すと、その手をロウスに向けて振る。
「見向きもしない。な?」
「〈あれ〉から、完全に鬱ぎ込んでますよ」
「ほとぼりが冷めるまで要らぬ声は掛けるな!」
間を置きバースは「俺が悪いと言わんばかりだな?」
と、顎を突き出す。
「思いっきりだ」
「ちゃんと謝ったらどうですか?」
ーー此のままだと、ロウスさんの美味しいご飯食べられなくなりますよ?
「昨日はすまんっ!」
バースはシンクで食器を洗うロウスに駆け寄ると深々と頭を下げて陳謝する。
「反応が早い」
「バースさんはご飯を中心にして全てを廻されているのです」
「任務の使命より目先の“食欲”か? 呆れた奴だ」
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バース達はロウスを含め、ハケンラットがいるテーブルに移動する。
「バース、重ねて言うがタクトに“力”は 使わせない」
アルマはアイスコーヒーにガムシロップを10投入させ、一気に飲み干すと空になるグラスをロウスに差し出す。
「ピッチャーでお入れします」
ロウスは席を立ちキッチンに移動すると冷凍庫より大量の氷を巨大なグラスに山盛りに押し込めて更に漆黒の液体を注ぐ。
「飲み屋で豪快に呑むオヤジ」
バースは脚の脛に激痛を覚えてテーブルの下に潜り込む。
「どうした? 小銭でもみつけたのか」
アルマがこめかみに青筋浮かばせ歯を剥き出す。
「この馬鹿っ! 思いっきり蹴ることないだろ」
「誰が馬鹿だ? おまえの脚の鍛え方が足りなかっただけだろう!」
アルマは顔を覗かせるバースの頬を指先で捻る。
「あーっ! 僕、一口しかのまなかったのに」
バースが飛び上がった拍子でテーブルが激しく持ち上がった衝撃でカップからレモンティーが溢れてしまう。
「入れ直すからがっかりするな。おまえ達、いちゃつくなら他の場所でしろ」
「だまれっ! ロウス」
バースはフタタビ頭部をテーブルの裏で強打しながら潜り込んだままのアルマと目を合わせてか細い声で会話をする。
ーーいいな? 連中を含めて〈あの事〉は絶対に喋るなよ!
ーー言われなくても承知してるっ!
「アルマ」
バースは椅子に腰を下ろして額に汗を滲ませながらアルマの返事を待つ。
「タクトの“命”が優先だ」
アルマの揺るぎない言葉にバースは目蓋を縛り、ふわりと笑みを湛えていく。
「俺の負けだ。仕方ない、今回の責任は俺が全て承ける!」
「そんな! 其なら僕“力”を使います」
「ちっとはアルマの“母心”を判ってやれっ!」
ーーアルマはタクト、おまえに“情”が移ってしまったのだよ!
バースの穏やかな言葉と眼差しにタクトが顔を一気に赤く染める。
「誰が母親だと? それにタクトは何を鼻血を出している! 待て、ティッシュは確か……」
アルマは身に纏う軍服のポケット装着する革製のポシェットに手を突っ込みひっくり返しして無いことに落胆するものの、置かれる紙ナフキンを束で掴み、タクトの鼻の穴に詰め込んでいく。
「“母心”か……。たまにはいいこと言うな?」
「煽てるな、ロウス。尻が痒くなる」
バースはロウスの言葉に照れ隠しをすると頭部を抱えながら息を大きく吐く。
「あた達さっきから“力”ばっかでなんも見えんごたんな? タクト、腰。腰ばいた!」
串団子を頬張り緑茶を啜るハケンラットが指差す方向に誰もが注目する。
「すっかり、忘れていました」
タクトは腰に装着する革製のポシェットより〔加速〕と、ラベルが張られる筒型の容器を取り出して握り締めていた。