陽を照す〈1〉
ーータクト……。
胸の奥が熱くなる、耳朶はこそばゆい。タクト=ハインは夢見心地で感覚を研ぎ澄ませる。
ーー来なさい、タクト。
聞き覚えがある声。誰だろうと、確かめたく目蓋を開きたいという思いと反比例して身体が動かない。
眠くてたまらない。タクトは深い海に沈むように、柔らかい感触に身を任せるーー。
『いいから、いらっしゃい』
乳児を抱いている女性が目の前にいる。
『え、でも』
傍に躊躇う仕草をしている少年。
『順番よ』
女性は布団の中にいる乳児の寝顔を確認すると、少年を腕の中へと押し込む。
『母さん、僕が抱っこをせがむと思っていたの?』
『どうかしらね』と、女性は吹き出し笑いをして言う。
少年は優しく揺さぶられ、女性が口ずさむ唄に聞き酔いしれる。
久しぶりに母親の子守唄を聴く。少年は微睡み、寝に落ちる。
ーーそう、こうして今のうちに……。
囁き声がしたーー。
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「結局、美味しいとこ取りしやがった」
食堂車に入るルーク=バースが見たのは、アルマの膝枕で眠りこけるタクトだった。
「でかい声を出すな。タクトが起きてしまう」
タクトの前髪にアルマは手櫛をしていた。
「タッカは医務室でハケンラットが診ている」
「そうか」
「バンドには個室で休憩しろと指示をした」
「ああ」
バースが声を掛けてもアルマは、か細く返事をするだけだった。
「バース、疲れているだろう。おまえも個室で横になるのだ」
「ぜんぜん、こいつが目を覚ますところを見てやる」
テーブル席の椅子に腰を下ろすバースは「ふっ」と、笑みを湛えてアルマを見る。
「良く似ている」
「私が誰に、だ?」
「悪い、ひとり言だ」
「紛らわしい」
アルマは少し頬を膨らませる。
「付け加える。タクトが母親に似ているだ」
「……。そうか」
アルマが呟く。
バースは厨房に視線を向ける。すると、ロウスがマグカップにケトルからお湯を注いでいた。
「ロウス、ヨメさんはどうしている」
「俺の個室で休ませている」
ロウスはマグカップをバースに差し出して、通路側の椅子に腰を下ろす。
「タッカは矢が刺さったままだった」
バースは前髪を右手で握りしめて目蓋を強く綴じる。
「ハケンラットでも処置が出来ないのか?」
ロウスが訊くと、バースは『お手上げ』だというような仕草をして見せる。
「“闇”を抑えるのがやっとらしい」
溜息を吐きながらバースは言う。
「触れるとなれば、覚悟が要る」
「アルマ、タクトが起きてしまうぞ」
「さっき言っていたことと違うぞ、 バース」
「そいつのことだ。絶対に『自分がやる』と、言うからだ」
「それは、バースさんもでしょう」
声はタクトだった。
「タイミング悪く目を覚ましたな?」
むっつり顔をするバースが言う
「もう少し寝ていたかったのですが、嫌でも起きてしまいます」
タクトはアルマに身体を支えられながら、一度立ち上がると椅子に腰を下ろす。
「アルマ、おまえならどんな方法で“闇”を抜く?」
「いきなり私に振るな」
マグカップに口をつけるバースにアルマが眉を吊り上げて言う。
「僕も聞きたいです。だって、アルマさん僕たちを止めるに決まってますからね」
「軽食を用意する」と、ロウスは厨房に向かう。
「ハゲ茶瓶が言っていた。タッカの“闇”は抜くことが出来ないとな」
「バース、ち……。いや、あのお方も居たのか?」
「転送移動中に声を聞いただけだ」
「真面には抜けない。そういう意味でだろう」
ーー触れるとなれば、覚悟が要る。
バースは先ほどのアルマの言葉を頭の中で辿っていく。
今回の任務で尽く誰かが関係している。現地に到着して待ち構えていたのは、上官のハーゲ=ヤビンだった。そして、ロウスの妻のエターナ。彼女は護衛する16名の子どもたちを『仕事』を絡めてつどった。
結びつけるには、流石に勇気が要るものだ。
バースはロウスが運んできたパンケーキを素手で掴むと口に入れて頬張る。
「アルマさんがバースさんを“闇”から庇ったのは、誰の為だったのですか」
「おい、タクト。いきなり何をーー」
バースは咀嚼するパンケーキを喉に詰まらせ、噎せる。
「愚問だ」
アルマは素っ気なく言う。
「タクト、アルマさんを困らせてどうする」
ロウスは苦笑いをする。
「確かに僕は、まだ子供です。でも、訊きたいことを跳ね返されてしまうのは嫌です」
タクトは頬を膨らませて首を横に振る。
「……。ロウスの言う通りだ。先ずは、タッカの“闇”を何とかしないと先に進めない」
バースはマグカップの中身を一気に飲み干して息を吐く。
「ロウス、嫁を呼べ」
アルマが鼻から息を吹き出してロウスを促したーー。
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「アルマ、何を悩んでいるのですか」
事の経緯を一通り聞いたエターナは、アルマの肩に右手を乗せて言う。
「“闇”を抜くそのものは難しくない。ただ、必要となるのが道徳心に反しているのです」
「真面目過ぎるは、誰かさん譲りね」
エターナは身体に着ける装飾品の音を奏でて翻す。
「エターナさん、僕はけしてあなたを責めるわけではないのです。ただ、シーサが必要がない“力”までを習得するのはあんまりではないかと……」
顔すれすれのエターナに、タクトは頬を熱くさせる。
「いいえ。タクトさん、私は貴方の優しさに感謝を致します。バースさんもそうでしょう?」
「まぁな」
バースは腕を組ながらエターナにか細い声で言う。
「僕、シーサを連れてきます」
タクトがエターナに会釈をして食堂車を出る。
「エターナ、キミは本当にそれで良いのか?」
「あなたが願うことが何かは、私と同じよ」
ロウスは声を詰まらせるエターナを見据え「おっほん」と、バースの咳払いに、ロウスのエターナに伸ばす腕が止まる。
「バース、私たちは先に救護室に行くことにしよう。ロウスは夜食を用意して待ってて欲しい」
「はい、アルマさん。タッカの好物を多めに拵えます」
アルマは笑みを湛える。
「ロウスに約束をしていた。だから、姉上も約束をして欲しい」
「素晴らしい仲間に囲まれて、アルマは幸せね」
「私の話しを反らすのではない。バース、おまえも何か言え」
「事実に否定は出来ない。どれ、さっさと行くぞ」
バースは肩の関節を鳴らすと「にやり」と、満面の笑みを湛えてアルマとエターナの後ろ姿を見ながら救護室へと、列車の通路に靴を鳴らすーー。




