走行
「バース、入るぞ」とアルマはタクトを連れてバースの個室の扉を開いていく。
「来たな、おまえ達」
バースは跳ねる水滴の如く、ベッドより降りると二人を手繰り寄せ硬く、深く腕の中へと押し込めていく。
「すまなかったな。俺がいない間苦労をさせてしまった」
「心配無用だ。睡眠と食事はきっちりと取っていた」
「バースさん、アルマさん強がってるだけですよ」
「要らぬ言葉だ! タクト」
バースは微笑しながら腕を解し「顔、引き締まったな?」と、タクトの頭部に掌を押し込む。
「結構、鍛えられました」
タクトは鼻を啜り、目蓋を強く縛る。
「そうか……」
バースは安堵の息を吐くと二人に腰を下ろすようにと、右手で促す。
「バースさん。先程車両の警護を申し出たロウスさんに何故、厳しいお言葉をかけたのですか?」
タクトの言う経緯は遡ること通信室での出来事だった。
ーー俺はバンドを指名したのだ!
「9両目は子供ばかりだ。万が一、何か起きてはあいつだけで対応は困難。そう解釈するぞ? バース」
「奴が勝手な行動を取ろうとした。其処に頭にきた」
バースは背後のサイドテーブルの上に置かれる長方形の固体に手を伸ばして掴むと「こいつは、おまえが持っとけ」と、タクトの右手の中に乗せていく。
「これを、僕に?」
「ああ、おまえだったら要らぬことには使いはしまい?」
「使う?」
タクトは怪訝になり、バースと目を合わせる。
「意味が呑み込めないくらいが丁度良いな」
バースがアルマに笑みを湛えながら言うと
「こいつは〈天然〉に加えて緩い! 軍人としてやっていけるのだろうか? と最初は頭を抱えてたものだ」
アルマは苦虫を噛むように、尚且つ溜息混じりをする。
「でも、役にたってるだろう?」
「こっちが止めに入らねばと思うほど、調子いいところがある!」
「だとよ、タクト」
「僕、絶対いじくられてる」
頬を膨らませるタクトにバースは笑みを湛える。そして、更にこう言った。
「そいつのおかげで数日間の移動は楽をさせて貰った。まあ、専ら弄くっていたのはのはタイマンだったけどな」
「転送装置。列車には持ち込む事を許されなかった」
アルマは唇を噛みしめ、タクトが手にする個体を凝視する。
「何処で入手したのですか?」
「〈あの時〉だ、タクト」
「此れがなかったら僕達ずっと、バースさんに会えなかった」
「そいつを作動させた途端、転送されてしまった」
ーー〈軍〉の 資料室にだ。『見てくれ』と、言わんばかりに、資料が丸出しだった。
「バース。いいのか?」
「よかったのだろうな? 其処に真っ先に目に飛び込んだのがーー」
◎ロウス=アントル【育成プロジェクト】主催関係者の親族。
バースが開く電子手帳に開示される文字をタクトとアルマは息を呑み、ひたすら見つめていた。
「バース、資料室は厳重なセキュリティが施される。何事なく侵入できたのか?」
「おまえ、よく軍内部の事情知っていたな?」
アルマの形相が瞬く間に凍てついていく。
「『噂』だ」
「……。閲覧できるのは上層部のみ。俺の素性を知っているヤツがわざと招いたとしか考えられない」
「《罠》ですか? バースさん」
「【育成プロジェクト】如何にも怪しさを含んでる。そして、ロウスの名前だ、タクト」
バースは息を吸い込み目尻を吊り上げる。
「〈軍〉が其処まで調べる意図は何だ? バース」
「〈団体〉の情報を聞き出す事だろう。アルマ」
「 ロウスさんが団体関係者の親族だなんて、何処で知ったのでしょうか?」
「〈軍〉の何者かが〈団体〉と繋がっているに決まっている。アルマ、あいつの“力”は何か知っているだろう?」
「“照準”だ。相手の動きを感知した行動先に“力”を落とす、だ」
「他にも“力”は持っていた。あいつとは同期で〈軍〉に入った。俺の“力”も上抜く程のをな」
ーーそれが、ひとつしか残ってなかった。気づいたのは、陽光隊の結成時だーー。
「ロウスさん、どんなお気持ちでこの任務を遂行されていたのでしょうかね?」
「話が、見えない」
アルマは前髪を掻き分け、息を大きく吐く。
「判らないのか? ロウスは〈軍〉に拷問を掛けられたのだ! しかも、倫理、道徳的に反している方法をな」
「……資料室か。タクト、転送装置を見せて欲しい」
「はい」と、タクトはアルマの促しに手にする転送装置を差し出す。
「やはりそうだ。記録にこんなマークが付いている」
「リターン? それでは、装置を持っていた人は!」
タクトは装置の画面を覗き込み、バースに視線を向ける。
「俺達の行動を知っている奴だ。恐らくそいつが〈あの時〉にも関わっている!」
「バースの拾い癖を知っている人物だ」
「おいっ! 俺がいかにも盗人みたいな言い方だな? アルマ」
「ほぼ、近いではないか? おまえが難関の非常事態に真っ先に飛び出すという使命感の塊の奴だとも判ってのことだ」
「お二人とも心当たりありますか?」
「考えたくないがあの方しかいない。バースが煮え湯を飲まされたと、いつも愚痴っていたあの方!」
「ハゲ茶瓶か? 奴が《罠》を仕掛けた犯人だというのか? だったたら今すぐ行って確かめてくる。アルマ、装置をよこせっ」
「断る!」
ーーよこせ、よ!
ーー嫌!
バースはアルマの腕を掴んで解そうと握力を注ぐ。
「バースさん乱暴ですよ! ああ、アルマさん」
ーーやめて、バース!
アルマは頬を涙で濡らし、薄紅の光の粒を解き放す。
「タクト、すまないが部屋出てくれ」
バースの声は震え、指先をアルマに向ける。
「アルマさん、僕に転送装置を渡してくれますか?」
タクトはバースを押し退け、アルマの濡れる頬に指先を這わせる。
「アルマさん、泣かないで。僕、行きますね」
タクトはするりと頬から手を離すとアルマの乱れ髪に手櫛していく。
ーー行かないで、行かないで、行かないで。
ーー行かないから、泣くな。
扉が閉まると、アルマの震える身体はバースの腕の中に委ねられ吐息は光の粒に交わり、溶けては消えていくを繰り返すーー。