その四
夕暮れ時だった。気がつけば、一日中動物園にいたことになる。
奇妙な沈黙。
俺はふと、急に。
それは何のきっかけもなく、ただ、答えが頭に浮かんだ、そんな感じだった。
「リオンなのか」
藤波さんは、それを聞いて俺の方を見た。
そして、言う。
「はい。……よくおわかりに」
「なんでまた……明かそうと思ったんだ。俺に」
そう、彼女は初めから、俺に明かそうとしていたのだ。隠そうと思うならリオンを見せる必要なんてない。
「別に、あなただったからという訳ではないです。誰でも良かったんですが、たまたま、メールが来たタイミングですね。わたしはもう疲れてしまったんです」
「話してくれないか。何があったのか。……記事にはしない。いや、できないよ」
彼女は頷いた。座りましょう、そう言って園内にある喫茶店へと向かう。
*
「それは私の浅はかな賭けだったんです。あの子たちロボットが、本物の真似をするために生きる存在じゃない、自らがオリジナルとして生きる確固たる存在である筈だと、そう信じたかったんです」
これが藤波さんの懺悔だとして、俺には聞く権利はあるのだろうか、と思った。俺は神父じゃない。彼女の抱えていたものが溢れた、たまたまその場に居合わせただけなのだ。
「あの地下で見たライオン型のロボット……リオンがあの檻にいたのは半年前までと私は言いましたが、嘘です。アフリカから来た本物の二頭が来るその日、まだ檻にいたんです。二頭を檻に入れる時、予めリオンを檻から出しておかなかったのは私のミスでした。あの夜。私はリオンを出しておかなかったことに気づいて、夜中に園の裏から忍び込んでライオンの檻の鍵を持ち出しました。リオンの行動制御コードを私は知っていますから、私自身は危険な檻の中に入らなくてもリオンを入り口まで誘導することはできました」
藤波さんは目を伏せた。
「私が心配していたのは、本物の二頭がリオンを壊すことだけでした。本物とロボットを同じ檻に入れておくと危険なのはロボットのほう。まして夜中で観客もいませんし、リオンは何があってもじっと動かないでいると思っていましたし」
それがあんなことになるなんて、と彼女は小さく呻いた。
「リオンの誤動作か……。おとなしくしている筈のロボットが、何の間違いか本物を殺してしまったんだな」
「誤動作なら……まだ良かったんだと思います。でも私は、あれは誤動作ではなかったんだと思います」
「どういうことだ? あんた言ったじゃないか。ロボットは人の観ていないところで狩りをするようなことはしないと」
「ロボットの目的は何か、私が何と言ったか、覚えていますか」
「人間に観察されること……」
藤波さんは頷いた。
「そうです。リオンは、本物のライオンとして観察されるために生きています。それが彼の存在意義であり生きる目的だったんです。だから……観察される機会を奪う二頭は彼にとって敵だったんでしょう」
「ばかな……」
ある意味、生存理由を奪う敵を襲うのは当然かもしれません、と藤波さんは言った。
「私は、檻に近づいた時、リオンが動いているのを観て、驚きました。本当に。でも同時に……正直に言うと私、期待したんです。ずっと、ずっと人間に観察されるためだけに生きていたロボットが、今初めて、本物と同じように自らのために生きようとしているのかもしれない、そう思いました。仲良くなろうとしているのか、それとも敵意を持っているのか、それはわかりません。でも、少なくともリオンは本物のライオンになろうとしているんだ。身体が機械かどうかなんて関係ない、人間の定めた目的を打ち破って、本物のライオンとして振る舞おうとしている。リオンが壊される可能性はあると思っていました。そうなったら、それも仕方がないと思っていました。……だって、それは……本物のライオンとして死ぬということですから」
そして、と藤波さんは言い、少しの間、黙って窓の外を見た。たっぷり数十秒、いや数分経っただろうか。やがて口を開く。
「リオンは……ドニを殺してしまいました」
その言葉に、俺は確認する意味で返事を返す。
「ロボットのほうが勝ったわけか。皮肉だな。リオンは初めて本物のライオンとして行動した結果、同胞を殺してしまったわけか」
あるいはオス同士だ、ボスの座を争っての喧嘩などのつもりだったのかもしれない、と思った。
だが藤波さんは首を横に振った。
「違うんです。それは全く違ったんです。……リオンは急に走りだすと、まっすぐにドニに襲いかかりました。まず顔面に頭突きをしました。彼の頭部パーツが衝撃で損壊しましたが、全く気にする様子もなく間髪入れず右腕で自分の左腕を引きちぎってその上腕を棍棒代わりにしてぶつけ始めました。……それは誰がどう見ても、ライオンの動きじゃありません。リオンは本物のライオンとして行動を始めたわけじゃなかったんです」
……逆、だったんです。藤波さんはそう言った。
「私にはすぐにわかりました。リオンは、機械としてドニを殺したんです。金属の塊であるその頭部をぶつけ、同じく重い駆動系を搭載した上腕で攻撃する。本物と違い、リオンの場合は飾り物の爪や牙なんかよりもそのほうが遙かにダメージを与えられます。リオンの目や鼻は偽物ですからぶつけて壊れても問題ないんです。リオンはそれを理解していて……機械としての優位性を最大限活かして攻撃を始めたんです。私は愕然としました」
藤波さんは何かを思い出すように宙を見つめながら薄く口を結ぶ。
「リオンは……本物のライオンじゃなかった。ロボットだったんです。あのとき、私にはわかってしまったんです。ロボットは、本物にはなれない。だって本物の模倣をすることが目的の存在だから。どんなにライオンらしく振る舞っても、それはライオンとして行動することとは全然違う、ライオンに見えるように行動しているだけなんです。それがロボットの限界。リオンは……ライオンとしての行動を取ることをしなかった。だって誰にも見られていなかったからです。観客がいない時にライオンとして振る舞う必要が、リオンにはないんです。リオンのライオンとしての振る舞いはすべて……人間に見せるためのものだったから」
それじゃダメだったのに、と藤波さんはつぶやいた。
「リオンは結局はライオンであることよりも、ライオンとして振る舞う展示物であることを選び、それに忠実に行動したんです」
だから、と藤波さんは言った。
「リオンは……ドニを殺したんです。リオンは誤動作したんじゃない。正常に動作したから、明確な殺意をもってドニを殺したんです。私がリオンを強制停止した時、既にドニは手遅れでした。グレは怯えたのか近づいてこようとしませんでした。私はリオンを檻から出て行かせ、外れてしまった前足と首を回収して檻を出ました」
藤波さんはそこまで話して、天井を見た。
「……浅はかですよね、私」
「……リオンの罪を隠そうとしたことは……確かに良くないことだが、仕方がないことだと思う。機械がいることは明かせないだろう」
だがそんな慰めは見当違いだった。
「いいえ。浅はかなのは、私のこれまでの考えです。私、あの子たちのことを思っているつもりで、自分にとって都合のいいロボット像を押し付けていたんです」
「都合のいい……ロボット像?」
前に言っていた。人間の期待する行動をとるようになってしまったロボットの動物たちのことを。それを招いた人間を藤波さんは「自分勝手」だと言っていた。
「私は人間の期待する行動なんか無視して自由に本能のままに生きる動物が好きでした。でもその自然な動物像を……いつの間にかロボットである彼らにも期待していたんです。リオンの性質とは異なる行動を。」
私も同じだったんです、と言った。
「私の軽蔑していた人たちと。勝手なイメージを期待して、それが違うと裏切られたと思うような、そんな人たちと。……本当に、」
浅はかですよね。
そう言って、彼女は悲しそうに微笑んだ。