その三
ライオンの檻の前の休憩スペースでいよいよ事件の話を聞くことにした。
「事件の前後で、何か気になることは無かったか?」
「気になることですか? そうですね……実は」
口ごもる藤波さん。
「聞かせてくれ」
「実は事件の前にこんな脅迫状が来てまして」
俺は心が躍る。面白い話になってきた。脅迫状とは、たぶんよそはどこも掴んでない話だ。いいネタにぶつかったかもしれない。
脅迫状にはこうあったらしい。偽物で商売をする不届きな動物園には天誅が下るだろう。邪な作りものは破壊されるだろう。
「……つまり、ロボット動物の展示をやめないと壊すぞ、と」
ええ、と藤波さんは頷いた。
ロボット反対派の……それも過激派か。
偽物が展示されていることに反発を覚える人間は当然いるだろう。そう思うなら来なければいいと俺なんかは思うが、我慢できない人間もいる。動物園側にクレームを無視されたことに腹を立てて、行きすぎる連中も出てくるというわけか。
「それと、もう一つ。こちらは報道されてるはずですが、事件のあった日、園の裏のほうの監視カメラが一カ所、壊れていたらしくて……私もよくは知らないんですけど、地面に足跡があったとかで、どうも誰か不審者が忍び込んだんじゃないかって……」
なんだと。それは知らなかった。さっきの脅迫状と合わせて考えると、殺害犯はグレじゃない可能性も出てきたんじゃないか。
「じゃあそいつが檻に忍び込んでドニを殺したんじゃないのか?」
自分で言ってすぐにそりゃ変だ、と思う。
「いや、ドニがライオンと争ってる映像があったか。というかそれ以前に……本物のライオンを銃も使わずに殺せる人間はいないな」
俺が自己完結しそうになると、藤波さんは言った。
「……もし侵入者がいたとして、ライオンだけは本物だということを知らなかった可能性はあるかもしれませんけれど」
なるほど。動物園にロボットがいることは知っていたわけだが、ライオンもロボットだと思い込んでいた可能性はある。するとそいつは偽物だと思ってのこのこと本物のライオンの檻に侵入したマヌケだってことか?
「本物のライオンがきたというのをテレビで宣伝し始めたのはここ二週間です。脅迫状はもっと前に来てましたし。最近はテレビを見ない人多いですし……」
「だが……知らなかったなら尚更、ああいう結果にならんだろ。返り討ちで終わりだろう」
そいつの狙いが機械(だと思っている)ライオンの破壊だとして、忍び込んだ檻に本物のライオンがいたらどうしようもない。運が良けりゃ逃げられるかもしれないが運が悪けりゃ食われてしまう。
待てよ、とまた俺は仮説を思いつく。
「たぶん、忍び込んで、グレに気づかれて怒らせたんじゃないか? で、慌てて逃げ出した。ところが興奮状態のグレはその闖入者を攻撃するつもりが、暗闇だから間違えてドニを攻撃して……運悪く死んでしまった」
「間違えたって……ライオンがヒトとライオンをですか? それはどうでしょう。動物は人間と違い鼻がききます。いくら暗くても仲間のライオンを間違って殺すなんてことがあるでしょうか。
「無理があるかな……。それに結局、それじゃやっぱり殺したのはグレってことになるしな。わかってて殺したんだとすると、動機は何だ? 二頭は仲が悪かったのか。むしゃくしゃしてやった……みたいな」
藤波さんはその問いに、目を伏せて言った。
「直接の死因は色々あるでしょう。でも原因を作ったのは必ず人間です」
私には人間以外の動物が自らの意志で殺しあうようなことがあるとは思いません、と藤波さんは言った。
「動物は人間と違って……無意味な殺しはしないんです」
俺は妙にその言葉が耳に残った。
「あんた……動物が好きなんだな」
藤波さんは、微笑んだ。
*
「今の話で気になったんだが、そもそも、あの二頭が来る前まで、ライオンの檻はどうしてたんだ? ロボットと本物は共存できないんだろ? 二頭が来るまではライオンのロボットがいたのか?」
しばし間があったが、ああそれならと藤波さんは答えた。
「以前は一台、あったんですが、半年前くらいに壊れました。修理中なんです。ただ、パーツが予算不足で揃わなくて……。ライオンの檻はしばらく不在だったんですよ、この動物園」
予算不足か。……やはり高価なのだろう、高度な自律制御をするロボットだ。
「パーツ……か。パーツを取り外した状態なのか。それは見てみたいな」
俺がそう独り言を言うと藤波さんは意外な提案をしてくれた。
「……見ます? とても展示できるものじゃないですよ」
慌てて是非見せてくれと言った。まさか見せてくれるとは。
藤波さんに案内されたのは、地下だった。立ち入り禁止の看板の奥にある扉。小さな小屋のように見えたそれは地下への階段を隠しているだけで、彼女が鍵を開けて中へ入り階段を降りるとそこは案外広い。薄暗く、廃工場のような雰囲気を感じる場所だった。
「ここは?」
「動物のメンテナンス場です。壊れたのの簡易的な修理とかをするところです」
作業用の工作機械なのだろう、大型の配線やパイプが多数露出した物々しい機械の群れの中を歩いていき、案内された部屋に続いて入る。
「……あ、ここです。ここにリオンが」
そこにあったのは機械の塊だった。ロボットだというのは見た目にわかる。人間型ではない。四つ足の姿勢……だが三本しか足がない。右の前足と胴体、後ろ足。首と左前足がごっそり無かった。
ところどころ皮が取れていて金属がむき出しになっていて、とくに切断面ははっきり機械だとわかる。ケーブルが飛び出している。
「確かに機械だな。本当に……ロボットが展示されているのか。……足りないパーツってのは頭と前足か?」
「ええ。頭は電子制御部分の不良で、左前足は汚れが酷くて交換になりました」
「リオンってのはこいつの名前か?」
「はい。稼働して十六年目でした」
「案外保つもんだな」
「時々、毛皮や顔のパーツを交換して別の個体ってことにしてますよ。機械だと年をとらないので」
俺はふと、思ったことを口に出してみた。
「このライオンは……人を襲うことはあるのか? いや、人だけじゃない。ライオンといえば狩りをする生き物だ。忠実にロボット化するなら、そこまで再現しているのか?」
藤波さんは、目を瞬いた。そして微笑む。
「狩り、つまり他の動物を攻撃する可能性があるか、ですね? ロボットかあるいは本物の動物を」
頷きながら、しかし俺はその可能性は低いと思っていた。
案の定、彼女の言ったことは俺の予想通りの答えだった。
「ロボットと本物の動物を同じ檻に入れて展示したことは何度かあります。そのうち何回かはロボットが壊されました。でも、逆はありません」
「そうだろうな。そもそも耐久力がないんだ。展示用の機械だからな。故障に弱いだろうしな」
「それもあります。でもそもそも、そんなことは起こらないようになっているんです」
「起こらないように……ロボット三原則でも組み込まれているのか?」
冗談のつもりで言ってみたが、藤波さんは少し考えて頷いた。
「似たようなものですね。全ての動物園ロボットは、ある目的のもとに行動しています。それは、展示物として観察されること。それは肉食動物だろうと猛禽類だろうと毒蛇だろうと同じです。観察されることを最優先に行動し、そのため以外の行動はしません」
そういう風にプログラムされているということなんだろう。
「観客の望む行動しかしないと? じゃあもし、観客が獲物を襲うシーンを望んでいたら?」
それなら、と藤波さんは頷いた。
「襲う行動を取るかもしれませんね。ただ、誰でも入園可能で多くの子供も見ている動物園では、それは望まれていません。ロボットの彼らは、そういう人間側のリクエストは正確にインプットされていて理解しています。本物の動物相手でもロボット相手であっても、攻撃するふりはしても実際にダメージを与えたり破壊してしまうことはありません」
「演じているだけだというのか」
ええ、と藤波さん。
「そもそもあの子たちは、予め設定された開演時間、午前十時から午後六時まで、この時間しか「演じる」ことをしないんです」
「なんだと?」
「そういうプログラムなんです。閉園時間がくるとそれまでの自然な動きをやめ、まっすぐに充電設備へ移動して、翌朝まで身動きせずに待機しています」
「なぜそんな……」
「だって、客がいない時に動物らしく振る舞ったって意味がないじゃないですか。休園日だって皆止まってるんですよ」
「でも自律制御なんだろ? 時間外でもこっそり動いてたりしないのか?」
「ありえません。確かに自律制御です。動こうと思えば動けるでしょう。でも動こうとしない。それがあの子達の意志です」
藤波さんの言い方が気になった。俺の表情にそれを感じたのだろう。彼女は目を細めた。
「わかりますか? なぜ彼らが人の観ていないところでは動こうとしないのか」
俺は首を振った。
「あの子たちは……ロボットはロボットでも、展示されるためのロボットだからです。それがあの子達の生存理由なんです」
彼女は微笑んだ。
*
地上に出て、ペンギンのいるコーナーで話す。
「さっきあんた、彼らの意志、と言ったな。あのロボット達には、意志があるのか。全てプログラムされた行動というわけじゃなく」
藤波さんはその問いには答えなかった。
「さっき私、言いましたよね。愛護団体の圧力に対して、本物の動物を飼わずにロボットにしたって。でも、それっておかしいと思いませんか?」
俺が戸惑っていると、彼女は続けた。
「どうしてロボットなら飼われてもいいんですか?」
真剣な表情だった。
「どうしてロボットなら「かわいそう」じゃないんですか?」
俺はうっと思った。答えられない。人型ロボットに人権を与えるべきか否か。それさえまだまともに議論されていないにも関わらず、動物の権利、ましてやそのロボットの権利など……。俺にはわからない。考えがない。
「どうでもいいですよね。多くの人にとっては、そうだと思います。でも私にはどうでもよくはなかったんです。小さい頃からこの動物園に通っていました。あなたが言った通り、動物が大好きなんですよ」
「それじゃ……偽物だったと知った時、ショックだったんじゃないのか」
だが藤波さんは首を横に振った。
「ショック? 何がですか? 私は最初からロボットだってことは知っていました。「本物の動物」なんかが好きなんじゃありません。ここの皆が好きなんです。私にとっては皆が本物です」
彼女は、激しい口調になりながら、それでも微笑んでいた。
「ショックだったとすれば、偽物だから見せ物になっててもいいと人が思っていることでした。偽物でも、ロボットでも、この子たちは生きているのに」
ロボット人権団体、というのができつつあるという話は聞いたことがある。彼女はその先を行っているように思えた。
「私はそれを知った日から、この子たちを動物園から解放したいって思うようになりました。もっと広い場所で自由に暮らさせてあげたいって。でも、動物園はこの子たちを必要としているし、動物園は無くならない」
藤波さんは地面を見て喋っている。
「あなたが言ったように、映像や模型を展示するだけじゃダメなんです。それじゃ客は満足しない。どうしてでしょう? 実際にそこで動いてるのを見ないと満足できないのはなぜなんでしょう? それは、きっと……恐れているんです。本物でなくてはいけないと思いこんでる。作りものではわからないと思っているんです。何がわからないかも、わかっていないのに」
わからないまま諦めている俺のような人間もいる。
「生きているものを観察して何かをわかりたい、そういう欲求を満たすために彼らを犠牲にしている場所なんです、動物園は」
俺が何か言おうとする前に、藤波さんは急に激しい口調で言った。
「でも、なのに、それなのに! 自然のままを見せられると退屈する。矛盾してるんです。都合のいいものだけを観察したいと思ってる。ありのままを観察したいと言いながら、観たいものが観られなくては腹をたてる。そのわがままさ。自分勝手さ。それが根本にあるんです。だから、あの子たちは、あの子たちは……!」
いつの間にか藤波さんがとても興奮している。
俺が何も言えずにいると、藤波さんは深呼吸をして、急に冷静さを取り戻した。
「ロボットであるあの子たちも生きています。でも本物の動物と違うところは、あの子たちは観察されるために生きているということなんです。ロボットにも本能というものがあるとするなら、あの子たちの本能は、人間に観察されること。いかに人間の見ている前で本物の動物として振る舞えるか、それがあの子たちにとっての進化の圧力、選別の基準だった。あの子たちにとってはこの動物園という場所が「生息環境」だし、ここで人間に観察されるための振る舞いこそがあの子たちの「生態」なんです。予めそう設定されていた訳じゃありません。あの子たちは、そう進化してしまったんです」
その細い腕に力が入りぐっと拳を握ったのがわかった。
「適応、したんですよ……。動物園という「環境」に。ロボットであるあの子たちは本物の動物と違って一世代の間に進化するから。要求を敏感に感じ取って自らを改良するようにプログラムされているから」
彼女は目をこすった。
「皮肉な話ですよね。だから彼らは、ここでしか生きられないんです。解放なんて望んでない。人に観察されることを求める。それはもはやオリジナルの動物とは異なる性質を持った別の生き物です。オリジナルの動物らしさを観察者に見せることが存在意義だったのに、その性質こそがオリジナルとの明白な差なんです。オリジナルの動物たちは狭い環境にストレスをためたり病気になったりします。でもロボット動物たちは観察され続けるために何ら支障を来さない。ものをぶつけられても行動を変えない。見せ物として最適化されてしまって、もはやオリジナルの動物とは異なってしまった」
彼女は口調が静かになった。
そして、絞り出すように言った。
「その不自然さが……、結局は観察者達に飽きられてしまいました。最近、業界ではもう一度本物の動物を動物園に戻そうという動きがあって、世界中の動物園で広がりはじめています」
「何だって……もう一度本物を?」
「ええ、やはり本物の動物のほうが良いと。観客達がうすうす、期待通りに行動する動物ロボット達の演技に気づき始めてしまったのでしょう。客足が遠のいています。動物への関心が薄れるにつれ、愛護団体も発言力を失っていっている。それで動物園の経営者達は昔のように本物の動物の展示に戻そうとしているんです」
俺は全く知らなかったが、しかしその意味は……明らかだ。
そうなると、彼らロボット動物たちは存在意義を失う。彼らには、未来が無くなろうとしているのだ。
「あの2頭の本物のライオンが来たのもその流れですよ」
藤波さんは、何かを諦めたように微笑んだ。