その二
「象のロボットは一番歴史が長いんですよ」
藤波さんが解説しながら歩くのにあわせながら、俺は子供のように話を遮って聞かずにはいられなかった。
「なあ、さっきの象は、藤波さんが操作していたのか? あのタイミングで動きを変えたのは……」
あやすように丁寧に対応する彼女。こうした反応は予想していたのだろうか。
「いいえ。私は操作はしてません。自律制御です。タイミングは偶然でしょうね」
「じゃあその前のあの単純動作の繰り返しは? あの機械っぽい動きは、わざとしているのか?」
「それも自律制御の結果です。自律制御がお手本にしている本物の生き物の動きが、そもそも案外規則的なんですよ。機械だと思いこんで観察すれば、何でも機械に見えてくるものだと思います」
本物も規則的……。言われてみれば、そうなのかもしれない。走る動きしかり、貧乏ゆすりしかり、生物は案外同じ動きを繰り返すことが多いのかもしれない。
「……いつからなんだ? あんな機械の象が現れたのは」
歴史が長いと言ったのが気になった。
「もう何十年前になるでしょうか……。最初は海外の、サファリパーク系の動物園だったと聞いてます。団体でバスに乗って行くような形式のものです。あれならじっくり観察される危険もないですし、コースを走っているうちに動物が近くに来てくれないとお客さんに楽しんでもらえないっていうんで、機械にするのが適していたって話ですね」
「まあ確かにサファリなら直接触れるわけじゃないし、バレにくいが……」
「当時のは本当に単純な機械で、センサ類もないし自律的な制御もしません。ただ決まったパターンの行動を何種類かの中から選ぶだけの原始的なものでした。ロボットというより、動く模型と言うべきでしょうか」
「だがそれを動物園に持ってくるのは無理だ。サファリと違って動物園じゃあじっくり観察される。繰り返し見に来るやつも多い。動きのバリエーションが増えたってそのうちバレるぞ」
彼女は頷いた。
「その通りです。初期は動物園向けにパターンを数百まで増やしたようなのもあったらしいんですが、園によって檻の構造が別なので、どうしても個別カスタマイズになってコスト的に見合わなかったんです」
なるほど。確かに檻の形にあわせて動くルートも変えたりしなくてはならないのだろう。
「なので町中の動物園に普及したのはだいぶ後、自律制御が実用的になってからの話ですね。……と言ってももう数十年前の話ではありますが」
「……もしかして、象だけじゃないのか?」
そう、「象の」歴史は長い、と言った。他もあるということだ。案の定、彼女は頷いた。
「もちろん。さっき見ていたカバもサイも。チンパンジーにゴリラ、コアラにカンガルー。……ほら、そこのフラミンゴだって全部機械ですよ」
ちょうど、フラミンゴの池のそばを通り過ぎるところだった。池の中やほとりに、片足立ちをしたフラミンゴの群。二十……いや三十はいる。
「あれが全て? 一羽も本物はいないのか? あの大量のが全て機械だなんて……」
全てです、と彼女は言う。
「機械と本物とは共存できないんですよ。やっぱり動物たちもわかるんでしょうね。中身は金属ですから触れれば固いし、臭いもしない。いくら見た目が似ていたって全く異質な存在だってことが。だから怖がるか、あるいは攻撃して破壊してしまうことが多いんです。とても一緒の檻に入れておくことなんてできません」
まあそうなのかもしれない。実家の犬も、犬のぬいぐるみを噛みちぎってしまったことがある。
それにしても、彼女があまりに饒舌な気がして聞いてみた。
「……そんなことペラペラ喋っていいのか? 一応記者なんだが。これだけ機械に置き変わってるなんて、世間に知られたら大変だぞ。さすがに今だって、動物園の象がほとんど偽物だなんて誰も思ってやしないだろ」
「そんなことないですよ」
業界じゃ常識です、と藤波さんは言った。
「記事にするのはやめたほうがいいと思います。恥をかいてしまいますから。一般の方でも知っている人はいるくらいの話ですから。本当に本物だと信じ込んで疑っていないのは、もしかしたらもう子供たちくらいではないですか?」
むっとする。俺が世間知らずの子供だと言いたいのか。
「この動物園の動物、何割くらいが機械なんだ? ちゃんといるんだろうな、本物の動物も」
「今この動物園には本物は一匹だけですね」
「そうか……」
……。
え、今何だって。
「な、一匹だけ!!?? 一匹って言ったのか?」
藤波さんは声のトーンをまるで変えずに続けた。
「生き残ってるほうのライオンの、グレだけです。あれ以外は全ての動物がロボットです」
それってつまり……。
「もともと、この園には本物の動物なんていないんですよ」
こともなげにそう言い、藤波さんは微笑んだ。
*
「冗談じゃない。そんなこと知られたら大変だぞ」
事実は、俺が聞いた噂なんかのはるか上をいくものだった。だが藤波さんはさらに恐ろしいことを言う。
「完全ロボット化されている動物園も、先進国ではもう珍しくありません。というより、大半がそうだと言えます」
「そんな馬鹿な。そこまで進んでいながら、世間がそれを全く知らないっていうのか」
「むしろ皆さん事情は知っているからこそ、貴重な「本物の動物」がやってきたのが話題になっているのかもしれませんよ?」
俺は手を額に当てた。俺の中の何かが崩れていこうとするのを堰止めようとでもするように。
「あのライオン以外に本当に本物の動物はただの一匹もこの動物園にはいないって言うのか? そう思っているやつが大半だなんて信じられんよ。ほとんどの人間は本物がいると思ってる。だったら、そんなの詐欺じゃないか」
「詐欺は詐欺でも良い詐欺だと思いますよ」
良い詐欺も悪い詐欺もあるかと俺は思ったが、藤波さんの話はこうだった。
もともと、動物の機械化が進んだのは、コストのためでも、安全性のためでもない。コストの面で見れば種類にもよるが本物のほうが安く済む場合が多かったし、安全の面からも何も恐竜を飼おうというわけでもなし、檻や柵を整備すれば十分だ。
一番の理由は、「動物がかわいそう」だからだった。
具体的には、動物愛護団体からの批判の声が強まり無視できなくなったことだった。
自然の中で暮らしていた罪もない動物たちを捕獲してきて、人工的で本来の生息環境と大きく異なる、狭い檻や柵の中で飼育する……。十分な運動もできない。肉食動物も狩りもしない。そんなの正しい生きかたと言えるのか、と。
虐待だと言われたわけである。動物は本来自然の中で生きるべきもの、という考え方を持つ人にとっては、動物園は本来の生態を歪めて見せ物にして商売をしている悪しき場所ということになる。
動物園側も代替案を模索してきた。当初、一部を模型や映像に置き換えることを試みたりもしたそうだが、それでは客は見向きもしなかった。
「本屋に行けばとても美しい動物の写真集やカレンダーがありますし、家庭のテレビではるかにリアルな野生の動物たちの映像を見ることができます。ネット上ではバーチャルな動物園を自由に歩き回れるサービスも出てきた。そんな時代に動物園にわざわざ置物や映像を見に来る人間はいません」
目の前で動いてナンボなのだ。
そういう意味では本物の動物でさえ客の期待に満足に応えているとは言えなかった。
「もともと、本来の自然環境ではほとんどの動物はあんなに一日中走り回ったりしません。体力を温存するために動かないのが基本なんです」
そう。人間が期待するほどには、動きが少ない。他の娯楽が発展している現代において、エンターテイメントとしては動物園は弱すぎた。ほとんどの動物がただ眠っているだけでは映画やゲームの刺激には到底かなわない。
「もちろん動物園側も以前から小動物や比較的安全な動物のふれあい体験をさせるとか、曲芸をさせる等の工夫はしていたのですが、それらは訓練も必要だしリスクもありました」
こんな状況から、あたかも生きているかのように振舞えて、生身ではないロボットの需要が生まれた。
ロボットなら客が喜ぶような行動も自在にさせられるし、客の安全は保証されている。動物愛護団体も文句を言わない。訓練なしに曲芸だってさせることができるし、夜中に騒いで付近から苦情がくる心配もない。
「これはいわば、公然の秘密です。業界関係者のみならず、動物愛護団体や教育関係者にも明かしていて、各方面からの苦情や心配を解決できています」
俺が微妙な顔をしているのを見て、藤波さんは言った。
「サンタクロースみたいなものですよ。子供たちには秘密にしておくべきでしょう。確かに騙していることにはなるのかもしれませんが、私はこれはこれで良い解決方法だと思っています」
俺は苦笑した。
「なるほど……サンタクロースの正体をバラすような記事を書いたら、それこそ恥さらしもいいとこだ」
そういうことです、と藤波さんは微笑んだ。