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その一

 地方紙の新聞記者をやっている俺がその動物園に行ったのは、ある事件の取材のためだった。

 殺人……いや、殺獅子事件、とでも言うべきか。

 ライオンが殺されたのだ。

 それもただのライオンではない。アフリカの某国から友好の証として贈られた二頭のオスのライオンのうちの一頭だったのだ。あわや国際問題かと、世間の関心を大いに集めている。

 死んだのはやや小柄なほうの一頭で、名前は「ドニ」といった。彼には打撲や噛まれた跡が多数あったそうである。

 殺人犯……いや殺獅子犯として疑われているのは一緒に連れてこられたもう一頭のほうで、名前は「グレ」。彼が疑われた理由は至極簡単。ドニと事件当夜同じ檻にいたのは、彼だけだったからだ。死体の状態から見ても、この二頭が争ったと想像することは難しくなかった。

 加えて監視カメラの映像が残っていた。この動物園には園内のあちこちに監視カメラがあり、うち一台がドニとグレのいた檻の中をとらえていた。かなり画質の荒いその映像には、暗闇の中争いあう二頭の巨大な生き物の姿が映っていた。映っていた……と言っても人の目には真っ暗闇である。ただ、少し離れた警備室とトイレの明かりを拾ったのか、映像の色調を補正してみたところどうもライオンらしく見える影が争っている様子がわかったらしい。

 この事件が大ニュースになったのはもちろんこの二頭が国際的な贈り物であったということもあったが、21世紀が終わろうとしている現在において、ライオンは数が減っているということもある。もう少しで絶滅危具種の一つに数えられるところまで来ており、動物園で観るのは珍しいのである。

 取り立てて他に特徴のないこの地方の動物園にとって、目玉のライオンを失ったのは大きなダメージだっただろうし、事件のことをとやかく批判されてもいる。そんなところに一人でのこのこやってきた俺の取材を快く受け入れてくれたのは、正直意外だった。門前払いされると思っていたのだ。

 メールで取材をしたいと送ってみたところ、返事をくれ、またその日俺を迎えてくれたのは藤波さんという女性だった。飼育員だとのことだった。てっきりマネージャーが応対すると思っていたので意外だった。

 入園料を払って園内の待ち合わせの広場まで行くと、そこには、20歳後半くらいだろうか、化粧っ気は無いが顔立ちが整っていて表情がとても穏やかな女性がいた。私服姿で、どうやら非番らしい。俺は挨拶もそこそこに早速取材に取り掛かる。

「何を聞きたいですか?」

 彼女は微笑んだ。


 *


 灰色の巨体を前後に揺する象。ゆったりと首を左右に振る。それにあわせて垂れ下がった鼻の先の丸まった部分が地面すれすれを往復する。

 少し離れた位置にもう一頭。大きさはほとんど同じ。こちらはもう一頭ほどには動かない。ただ前足を揺すっていた。

 アジアゾウのコーナー。柵ごしに見える二頭を、俺は穴が空くほど観察していた。

「……わかりますか?」

 隣で藤波さんが尋ねる。俺は頷く。

「わかるね。手前の一頭は、一見大きく動いていて本物っぽく見える。でもずっと観察していると、実は単調な動きをひたすら繰り返しているだけだとわかる。ほら、さっきからやっているあの首を振る動作、鼻の通り過ぎる位置が全く同じなんだよ。寸分狂わない。あれは間違いない、機械の動作だ。つまりあの象が偽物。動きの少なくて一見置物みたいに見える奥の象のほうが本物だろう」

 俺の答えに、藤波さんは微笑んだ。

「さすが記者さん、よく観察されてますね」

 ライオンの事件の取材に先立って、なぜ象の柵の前でこんな話をしているのかと言えば、俺が前から聞きたかったことを尋ねたからだ。

 それはよく言われる噂についてだった。噂、というより都市伝説と言ったほうがいいかもしれない。

 それは、今の動物園には偽物の動物を使っているところがあるらしい、というものだった。

 偽物……つまり機械でできた動物、いわゆるロボット。一見なにをバカなことを、という意見にも思えるが、面白い話だとも思っていた。俺は門外漢ながらSFめいた話は大好きだ。チャンスがあったらこの噂が本当か聞いてみようと思っていたのだった。もちろんこんな馬鹿な問いは当然一笑に付されるだろうと思っていた俺はあえて率直に尋ねてみた。ここの動物園にロボットはいるのか、と。

 藤波さんはあっさりと肯定した。「ええ、いますよ」そう言った。俺のほうが狼狽えるくらいに呆気なく。

 肯定されてかえって信じられずにいる俺に、彼女はついてきてくださいと象のコーナーに案内した。

 そしてクイズを出したのだ。

「本当ですよ? ほら、こちらの象を見てください。二頭いますよね? 一頭は本物の象です。もう一頭はロボット、機械でできた偽物なんです。どちらがそうかわかりますか?」

 一見すると二頭とも本物にしか見えない。肌の質感といい動きの滑らかさといい。だが、昨今の映画を見ていればそのくらいの造形はプロにかかればお茶の子さいさいだろうというのは想像がつく。

 ヒントは動きだ。生物の動きは似た動きの繰り返しに見えてもブレる。だが機械の動きは正確だ。それがかえって不自然。そう考えて二頭を観察していた俺は手前の象の動きの単調さから、それが正しいと確信する。

「ほらずっと同じ動きだ。約二秒で一往復。不自然だ、あんな正確な運動は。間違いなく機械だな」

 藤波さんを見る。だが、なぜか何も言わない。あっさり見抜かれて返す言葉もないか。まったく、人間型のロボットがそろそろ実用段階に入ろうというこの時代に、あんな遊園地レベルの機械機械した動きで人を騙そうだなどとは片腹痛い。このぶんじゃ、俺以外にも気づいてる客はたくさんいるだろうな。

「……ああっ!?」

 俺は思わず声をあげていた。

 ……違った。違ったのだ。

 たった今俺が、得意気に偽物だ機械だと指摘したほうの手前の象が、往復運動をやめて、のそりと身体の向きを変えて歩き始めたのだ。今度は動きに機械的な規則性が見いだせなかった。そして上手にゲートにぶつからずに奥へ行く……。

 隣で藤波さんが吹き出すのが聞こえた。顔を伏せて笑いをこらえている。俺は顔を真っ赤にした。

「くそ、騙された。手前が本物だったのか。じゃあ奥のが機械なのか」

 奥の一頭をもう一度見ると、相変わらず前足を揺する動作を繰り返している。よく見ればあちらの方が機械的な動きなのが少し眺めていてわかった。

 外してしまった恥ずかしさから、俺は苦笑いせざるを得ない。

「言われると確かにあっちだな。動きが小さいのは機械だとはバレにくいように、か。奥のほうに配置されてるのも、少々不自然でも気づかれないように……。機械はあっちだったんだな?」

 だがまたしても、ぷっと藤波さんが吹き出した。

 俺は怪訝な顔になる。

「……何かおかしかったか?」

「ごめんなさい。嘘なんです」

「え? 嘘って……。ロボットが一頭いるって嘘なのか」

 彼女が頷いた。俺は間抜けな顔をしないように、必死で無表情を装った。

「……からかったのか」

「すみません」

 不思議と腹は立たなかった。彼女の第一印象としてとても真面目そうに見えたので、まさかこうしたからかわれかたをするとは思わず、驚いていたのだ。

「なんだよ……。あんた見かけによらず人が悪いな……。じゃあ、あの二頭は両方とも本物か。……どおりでリアルな筈だ」

 すっかり騙されたよ、と俺は藤波さんに頭をさげた。

「すまなかった。だとしたら失礼な疑いをかけていたことになるな。やっぱり動物園にロボットの動物がいるなんて、ただの都市伝説か。ああやって、似たような動きが多いのを誰かが勘違いしたんだろうな」

 思いこみって怖いもんだ、と俺は苦笑する。

 そして改めて、柵の中をゆうゆうと歩く象に目をやる。こうして見るとなぜロボットだなんて思ったのか。

 人間とは勝手なものだ。自分たちで閉じこめておきながら本物か偽物かなどとくだらない想像を巡らせる。あの象たちはそんな風に思っているのかもしれないと少し恥ずかしくなる。いや、そんなこと思ってすらいない……か。人間になど興味もないだろう。

 事件の取材に移ろう。そう思い、振り返る。

 だが。

 藤波さんが、じっと俺を見ていた。その顔は何か言いたそうで……少なくとも、種明かしをした後の顔ではなかった。

「どうかしたのか? まだ何か?」

 俺の問いに藤波さんは、微笑んで首を横に振ったのだった。

「ごめんなさい。逆なんです」

「逆?」

 俺がそう言うと、藤波さんは答えた。


「あの二頭は、両方とも機械なんですよ」


「なんだって」

「本物の象は一頭もいません」

 藤波さんは微笑んだ。

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