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コバルト短編投稿作品

手をつないで歩こうよ

作者: エイジ

 

 夏の雨は草の香りがする。

 桃子ももこはうっそうとした森の中の廃屋に来ていた。

 中学三年生の夏休み。

 一応、受験生ということもあり、

「勉強があるから」

 と遊びの誘いをことごとく断って、夏休みに入ってから、お盆も過ぎているのにどこにも出掛けていない。親友の倉田くらたカモメの肝試しの誘いもそう言って断ったら、

「中学最後の夏休みの思い出に」

 と熱心に何度も誘ってきた。肝試しの場所は近所だし、友達付き合いも大切だと、ついには断り切れなくなって来てしまった。

 元来が怠け者かもしれない。

「怠け者」

 と、夏休みをいいことに、いつでも家の中でゴロゴロしていて母親に罵られた。

「私は受験生で、家で勉強してるんだよ」

 そう否定したが、

(まあ、当たりだよね)

 と、内心は「怠け者」である自分を認めている。

 本当は出不精なだけで、それほど勉強もしていない。夏休み中は暑さのせいで骨がほとんど軟体になったように力が入らなくなり、廊下の冷たさを背中に受けてゴロゴロ這って移動したりしている。もちろん戯れでやっているのだが、怠け者には違いないと自分のことを思った。

 家でゴロゴロしながら、

(素敵な男の子の誘いなら喜んで行くのに)

 などとロマンスの妄想だけはしていた。




 この、森の中の寂しい廃屋で肝試しをやるのだという。

 重い腰を上げて来たが、にわか雨が降り出して廃屋の軒下で雨宿りせざるを得ず、

(もっと早く雨が降れば中止になったのに)

 そう桃子は恨めし気に空を見上げた。

「これは、出るね」

 廃屋の内部を覗いて、桃子を誘った倉田カモメは断言した。

 桃子もここまで不気味な建物だとは思わなかった。

 この廃屋は幼馴染の昔の家で、小さい頃はこのあたりでよく遊んだものだ。しかし、今は昔の面影がない。人の通わぬ林道は草が生い茂り、手入れをされなくなった家は生気がなくなったように痛々しく壁が剥がれている。悪戯されたのか、ほとんどの窓が割られていた。

「出るかもね……」

 桃子は唾を飲み込んだ。幽霊がもしも存在するとして、それが家に住んでいるのなら、こういう場所だろうと思った。洋館……。というには少し小さい建物だが、凝った作りの和洋折衷という感じの家で、新築の時はおしゃれな建物だったのだろうが、今はその面影はない。

(昔は美人だったろうに)

 と、桃子は建物を擬人化して思った。

 この中に、これから入らなければならない。

 肝試し大会に集まったのは全員が桃子のクラスメイトで、男子三人、女子三人。そのメンバーを見て、しつこく倉田カモメが誘ってきたのは、

(男女の人数合わせのためか……)

 と桃子は思った。

「最初は瑞樹みずき君となっちゃんが入る。次は桃子といずみ君。最後は私と田澤たざわ君。そんな感じでいい?」

 倉田カモメは仕切り役。そう言って、最初のペアを廃屋の中に送り出した。

(やっぱり男女のペアで?)

 桃子の予感は当たった。でも、

(青春だな~)

 とか他人事のように思っていた。

 まだ午後三時を少し回ったところで日は高い。しかし、六人いたクラスメイトの二人が廃屋の中に入って四人になると、それだけで寂しくなって桃子は怖くなってきた。

 次に廃屋の中に一緒に入る泉をちらりと見ると、泉とすぐに目が合った。

 おもわず桃子は目を逸らす。

 泉はゴールデンウィークの明けた五月の最初に転校して来た生徒で、桃子はほとんど口を聞いたことがない。それでも思い切って声をかけてみた。

「こんにちは」

「う、うん。……こんにちは」

 泉は頬を赤く染めて下を向いた。

 桃子は泉の俯いた顔を追いかけるように首を傾げて彼の顔を覗き込んだ。

「あの……泉君、私の名前を知ってる?」

「そりゃあね」

 意外と反発するように泉が言う。

(怒った……?)

 楽しく会話をしようと思ったのに泉はそっぽを向いてしまった。

 カモメが桃子の袖を引いた。

「……あのね、泉君って夏休みが終わったらまた転校するんだって」

「そうなの?」

 カモメは桃子の耳元でひそひそ話す。

「……でね、泉君は桃子のことが好きみたいなの。だから二人がペアになるように仕組んだのよ。ひと夏の思い出に彼に恥をかかせないでね。楽しくやって」

 にやっと、口を歪めて厭らしい感じで笑うカモメに非難の視線を桃子はぶつけた。

「なにそれ? 私、泉君のことなんてなんとも思ってないよ?」

「だから接待だよ。いい思い出を作ってあげて。建物の中に入ったら、物音に驚いて『きゃっ!』みたいに泉君に抱き付いたりしてさ」

「えーっ……?」

「まあさ、先のことなんてどうなるかわからないじゃん。意外と泉君を好きになるかもよ。少なくとも、家の中に籠っていたんじゃ何も始まらないから」

 カモメは、がんばって! と桃子の肩を叩いて自分とペアを組む田澤のところに行った。ああ、その抱き付く手を田澤君に使うんだろうなあ……と桃子はカモメの背中を恨めしそうに見つめた。

 カモメが田澤のことが好きなのは薄々知っていた。自分が田澤とペアを組むために自分で企画した肝試しに違いないと桃子は思った。

(私を巻き込まないで、田澤君を普通にデートに誘えばいいのに……)

 やれやれ……と、桃子は溜息。




 廃屋の中から最初のペアが出てきた。

 にこにこ笑って、

「こわかったーっ!」

 などと二人でいちゃいちゃ言っているが、その満面の笑みはとても怖がっているようには見えない。

「あの二人……瑞樹君となっちゃんって付き合い出したんだよ」

 ぼそっとカモメが桃子に言った。

「……まじ!?」

 これには驚いた。中学三年となっても、クラスの雰囲気はそれまでとなにも変わらない。誰と誰が仲がいいとか、そういう噂はあったがクラスメイト同士が付き合っているとハッキリしたことを聞いたことがなかった。

「みんな奥手だから」

 などとノンキにクラスの女友達と話していたが、ちょっと先を越されたような気がする。

 桃子は美術部の部長をしてクラスの副委員長もしていた。クラスメイトの女子に何かを相談されることも多く、同い年ではあったがクラスのお姉さんみたいな存在だったし、自分でもそう思っていた。

 男の子とお付き合いをしたことはなかったが恋愛の相談に乗ることがあって、そんな自分が滑稽に思えてきた。これからも、なにかを経験したようなふりをしなければならないのかしら……と思い、さっきとは違う意味の溜息をした。

「あの二人、キスもしたらしいよ」

 余計な情報までカモメに教えられた。

「ふーん、そうなんだね」

 と極めて冷静に言ったが心臓はばくばく。廃屋から出てきた二人の唇を思わず見つめてしまった。

 桃子たちの番になった。

 桃子は不安な気持ちで二階建ての廃屋を見上げた。先に触れたがここには桃子の幼馴染が住んでいた。黒髪の艶やかな男の子で、色白の顔に濡れた赤い唇の目立つ子だった。

 小学一年生で同じクラスになったその子と家が同じ方角だったから、

「手をつないで帰りなさい」

 と担任に言われ、言われた通りにその男の子と一緒に手をつないで帰るようになった。言われた通りにそうしただけで、桃子に特別な思い入れはなかった。が、話すと面白い子で帰り道が楽しくなり、手の温もりと共にその男の子を異性として意識するようになった。

 幼い男の子と女の子が手をつないで歩く姿は微笑ましいものであったはずだが、近所の別のクラスの男子数人にからかわれて呆気なくその甘い日々も終わった。

 からかわれた次の日、いつものように手を男の子に出すと、彼は桃子の手を握らない。思いつめたように顔を上気させ、からかわれたのがよほど悔しかったようだ。彼はその後、すぐに転校してしまったから名前も記憶にない。柔らかくて温かい手の感触と、はにかむように笑う可愛い笑顔が鮮明に記憶に残っている。あれが私の初恋だ……。桃子は、そう大切な思い出として胸の奥の引き出しに仕舞っていた。

「――この人形の首にロープを掛けてきて」

 カモメが可愛い顔で怖いことを言った。

「この人形の首に?」

 カモメに渡された古いミカちゃん人形を怖々と桃子は抱えた。

 最初のペアの瑞樹たちが廃屋のどこかに赤色のロープを置いてきたという。そのロープの先端には輪があって、首つりのようにその輪に人形の首を掛けてくるのが桃子たちのミッションのようだ。

「む……むりだよ」

 桃子は尻込みをした。

「できないよね、そんなこと」

 一緒に廃屋に入る泉に同意を求めても、意外と泉は笑っている。

「こういうの、みんな好きなの……?」

 桃子は眉間に皺を寄せて溜息をした。

 肝試しだから少しは怖いだろうし、そういうのを楽しむつもりはあったが、人形とはいえ少しやりすぎの気がする。中に入るだけで十分怖そうなのに。

「なにかあったら困るから、ちゃんと教えておくね」

 カモメに笑顔はない。声のトーンを落として言った。

「この家の人たちはね、一家で自殺したのよ」

「ちょっと! これから私たちが入るのになんてこと教えるのよ~!」

「だから、ちゃんと言っておいた方が親切でしょ?」

「どこが……」

「でね、自殺したけど、この家の息子さんだけが死にきれずに生き残ったの」

「息子さんだけが……」

 桃子は廃屋を見た。

 その息子さんとは、自分の初恋の男の子だろうか……。親の仕事の都合で転校した。それは間違いだったのかと首をひねった。

「息子さんは家族の後を追うために自殺しようとしたんだけど、一人では寂しくて死ねない。だから友達を家の中に誘って一緒に死のうとしたんだって」

「うん……。それで?」

 ははーん、と思って、ちょっと桃子は余裕がでてきた。

 話が具体的すぎるのだ。

 どうせ倉田カモメの作り話。なぜなら、ここは桃子の幼馴染の家で、彼は一人っ子だったから、その息子さんというのは彼ということになる。彼が引っ越して行ったのは小学一年生の時だから、誰かと一緒に死のうとしたり、そんな大人びた発想はできないだろう。だいたい、そんな怖い話、いっさい桃子は聞いたことがない。

(ただし)

 桃子はまた不安そうに廃屋を見た。

(なにか出ても不思議じゃないんだよなあ……)

 廃屋の朽ちた外観を見ていると、カモメがどんな嘘をついても説得力はあった。カモメの話は終わらない。続きはもっと怖かった。

「この中に一緒に死んでもらおうと招いた友達に首を吊らせて、先に死んでもらったの」

 ぎゅっとカモメは自分の首をしめる。

「ぜ……ぜんぜん怖くないよ。作り話だし」

 その割には怖そうに桃子は聞いている。

「でも、やっぱり息子さんは死にきれなくて、何度も友達を誘っては首を吊らせて、死神のようにそれを繰り返したの」

「わ、悪いやつだね、その息子さん」

「すでに死神に取り憑かれていたんだよ。あの世への案内人だよ」

 幽霊のように腕をだらりと下げてカモメは桃子を脅かした。

「や、やめてよ! それで、そのあと息子さんはどうなったの?」

 カモメの作り話とわかっていたが、初恋の人がモデルらしいその「息子さん」の消息が気になった。作り話でもハッピーエンドになってもらいたい。怪談だから無理かもしれないが……。

「息子さんは闇に消え、今でもこの中にいて人を招いているのよ……」

 カモメは痛がる顔をしてそう言った。

 やや過剰演技だったが、聞いた場所が場所だけに桃子はぞっとした。幽霊になった初恋の相手には会いたくない。

 桃子は泉と一緒に廃屋の玄関に向かった。手に持った人形は、カモメが小さい頃に遊んでいたミカちゃん人形で、古いものだがその笑顔に癒される。怖くて膝が震えてきたが、その笑顔を見て桃子はむりやり和んだ。

「桃子さん、怖い?」

 泉が声をかけてくれた。

「ううん。大丈夫。ここ、私の幼馴染の家なんだよ。だから、さっきのカモメの話は嘘八百。お化けなんか出ないから」

「そうだよね」

 廃屋の玄関に鍵はかかっていない。ドアを軋ませて中に入り、桃子と泉は土足のまま上がった。人様の家の中だが、靴を脱ぐ選択肢が浮かばないくらい埃が積り物が散乱している。雨漏りがあるのか壁はシミだらけで、割れた窓から落ち葉などが侵入して想像以上に荒れていた。

「ひどいな……」

 泉はそう言って桃子に身体を寄せてきた。桃子も自然と泉の方に寄り添って内部を歩く。薄暗い中を懐中電灯の明かりで照らして、不気味な屋内を二人で探検した。

 内部は普通の家より広く、一階と二階を合わせると十部屋ほどはありそうだった。

(本当にひどいなあ……)

 桃子は、土足で入り込む自分たちの行為のことを思った。廃墟だが所有者はどこかにいるはずで、勝手に中に入っていいわけがない。また、内部の様子から十年も時が止まったように見え、あの初恋の幼馴染君が引っ越してから誰も住んでいないのが想像できた。

 すっ……と泉の手が桃子の手に触れた。

 手を握りに来たようだ。

(怖いから?)

 と桃子は思ったが、泉の無表情の横顔からはなにも読み取れない。泉は面長で横に切れたような鮮やかな目元をしていて、どちらかというと桃子の好みだ。ちょっとしたロマンスはウェルカムな状態だったが、いざとなると度胸がない。ドキドキしているのは怖いからなのかトキメイテいるためなのか自分でもよくわからなかった。

 それでも、

「積極的な殿方だこと」

 と冗談を言ったら、

「そんなんじゃないよ」

 と泉は手を引っ込めてしまった。照れた顔がかわいい。

(私のことが本当に好きなのかな……)

 人は好かれると好きになる。逆に嫌われたらこっちも嫌いになるもので、自分を好きだという泉を意識せざるを得ない。もう一度、手を伸ばしてチャレンジしてきたら思い切って握り返してみようかと思った。どうせ誰に見られているわけでもない。

 階段を上がってすぐの部屋で赤いロープを発見した。

 テーブルに置かれたそれは、ロープというより赤い毛糸で、端に輪っかが作ってある。子供だましのようで安心した。ロープが天井からかかっていて、それに人形の首をかけるのかと思ったが、これならばカモメらしい可愛い発想だと思えなくもない。

「ごめんね、ミカちゃん」

 桃子は人形の首に毛糸の輪っかをかけた。これで任務完了だ。次のペアのカモメたちが人形を回収しにくる。

「泉君、帰ろう!」

「ちょっと待って」

 これで終わりなのに、泉は奥の部屋に入って行った。一人になりたくないから背中を追うしかない。

「も、もう帰ろうよ」

「もうちょっとだけ」

 どんどん泉は奥へゆく。一番奥の子供部屋らしいところに入って、泉は部屋を見回した。

「ここか……」

「さっきのカモメの話のこと? この家の息子さんが友達を招き入れて次々に殺したって。さっきも言ったけど、あれって作り話だよ。ここに住んでいたあの子は、一緒に死のうと友達を招き入れるとか、そんなの絶対ないよ。明るくて可愛い子だったもの」

「だろうけど」

 泉は机の引き出しを開けた。

「だ、だめだよ勝手に開けたら」

 桃子は驚いて止めた。勝手に入った上にこんなことをしたら泥棒と変わらない。桃子は泉の腕を引くようにしてその部屋から出た。ちょうど腕を組む形になって、それと気づいてすぐに桃子は泉から離れた。

「ごめんなさい」

「いや、別に……。桃子さん、僕、もうすぐ転校するんだよ。よかったらメールアドレスとか交換できない?」

「……いいけど」

 桃子と泉は携帯を出してアドレスを交換した。

(たしかに、家に居たら何も起こらないなあ)

 出てきて良かったと思った。ただし、すぐに泉は転校していなくなってしまう。トキメイテいいものかどうか。どう考えても発展しそうもない。

 帰りは行きよりも怖い。

 泉が桃子の先を歩こうとするので、後ろの闇に引き込まれるような錯覚があって桃子は泉の前を歩こうとした。それを泉は許さない。行きと一緒に二人で並んで歩けばいいのに、取り残されそうな気がして二人で競争するように外に出てきた。

「あー、怖かった!」

 二人とも、血色のいい笑顔で笑った。

「仲いいのね、怖いように見えないけど」

 カモメは、ちょっといい感じになって戻ってきた二人に嫉妬したようだ。

 そんなカモメに、

「泉君が私に寄ってきてさ、私も怖いからずっと二人で寄り添うように歩いていたの」

 そう言うと、カモメは目を輝かせて田澤と一緒に中へ入っていった。

 カモメたちの任務はミカちゃん人形を回収することだが、探してもミカちゃんは見つかるはずがない。桃子が悪戯でカモメの持っているバッグの中に入れた。人形を探してもどこにもなく、バッグからはみ出した人形の頭に気づいてカモメは悲鳴を上げるだろう。カモメの驚く様子を想像して桃子は笑ってしまった。




 その夜、桃子は肝試しのことを思い出していた。

 なんだかんだと楽しかった。泉とメールアドレスの交換をして、少しは浮ついた夏休みの思い出もできた。

 泉に、

「今日は怖かったね!」

 とメールしようか迷って、とにかく携帯を握ろうとしたがそれがない。

(まさか……)

 廃屋の中に落としてきた気がする。

 あのあと、

「バッグに人形があって死ぬかと思った!」

 と、カモメは田澤と一緒に走って廃屋から出てきた。カモメが桃子の携帯を拾い、ミカちゃん人形の仕返しに隠したかもしれないと思ったが、そうだとしたら、

「ここにあるよ」

 と帰宅するまでに返してくれるだろう。大切な物と知っているはずで、そのまま持ち帰ったとは思えない。とすれば、やはり廃屋に落としてきたのだろうか……? 考えれば考えるほどその可能性が高い気がしてきた。

 廃屋は家から歩いて五分ほど。

(どうしよう……)

 と迷ったが、桃子は母親の携帯を借りて外に出た。

 廃屋の近くで自分の携帯の着信音を鳴らせば、落ちていたとしても容易に見つかるだろう。もしかしたら、泉からメールが入っているかもしれない……。そう思うと家で落ち着いてはいられなかった。

 林道の胸まである草を分けて泳ぐように駆け上がる。わずかでも日のあるうちにと思って来たが、すでにあたりは真っ暗で何も見えない。暗闇から聞こえる木々のざわめきが恐ろしかった。

 やっぱり明日にしようと踵を返して戻ろうとしたら、懐中電灯の明かりに照らされた。

「桃子さん!?」

 明かりの中から男の声がする。

「きゃーーっ!!」

「落ち着いて桃子さん、僕だから」

「はっ!? 泉君!?」

「桃子さん、こんな時間にどうしたの?」

「どうしたのって……」

 泉こそどうしてこんな時間にいるのか桃子は不審がった。

「私ね、携帯を落としたの。それでこのあたりにないかなって。そっちこそどうしたの」

「……いや、なんとなく散歩してるだけだけど。着信させてみようか?」

 泉は自分の携帯をポケットから出して桃子の携帯にメールを送った。耳を澄ませたが着信音は聞こえない。

「聞こえないね」

 と、泉。

「ありがとう。そのまま何度も送ってくれる? たぶん、あの廃屋の近くか、もしかしたら中にあると思うのよ。入るのは怖いけど、中で音が鳴っていたら一緒に入ってくれない?」

 桃子は泉にそうお願いして二人で少しずつ廃屋に近づいた。泉は何度も桃子の携帯にメールを送ってくれる。その動作がめんどくさくなったのか泉が言った。

「電話番号は? その方がずっと着信させられるから」

「う、うん。教えるね」

 桃子は自分の携帯番号を教えた。今更、実は母親の携帯を持っているとは言えない。泉は桃子に教えられた電話にすぐにかけてみた。これでメールアドレスに続いて携帯の番号まで交換したことになる。携帯が見つかれば着信履歴に泉の電話番号が残っているだろう。

 かすかに桃子の携帯の着信音がした。

 やはり、廃屋の中にあるようだった。

 廃屋の影が生き物のような存在感で目の前を覆っている。

「僕が取ってこようか?」

「わ、私も行くから……」

「怖いんでしょ。携帯が大切なのはわかるけど、一人でこんなところに来て、いったいどうするつもりだったの」

 泉は泣きそうな桃子の顔を見て呆れた。

 廃屋の中に桃子と泉は足音を軋ませて入り込む。

 中は真っ暗で、泉の懐中電灯がなければなにも見えない。泉の言うとおり、一人でこんなところに来てこんなところに入る勇気など桃子にはない。泉に感謝して、そして甘えるように寄り添った。

(今、手を握りにこればいいのに……)

 そう桃子は思ったが、泉の手は伸びてこなかった。

 携帯は二階の部屋の床の上にあった。それを拾い上げて桃子は胸をなでおろした。さあ帰ろう、と泉を見ると唐突に泉は言った。

「ここ、僕の家だったんだよ」

「え……?」

 泉が何を言っているのかわからなくて桃子は混乱した。

「どこが? ここが泉君の家だったことがあるの?」

「お願いがあるんだ。僕とここで、一緒に死んでくれないかい? 怖がらなくても大丈夫。人はいつか死ぬのだから」

「泉君……?」

(…………あっ!)

 桃子はまじまじと泉の顔を見た。そういえば泉には手をつないで一緒に帰った初恋君の面影がある。言われてみれば確かにあの男の子は泉だった気がした。

「ごめんね……。私、気づかなかった」

「桃子さんとは小さい頃によく遊んだよね。だから君が僕のことを忘れていてがっかりしたけど、でも思い出してくれてよかったよ」

「ごめんなさい……」

「もういいよ。それより、一緒に死なない?」

「……私と?」

 転校は辛いものだと容易に想像できる。桃子は転校の経験がなかったが、何度も転校しただけでも泉が不幸だったのがわかる。だから、少しでも傷が和らいでくれたらいいと、発作的にとんでもないことを言ってしまった。

「一緒ならいいよ」

 そしたら、泉は弾けたように笑い出した。

「あはは、本当に?」

「な、なによ」

 屈託ない明るい笑い声だ。

「いや、本当にごめん。倉田さんの怪談に乗っただけで、今のは全部嘘」

 いつまでも泉の笑い声が廃屋の中に響いている。

「な、なによ? 本当に同情したんだから。……全部嘘ってどこまで? 泉君は私の幼馴染じゃないの?」

「いや、あれは僕だよ。もうすぐ引っ越しだからさ、ここに思い出の品がないかって、もう一度探しに来たんだよ」

「引っ越しっていつ?」

「明日」

「明日なの?」

「でも、やっぱりこの中には何もないみたいだね。ここって、まだ僕の親のものなんだよ」

「泉君の両親はここで自殺したの……?」

「だから、それは倉田さんの作り話だよ。二人とも元気だから」

 いつまでも泉は笑っていた。

 見つかった携帯で、泉と一緒に写真を撮った。暗闇に浮かぶ笑顔の泉と、複雑な顔の桃子。

 もしもこの写真を知らない人に見せて、

「幽霊が出る廃屋で撮った写真」

 と言えば、桃子を偶然映り込んだ心霊だと思うかもしれない。そんな変な顔を写真の桃子はしていた。

 廃屋は丘の上にある。

 そこから伸びる草深い道を二人で降りるとき、泉が桃子の手を握ってきた。驚いたが桃子は握り返してみた。泉の柔らかい手に包まれて、体温も匂うように伝わってきた。

「……泉君、先生に手をつないで帰るように言われたのを覚えてる?」

「うん。だから懐かしくて桃子さんと手をつないでみたかったんだ。あれって、君が同級生にからかわれて止めちゃったんだよね」

「ちがうよ。止めたのは泉君の方だよ」

「そうかな? 君だと思うけど」

「私バカだけど、そこだけは譲れない。同級生にからかわれて、泉君が恥ずかしくなっちゃったんだよ。はっきり覚えてるもの」

(手をつなげなくて寂しかったから……)

 とまではなぜか言えない。

「そうだったかな」

 泉は桃子より大人で、最後には桃子の記憶の方を認めてくれた。いつまでも手をつないで歩いて思い出に浸りたかったが、すぐに林道は終わって国道に降りて、そこで二人は手を離した。

 ――私のことが好きなの?

 桃子はそう聞きたかったが、泉が自分を好きだというのは倉田カモメの作り話かもしれない。怪談はすべて作り話らしいが、どこまでが作り話なのかわからなくなった。

 手を振って泉と別れ、少しして振り返ると小さくなった泉がまだこちらを見ていて、また手を振ってくれた。

(もう会えないんだね)

 桃子も手を振り、頬を濡らした。




 が、それから一か月後の九月下旬に、ひょっこり泉が戻ってきた。

「転入生みたいな生徒を紹介する」

 と担任が言って、教室に入ってきたのは泉だった。恥ずかしそうにしていたが背筋を伸ばして良い姿勢で入ってきた。

「なんというか、またよろしくお願いします」

 爽やかに身体を折り曲げて挨拶し、バネ仕掛けのようにまた良い姿勢に戻った。

「また、よろしく」

 と泉は桃子の前の席に座って言った。相変わらず、はにかむ笑顔がかわいい。

「よろぴこ」

 と桃子はふざけて言ってみたが、内心は相当動揺していた。

 泉が引っ越して、メールしてみようかと毎日のように悩んでいた。また、あれからメールも電話もない泉に、

(なんのためにアドレスを聞いたんだ……)

 と怒ったりしていた。

「忙しい人だね、周回遅れにされたみたい」

 そう泉の背中に小さな声で言ったら聞こえたようで、泉は振り返ってその魅力的な笑顔を送ってくれた。

 ――ねえ、私のことが好きなの?

 心の中でそう聞いてみたが、泉にはテレパシーが通じないから反応しなかった。






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