「お前の瓶詰め遊びなど不要だ」と婚約破棄されたので、星の綺麗な観測塔へ引っ越しました~焼く聖女と還す聖女、正しかったのはどちらでしょう?~
「星屑の聖女ヴィオラ、貴様との婚約を破棄する!」
夜会の壇上。シャンデリアの光が眩しく降り注ぐ中、王太子アルデバランの指がまっすぐ私に突きつけられた。
(ああ、ようやく言ってくれた)
私は――ヴィオラ・ステラは、内心でそっと息を吐いた。
前世の私は、天文台の観測員だった。夜勤明けにコンビニのプリンを楽しみに歩いていたら、過労であっけなく倒れて死んだ。星ばかり見上げて、地上の付き合いは苦手なまま。
その性分は、どうやら転生しても変わらなかったらしい。
「お前の祈りは暗い。陰気だ。そのくせ、病を派手に焼き払うこともできぬ」
アルデバラン殿下の隣には、金色の光を纏った対抗聖女ミラが得意げに微笑んでいる。
「殿下、わたくしの光ならばこの通り。星屑など、一瞬で焼き払ってごらんにいれますわ」
「そうだ、ミラの光は美しい。お前の瓶詰め遊びなど不要だ。聖女の任を解き、修道院送りとする!」
瓶詰め遊び。
(……そう呼びますか、これを)
私は袖の中に手を添えた。そこには、これまで患者から抜き取り、封じてきた無数の星屑の硝子瓶が、静かに、優しく光っている。
この光の意味も知らずに。
私は静かに一礼した。
「――そうですか。承知いたしました」
喚かない。縋らない。
「……なに? 弁明も、嘆願もないのか」
「ございません。それでは、失礼いたします」
踵を返す私の背に、ミラの声が刺さる。
「まあ、やはり陰気な女。最後まで愛想の一つもないのね」
(知らんがな)
私はただ、綺麗に星へ還してあげたかっただけなのに。
袖の中の硝子瓶が、ちりん、と鳴った気がした。
◇
馬車は修道院へ向かう街道を進んでいた。
窓の外を流れる景色を眺めながら、私は前世の几帳面さで書き溜めたカルテの束を膝の上で撫でる。
星屑病。
この世界の不治の病。夜空から零れた星屑を体に宿すと、光に灼かれて衰弱死する。
そして――治療法は、たった一つ。
星屑は、焼いて消せるものじゃない。封じて、安置して、時間をかけて空へ還す。それだけが唯一の道。私のギフト《星摘み》だけが、それを叶えられる。
ミラの光魔法は違う。あれは星屑の表面の光だけを焼き飛ばしているにすぎない。患者は数ヶ月後、必ず再発する。そして、死ぬ。
再発率、百パーセント。
そのデータを、私は観測員だった前世の癖で、全患者分きっちり記録していた。
(……見せかけの光に、みんな騙されて)
馬車の御者に、私は静かに告げた。
「行き先を変えてください。国境の観測塔へ」
「し、しかし聖女様、修道院は――」
「もう、我慢しないんです」
「……よろしいので? 王命に背くことに……」
「焼く光と、還す光。どちらが正しいか。いずれ、あの方々が自分で気づきます」
私はカルテの束を抱きしめた。
「その日まで、私は私の空で、私の仕事をするだけです」
綺麗に星へ還してあげたかっただけ。その願いを、この国は「遊び」と嗤った。
ならば――星の綺麗な、国境の観測塔で。
◇
国境の観測塔に着いた夜、私は初めて彼に会った。
褐色の肌に、紅玉のような双眸。こめかみからは漆黒の角。屈強な巨躯を包む鎧は、深紅。
『冷酷無比の竜殺し』――辺境を守る竜人将軍レグルス・ドラゴニア。
その噂の男が、塔の屋上で。
夜空を見上げて、人目も憚らず、ぼろぼろと涙を流していた。
私は無言でその隣に立った。彼はびくりと肩を震わせ、慌てて顔を背ける。
「み、見るな。……俺は、その、目にゴミが」
(涙、滝みたいに出てますが)
「星が、お好きなんですか」
「…………妹が」
低く、湿った声だった。
「妹が、星屑病で死んだ。光魔法の聖女に治療してもらったのに、数ヶ月後に再発して……焼かれるみたいに、苦しんで、死んだ」
私は袖から硝子瓶を取り出した。中で星屑が、ふわりと柔らかな光を放つ。
「……これを」
レグルスの目が、大きく見開かれた。
「その光は……なんだ。焼く光とは、違う。柔らかい……」
「星屑を、焼かずに封じたものです。空へ還すための」
彼は震える手を伸ばし、そっと瓶に触れた。
「……焼か、ない……妹も、こうやって……看取ってやれたのか」
「ええ。焼かなくても、還してあげられます」
巨躯が、崩れるように膝をつく。
「……すまない。俺は、冷酷無比の竜殺しと呼ばれる男だぞ。それが……こんな、無様な」
(この人は、ちゃんと知っている。焼く光と、還す光の違いを)
「無様ではありません。むしろ、正しい涙です」
大の男が、子供のように泣きじゃくった。
星が、いつもより近く感じた夜だった。
◇
その頃、王都では異変が起きていた。
ミラに『治療』された患者たちが、次々と再発し始めていたのだ。
観測塔にも、リゲル爺さん――塔の老管理人を通じて、噂が届く。
「聖女様。王都じゃあ、治ったはずの病人がバタバタ倒れとるそうで」
星が好きで、夜な夜な空を見上げる穏やかな老人は、しわがれた声で続けた。
「聖女様の光は、焼かねぇ光ですなぁ。……あの光魔法とは、違う」
「ええ。焼く光は、いつか必ず戻ってきます」
「それがですな、聖女様。とんでもねぇ報せが……王太子殿下ご自身が、発病なさったと」
「……あの方が」
「ミラ様が派手に光を放ったそうですが……焼けねぇどころか、みるみる悪くなる一方だとか」
社交の場で無理に星屑に触れ、体に宿してしまったのだという。
ミラは光を放った。派手に、華々しく、いつものように。
だが、焼けない。それどころか、星屑は光を吸って、みるみる悪化していく。
「なぜ!? なぜ焼けないのっ!?」
ミラの絶叫が、王宮に響き渡ったという。
私は窓辺で夜空を見上げていた。
(知らんがな。焼けないのは当たり前です。あなたは最初から、何も治していない)
光の正体も知らず、称賛にだけ酔いしれてきた。その報いが、今、来ただけの話。
「聖女様。もし……王家が頼ってきたら、どうなさる」
リゲル爺さんの問いに、私は静かに答えた。
「さあ。まずは、瓶詰め遊びのお値段を、伺わないと」
「ふぉっ、ふぉっ……こりゃあ手厳しい」
爺さんが、喉を鳴らして笑った。
◇
観測塔の扉が、乱暴に叩かれた。
現れたのは、青ざめた王太子アルデバランと、髪を振り乱したミラだった。
かつて壇上から私に指を突きつけた男が、今は星屑に灼かれ、床に膝をついている。
「頼む、ヴィオラ! 俺を助けてくれ!」
私は硝子瓶を掲げ、その柔らかな光を彼に見せた。
そして、静かに問う。
「……瓶詰め遊び、でしたよね?」
アルデバランの顔が、凍りついた。
「そ、それは……」
「不要だと、おっしゃいました。陰気だと。祈りが暗いと」
「あれは……あれは言葉の綾で……」
私は淡々と、机の上にカルテの束を広げた。
全患者分の記録。ミラに『治療』された者たちの、再発の記録。
「ご覧ください。ミラ様の光魔法で治療された患者――再発率、百パーセント」
「なっ……百、パーセントだと……?」
「一人も、治っていません。焼いていただけです。表面の光だけを。患者は数ヶ月後に必ず再発し、死ぬ。……これは治療ではなく、延命ですらない。ただの見せかけです」
ミラが、真っ青になって叫んだ。
「う、嘘よ! そんな記録、捏造に決まって――」
「ではあなたは、自分の魔法が何を焼いているか、説明できますか?」
「そ、それは……光を、焼いて……」
「星屑の、どの部分を? 焼いた後、患者の体内で何が起きるか、観察したことは?」
「そ、そんなこと……わたくしは、ただ、治せていたのよ……治せていたはずなのよ……!」
ミラは、何も答えられなかった。
「自分の魔法の本質を、あなたは最初から、何一つ理解していなかった。それだけのことです」
私は指一本、汚さない。ただ、記録と、真実だけを、静かに突きつける。
扉の外には、いつの間にか患者の遺族たちが集まっていた。リゲル爺さんが、真実を世に広めてくれていたのだ。
「皆さん、こちらへ。これが……あなた方の探していた、真実の記録ですじゃ」
「返せ……娘を返せ! 治ったって言ったじゃないか!」
遺族たちの糾弾の中、ミラは崩れ落ちた。
「違う、違うのよ……わたくしは花形聖女で……称賛されて……あぁ……」
花形聖女の失墜だった。
◇
私は膝をつくアルデバランの前に立った。
彼の体は、もう星屑に深く灼かれている。放っておけば、数日ももたないだろう。
「……救って、くれるのか」
「ええ」
私は静かにギフト《星摘み》を発動する。
「《星摘み》。……動かないでください」
指先を彼の胸にかざすと、体内に宿った星屑が、ゆらりと浮かび上がってきた。光の粒を、そっと、丁寧に、硝子瓶の中へ導く。
ちりん、と瓶が鳴った。
アルデバランの顔に、みるみる血の気が戻っていく。
「……体が、軽く……助かった、のか。俺は」
「命だけは。……あなたを救うのは、聖女としての義務です。愛ではなく」
彼の顔が、歪んだ。
「ヴィオラ……俺は、間違っていた。戻ってきて――」
「――言いません」
「……え」
「戻ってきてくれとは、言わないでください。王都より、こちらの空のほうが、ずっと星が綺麗なので」
アルデバランは、もう何も言えなかった。
全てを失った王太子は、床に伏したまま、震えていた。
私は瓶を袖にしまい、彼に背を向ける。
「お帰りください。ここは、還す者の場所です。焼く者の来る場所ではありません」
扉の向こうへ、彼らは去っていった。
私は、一度も振り返らなかった。
◇
それから、私は観測塔に残った。
封じてきた無数の星屑を、少しずつ夜空へ還す仕事を始めたのだ。
その夜。私とレグルスは、塔の屋上に並んで立っていた。
私が硝子瓶の蓋を、一つ、また一つと開けていく。
解き放たれた星屑が、ふわり、ふわりと、光の粒になって夜空へ昇っていく。数えきれないほどの光が、天へ還っていく。
隣で、レグルスが、また泣いていた。
「……綺麗だ」
「ええ」
「なあ、ヴィオラ。妹も……あの中に、いるか」
私は、彼の妹から抜き取った星屑を封じた、小さな瓶をそっと掲げた。
「この瓶です。……あなたの妹さんの、星屑」
「……開けて、くれるのか」
蓋を開ける。柔らかな光が、まっすぐ夜空へ昇っていった。
「ええ。ちゃんと、還してあげました」
「……っ、あ……」
レグルスが、堪えきれずに膝をつき、両手で顔を覆った。大の男の嗚咽が、星空に溶けていく。
私は、その隣にそっと腰を下ろした。
「……焼かずに、看取れましたね。今からでも」
「……ああ。ああ……ありがとう、ヴィオラ」
少し離れた場所で、リゲル爺さんが微笑ましそうに私たちを見守っている。
(ふぉっ……お二人さん、実にお似合いじゃて)
そんな声が聞こえた気がして、私は少しだけ、耳が熱くなった。
(そういえば――前世でも、こんなふうに星を見上げていたっけ)
コンビニのプリンには、二度と会えなかったけれど。
この空は、あの頃見上げていた空より、ずっと、ずっと綺麗だ。
遠い王都では――全てを失った王太子が、夜空を見上げて、後悔に震えているという。
(知らんがな、である)
星屑を封じた硝子瓶は、断罪の証であり、救済の器であり、そして――私の、新しい人生の灯だった。
「レグルス様。明日も、還しましょうか」
「……ああ。手伝わせてくれ」
涙もろい将軍が、無骨に頷いた。
星が、ひとつ、またひとつ、夜空へ還っていく。
この観測塔での小さな暮らしは、まだ始まったばかりだ。




