第36話 日の盃
ニルたちは、夜に行動するための装備など持っていなかった。
早朝に始めて日没前に終わらせる予定だったし、重たい装備を運ぶために軽くした荷物に、闇を照らす装備などある訳がない。
おそらく、今までの冒険者たちも同じだったのだろう。
闇と穴の違いに気づかなければ、曹操に大鐘楼の探索を諦めてしまう。
気づいて足を踏み入れると、光なき闇の中から帰れなくなる。
バルトランの言葉の意味は、おそらくこういう事だったのだろう。故に普通であれば、大鐘楼に足を踏み入れるのは唯の自殺行為になる。
だがニルたちには——クロードがいた。
「それじゃあクロード。悪いけど頼むぜ」
『了解しました』
背中から空色の大剣を——クロードを抜き放ったニルは、暗闇を照らすたいまつのように、闇の中にクロードを掲げる。
—―瞬間、水色の燐光が闇を照らした。
「うわぁ……」
その光景に、ステラが思わず息を呑む。
「凄くきれいですね、クロードさん」
『ありがとうございます、ステラ』
場所を忘れたように、思わずと言った感じで漏れ出たステラの言葉。
彼女の言葉に照れたように言葉を返すクロードだが、しかし事実としてそれほど神秘的な光景だったのだ。
クロードから漏れ出す水色の燐光が、闇を優しく照らしている。それはまるで、クロードの周囲だけが、小さな青空になっているようですらあった。
「そういや、ニルがクロードを背中から抜くのって初めてか」
「だな。剣として握ったのは初めてだ」
ガルスにニルは、この空色の大剣がクロードとなってから、ずっと背中に背負っていた。
背負ったまま無茶な動きをする事も多かったが、それは「ニルの感性」で考えると許容できる範囲でもあった。クロードは背中に居るが、挙動はあくまでもニルの延長だったからだ。しかし今回のように、「剣として」手に持つなら話は変わる。
「調子はどうだ? 振り回すつもりはないけど、変な感じはしないか?」
『はい、問題ありません。ですが動きが早くなると、周囲のスキャンが間に合わない可能性があります』
「なら問題ないな。武器としては振り回すつもりはないし」
ニルはクロードの言葉に安堵の溜息を漏らし、たいまつで闇を照らすようにクロードを頭上に掲げた。
「んじゃ、改めて道案内を頼むぜ。まずは入り口を探さないと」
「だな。色んな意味でクロードだけが頼りだ。頼んだぜ」
『スキャン範囲を絞り、解析精度と速度を上げます。皆さん、私の燐光が届く範囲から絶対に離れないでください』
「分かりました! よろしくお願いします、クロードさん」
◇
—―闇の入り口を探すように、石壁に沿って移動する。
四人は少しだけ闇に足を踏み入れながら、時々見える黒い穴を避けながら、建物の外壁に沿って移動する。
「お? ここから入れそうじゃないか?」
ガルスが指差したのは、石壁が崩れ落ちた場所だった。
ニルはクロードを掲げて内部を照らすと、乾いた埃の匂いと共に壁沿いに続く古い足跡が浮かび上がる。
『侵入は可能なようです』
「でも、この足跡の主は戻ってきてないんですよね?」
ステラの不安そうな声に、ニルは少しだけ考えてから答えた。
「……言いたいことも分かるが、ここから入ろう。正面門が崩れてる可能性もあるし、まずは位置関係を把握したい。クロード、時間は?」
『昼、移動距離の進捗は58%です』
「なら大丈夫だ。無理はしない。それでどうだ?」
ガルスとステラが頷く。
四人は、崩れた割れ目から足を踏み入れた。
—―闇に包まれた廊下を進む。
クロードの燐光が石の床を青く照らしているが、光の先には明かりを飲み込む闇が続いていた。闇を区切る壁にはかつての装飾の痕跡が残っており、クロードの光を受けて埃った輝きを投げ返してくる。
「……不気味な感じだな」
「ああ。ちょっと暗すぎる気がする」
『前方に黒い穴があります。右に迂回してください』
ガルスの呟きにニルが答え、クロードの指示が飛ぶ。
ニルは「了解」と答えて進路を変えて、闇の中を慎重に進む。
横を通り過ぎる黒い穴は、闇の中で不気味に蠢いていた。クロードが放つ空色の燐光に照らされても、世界にこびり付いた汚れのように真っ黒なままだ。
「……怖いですね」
「だな。でもこっちには、クロードがいるから大丈夫だ」
『お任せください。ステラ、足元にだけご注意を』
「クロード、俺の心配もしてくれよ」
ステラの不安そうな声に、ニルとクロードは軽い感じで笑って答えた。オマケのようにガルスがそう言って、四人は笑う。
気が抜けている訳ではない。
しかし光を奪うような暗闇は、鉄の国を覆いつくしている不気味な雰囲気を少しだけ和らげてくれていた。
幾らかいつもの調子を取り戻しながら、四人はゆっくりと闇の中を進み続ける。
――朽ちて落ちた扉の奥は、こじんまりとした小部屋であった。
部屋の隅には崩れた古い木材が放置されており、何かの瓶も床に転がっている。儀礼用の装具も幾つか見て取れるが、使えそうな物はなさそうだ。
「何かの保管庫か?」
『おそらくは。鐘や燭台のようですから、礼拝に使うものかと』
「でも関係なさそうだな。先を急ごう」
少しだけ部屋の中を覗いたニルたちは、足早にそこを通り過ぎた。
――闇の中に浮かび合ったのは、大きめの上り階段だった。
階段の途中には黒い穴が湧いていて行く道を塞いでおり、先に進むことはできない。
構造がそうさせるのだろうか。階段の入り口は周りの空気を吸いながら、あるいは外部の空気が吹き込むように。まるで呼吸をするように、階段周囲の空気が不規則に動いている。
「上に続いてるっぽいな」
『位置関係的に、おそらく鐘塔への経路かと』
「ちょっと気にはなるな……」
「だな。まあ、時間はないが……」
冒険者の性とでも言うべきなのだろうか。
クロードに鐘塔へ続くと言われて、ニルとガルスは少しだけ考える様に足を止めた。もしかするとこの先に何かのお宝が眠っているのではないかと、空振りに終わった幾つかの探索が頭を過る。
しかしそんなニルとガルスの背中を、ステラは物理的にぐいっっと押す。
「今は関係ないですって! 先に進みましょう!」
勿論、ステラの力ではニルもガルスもびくともしないのだが。しかし、言いたいことは十分に伝わる訳で。
ニルとガルスはそんなステラの様子に苦笑しながら「すまん、先を急ごう」と謝って、先に進むために足を動かす。
――やがて道は、中央へ続く回廊へと繋がる。
そこは石柱が並ぶ、広い空間だった。
クロードの淡い色の燐光が、柱の影を長く伸ばしている。
確かに、薄っすらと埃をかぶった空間は古さを感じさせる。しかし通路には瓦礫が少なく、道幅が広くなった事もあって、黒い穴にさえ気を付ければ普通に通行することが可能なレベルだ。
「思ったより崩れてないな」
「お前が言った通りに、正面門探した方が早かったかもしれんな、これ」
ガルスの言葉に、ニルは「読み違えたなぁ」とばかりに苦笑しながら頭をかいた。
「まあ、仕方ないですよ。分からなかった訳ですし」
『ステラの言う通りかと。あの場でのニルの判断も、間違いではありませんでした』
「ありがとうよ。……でもなんか、採点されてるみたいになるな」
「採点ならいいだろ。ニルとか文句しか言わんし」
「ガルス、そこは文句じゃなくて冗談と言って欲しい場面だぞ?」
四人で軽い感じで会話をしながら、しかし警戒を緩めずに通路を歩く。黒い穴は相変わらず闇の中で蠢いているが、問題はない。
『おそくらく、ここを抜ければ礼拝堂である可能性が高いです』
「スキャンしたのか?」
『いえ、スキャン範囲は絞っています。これは構造上の推測です』
クロードは『必要なら、スキャンも実施しますが』と言葉を続けるが、ニルは「いや、まだ大丈夫だ」と否定する。
「慎重に行く、それで良いよな?」
ニルの言葉にガルスとステラが頷く。
それを見てから、改めてニルはクロードを掲げてゆっくりと進む。
—―そうして少し進みめば、回廊の先に何かが見えた。
光――ではない。
闇の中で、うっすらと浮かぶ金色の影。
遠目からでも見ることの出来る何かが、礼拝堂の奥に存在している。
「あれは……」
「日の盃……でしょうか?」
「見えやすい場所にあるって言ってたし、そうとしか思えないが……」
その光景を見たニルたちは、三者三様に困惑していた。
この闇の中で光を失っていないのだから、おそらくこの闇を作り出しているのが、あの盃――暫定ではあるが、日の盃であろうということは何となく想像がつく。
しかし、なぜこんなことになっているのか、の見当を誰も出せない。
バルトランは、日の盃が友好の証だと言っていた。闇を生み出すマジックアイテム、なんてことは一言も言っていなかったはずだ。
『……近づく前に、スキャンを実施しましょうか?』
「そうだな…… 頼めるか?」
『了解しました』
その言葉と共に、空色の燐光が闇の中で脈打ちクロードのスキャンが完了する。
『……魔力を消費して、何かしらの効果が発動するのだろう、と推測できる形跡があります。また、材質が不明です』
「熔鉄で作られてる訳じゃないのか?」
『はい。材質が熔鉄ではない、とは断言できます』
クロードのスキャン結果にガルスが驚く。
そのやり取りを聞いたニルとステラは、難しそうな顔をして首を傾げる。
「ニルさん、どういうことなんでしょうか?」
「いくつか考えられるが……まず、あれが【日の盃】じゃない、て可能性だよな。それっぽいけど実は違います、てのは意外とある話だし」
「でも、流石にそれはないんじゃないか?」
「だよな。一応言ったけど、俺もないと思う」
ステラの問いにニルは推測を述べるも、ガルスの言葉に同意してすぐにそれをひっこめる。
「他には、実は持ち主も知らなかった効果を備えてる、てパターンだ。これもまあ、割とよくある話ではあるわな」
『ゴールの武器がそれですか』
「だな。だからまあ、今回もそのパターンってのは普通にあり得る」
ニルたちはしゃべりながら、日の盃へ近づいていく。
警戒しながら慎重に足を運んでいるが、別に何かが起きるでもなく、日の盃はずっと変わらずそこにある。
「で、とりあえず最後に思いつくパターン。【暴竜】の影響を受けて、何かしらの変質みたいなのを起こしてる可能性だ」
「でも、クロードのスキャンだとなんかの効果が付与されてるんだろ?」
「最初からついてたのか、それとも後付けで獲得したもんか、その判断はできんだろ」
「なるほど…… たしかに、ニルさんの言う通りな感じはしますね」
「だろ? 断言はできんわけよ」
そこまで喋り終わって、ニルたちは日の盃の元までたどり着いていた。
「でも暴竜の所為で変質してるってなら、俺たちに実害がないってのも不自然なんだよ。暗いのは確かに困るけど、所詮は「暗いだけ」な訳だろ? 黒い穴とは別物すぎると思わないか?」
「まあ確かに、それは思いますね」
「結局、よく分からんってことか」
ニル、ガルス、ステラの三人は、難しい顔をしながら日の盃を見下ろした。
—―その盃は、酒を入れる金属製の小杯のようだ。こんなところに飾られていなければ、何でもないものとして気にも留めないぐらいの大きさである。
それぞれに、思うところはあるのだろう。持って帰りたいとは思っているが、これが大鐘楼を飲み込んでいる「闇」を作っているのであれば、持って帰るのは不可能に近い。
『……時間はまだありますが、結論は早めに出した方が良いかと』
「……分かった。ガルス、ちょっと試して欲しいんだが」
クロードの言葉に、一番最初に反応したのはニルだった
何かを考える様に手を口元に置きながら、難しそうな顔をガルスに向ける。
「なんだ? 触れって話なら理由は聞くぞ?」
「いや、そうじゃない。ゴールの短剣を使って、この盃の魔力を吸えないか?」
「ゴールの短剣を使って?」
ニルの言葉に、ガルスは「続きを聞かせてくれ」と向き直る。
「この盃、魔力を消費して何かしらの術式が発動してるんだろ? それってつまり、魔力が無くなれば術式は発動しない、て事にならないか?」
「……なるほど、そんな気はするな」
ガルスの同意に、ニルは「そうだろ?」と一息ついてから言葉を続ける。
「で、ゴールの武器だ。お前はその武器、魔力消費がデカイってしょっちゅう言ってるだろ。ゴールの武器を使って盃の魔力を消費してやれば、とりあえず暗くなるのは止まるんじゃないか? と思った訳よ」
『なるほど、筋は通っているように感じます』
「でもゴールさんの武器って、持ち主以外の魔力を使えるんですか?」
「分からんけど……まあ、試すぐらいならできる」
ガルスは、ゴールの短剣の刃を、ゆっくりと日の盃へ近づけて——触れた。
その瞬間、短剣の溝から炎が吹き上がった。
「うお!?」
ガルスが驚く間もなく、炎は勢いを増していく。
まるで、ゴールの鎧の時のように。枯れた血管に血が通うように、短剣の刃が燃え上がる。
そして——周囲の闇が、薄くなり始めた。
「闇が……消えてる!」
ステラの声が、驚きに震えている。
薄く、明るく、まるで夜が明けるように。
やがて全ての闇が晴れた。
—―そして姿を現したのは、祈る人のいなくなった大鐘楼の内部であった。
高い天井、崩れた石柱、朽ちた長椅子。
一部だけが残ったステンドグラスが、色褪せた光を投げかけている。
かつて祈りに満ちていた空間は、今は静寂に支配されていた。
そして——黒い穴が、そこら中に湧いている。
石畳の上に、壁に、中空に。
ぶくぶくと揺れる黒い穴が、礼拝堂を静かに蝕んでいた。
「闇が晴れ……」
「隠れろ!」
唖然とするステラを抱え込むように、ニルとガルスは凄まじい速度で物陰に隠れる—―
――その動きに一瞬遅れて、闇の中に黄金の瞳が顕現した。
それが現れた瞬間、ニルの全身が凍りついた。
黄金で作られた満月が落ちてきたような、爛々と輝く黄金の瞳。
縦に裂けた瞳孔は、煮詰めた恐怖で彩られたような漆黒。
——息ができない。
瞳がそこに「在る」だけで、乾いた石畳が断末魔を上げるように軋んでいる。
ギシギシ、ギシギシと。
そして——ビギビギッ、と音を立てて、石畳が罅割れながら砕け散った。
視線が動いている。
可視化などできない筈の視線が、石畳を砕く事で見えてしまう。あの瞳が動いているのだと、否応なしに理解させられる。
最初に、日の盃が置かれていた祭壇。
次に、出入り口のある壁を何度か往復。
そして最後に、正面門を眺めた所で——
石畳の悲鳴が止まった。
現れた時と同じように、【暴竜】の瞳は何の前触れもなく闇の中に消えていた。
もう、何も聞こえない。
風の音すら聞こえない静寂が、大聖堂に落ちていた。
しかしそんな光景とは裏腹に、ニルたちの心臓はばくんばくんと爆発しそうな勢いで早鐘を打っていた。瞳を恐れて縫い留められていた鼓動が、ようやく息を吹き返したように。
「……行ったか?」
「たぶん……」
胸の鼓動が声さえ震わせている様なニルの言葉に、ガルスも息を殺したまま短く答える。
再び静寂が支配した礼拝堂に、ニルとガルスは顔を出した。
ニルが抱えているステラは、完全に硬直していた。
顔は青ざめ、息も浅い。
「ステラ、大丈夫か?」
「……い、いや、今の……何……?」
ステラの声が、震えている。
直接見た訳でこそないが、逆にそれが在ってはならない何かが確かにそこに居た事を、彼女の本能に強烈に叩きつけていた。
『あれが、【暴竜】……』
「バルトランさんが、見られたら死ぬって言ったのがよく分かったわ」
「だな。というか、ある意味ここに至るまで見なくて良かっただろ、今の。正直死んだと思ったわ」
「俺も。日の盃を持って帰ろうぜ。寄り道は無しの最短ルートだ」
決定事項だとばかりに告げられたニルの言葉に、異論を唱える者は誰もいなかった。
――そして四人は、すぐさま大鐘楼を飛び出していた。
日の盃を手に持ったガルス。クロードを背中に戻したニル。恐怖が抜けていないステラ。彼らは黒い穴を避けながら、出口を目指してひたすら走る。
静かな行進を心がけていた行きの道筋と違い、出口を目指す足取りは熔鉄の装備品を持っていることもあり、がちゃがちゃとうるさい。しかしそこに気を払うだけの余裕は、誰にもなかった。
『ニル、急いでください』
「分かってるって!」
クロードの声が、いつもより高く感じる。
理由など、分かり切っていた。
——何かが、こちらを見ている。
そんな気配が、四人の背中に纏わりついているから。
いや、違う。それは錯覚だ。錯覚に決まっている。だって——本当に見られていたのなら、自分はもう「死んでいる」
「門が見えたぞ! もう少しだ!」
ガルスの声に、全員の足が早まる。
そして——門を抜けた。
「……はぁ、はぁ……俺、実は死んでたりしないよな?」
「生きてるよ……」
振り返ると、鉄の国は変わることなく静かに佇んでいる。
黒い穴が、ゆらゆらと揺れている。
——あの黄金の瞳は、どこにも見えない。
「……二度と来ないぞ、俺は」
「私もです……」
ニルの言葉にステラが同意する。
もう、この冒険は終わりだ。
生き残った安堵を胸に、四人は鉄嶺の町へ足を向けるのだった。




