第35話 鉄の国の探索
鉄の国へ足を踏み入れた瞬間、ひどく歪んだ静寂が広がっていた。
家々は半ば崩れ、石畳の上には黒い穴が湧いては消え、風だけがざらついた音を立てて通り抜ける。
生温かく湿り気を帯びた吐息のような風が吹いている。そんな風は、しかし同時に鉄粉を含んだような、固いザラつきをも肌に与えてくる。
それはまるで、巨大な何かの口の中にいるような不快さであった。
「これはまた……」
ニルが先頭となって大きな門をくぐって現れたのは、かつて中央通りだったらしい大きな道と石畳。
在りし日はさぞや立派であったのだろう。しかし放置された今となっては、ところどころに亀裂が走って盛り上がっている。
残されている町並みは屋根が落ち、壁だけが不自然に残っている。それはまるで肉を削り取られて骨だけが残されたような、乾ききった寂寥感を見る者に与えていた。
「しかも、これ……」
「黒い穴が、こんなに……」
ニルに続いて門をくぐったガルスとステラも、言葉を失う。
鉄嶺の町からでは空に浮かんでいたように見えていた「黒い穴」が、町並みのそこら中に広がっている。黒い穴に触れたから町並みが壊れた、という訳ではない。ぶくぶくと湧いては消える黒い穴が、ただただそこら中に湧いている。石畳の上に、廃屋の壁に、何もない中空に。
ぶくぶく、ぶくぶく、ぶくぶくと。
湧いては消えて、消えては湧いて。
実害はないが、しかしそれがそこに『在る』ことに生理的な嫌悪が這い上がる。
「……クロード、一瞬で良い。あの黒い穴ってスキャンできるか?」
「ニルさん、スキャンしても大丈夫なんですか?」
「触るつもりはないけど、判断材料が欲しい。これは…… 何も知らないのは、流石に怖い」
ステラの言葉に、ニルの軽口は鳴りを潜めている。クロードに『頼めるか?』と声を抑えて呟くその姿は、真剣そのものだ。
『……了解しました。万が一を考慮して、高負荷処理で遠く離れている部分を一瞬だけスキャンします』
「頼む」
ニルの背中の空色の大剣――クロードが、どくんと脈打つように美しい燐光を一瞬だけ散らせる。
「どうだった?」
『……何も解析できません』
クロードの声は、いつもより低かった。
『スキャンの結果、あれは「穴」としての認識しかできません。物質ではなく、空間でもなく……ただ、そこに穴が開いているだけ』
「穴が開いてるだけ?」
「あの穴が消えた空間、別に無くなってる訳じゃないんだよな?」
『はい。ですが、私にはそれ以上の認識が不可能です。すみません』
ニルの言葉に、クロードは申し訳なさそうにそう言う。
しかしニルからすると、まあそうだろうなという感覚が強い。剣の柄を軽く撫でながら、「気にするなって」と声をかける。
「それが分かっただけで十分だ。予定通りに、クロードのスキャンは無しで行こう。ガルスも、マッピングの魔法は無しだ」
「おう。絶対に触らないように進もう」
「同意です。というか、私は頼まれても触りませんよ」
「それでいい。慎重に、でも急いで終わらせよう。クロード、工程は任せたぞ」
『了解しました。そちらはお任せください』
決意を新たに、改めてニルたちは鉄の国に足を踏み入れるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そして、ニルたちは息を潜める様に生命の息吹が消え失せた国の中を、速やかに、しかし慎重に進んでいく——
—―まずは、崩れたままの兵士宿舎。
かつて精強な兵士たちが町の治安を守っていた廃墟だ。
音が無くなった廊下。乱れたままの寝台。そして放置されたままの槍立てや、荒らされた木製の棚。
今は誰も居なくなった建屋の中を、ニルたちは三手に分かれて素早く見回る。
「念のために回ってみたけど、入口に近いから何もないな。ガルスの方は?」
「同じく。ここは何も無さそうだな」
「私もです。使えそうな物はありませんでした」
「了解だ。探索が早く終わったって思う事にしょう」
――次に、大鐘楼へと続くルートにある大きな廃屋。
きっと在りし日のいつかでは、その廃屋は豪邸だったのだろう。開きっぱなしの鉄門は馬車でも楽々と通れるほどに大きく、しかしその先には、枯れた噴水と土だけとなった花壇が物悲しくニルたちを迎える。
建物の入り口を潜れば、落下したシャンデリアが残されている大広間が目に付いた。左右に幾つかの扉があり、奥に向かっての廊下も見える。
「思ったよりでかいな……黒い穴が湧いて、立体的に分断されたら面倒だ。俺が二階より上を。ガルスが大階段の奥を。ステラが大広間の左右をって振り分けでどうだ?」
「私は構いません」
「俺もそれでいいぜ」
ニルの言葉にステラとガルスが頷く。
「よし。それと多分ステラは時間が余るから、ガルスと合流してそれっぽい部屋を追加で漁っといてくれ。一応言っとくけど、最低二つの出入り口が確保できない部屋には入るなよ。窓とドアで構わんから」
「了解です!」
「あとこんな状態だ、触れない場所もあるから期待するなよ?」
「分かってる。俺の探索の間に遊ぶぐらいならって認識で大丈夫だ」
再び三人は分かれ、大きな廃屋の中を探索する。
しっかりと探索すれば話は違うかもしれないが、今回目的にしているのはあくまでも「装備品」だ。素早く探索を終えた三人が合流するが、結論は「何もなし」であった。
「……やっぱ、入口に近い部分はだいぶ漁られてるっぽいな」
「仕方ないというか、ある意味予定通りだ。クロード、今どんな感じだ?」
『大鐘楼を経由して、当初目的の騎士団詰所へ向かう往復ルートを38%ほど踏破しています。現在の時間は昼よりは朝に近いので、帰りの歩みの遅さを考慮に入れてもかなりいいペースかと』
「よし、そっちが問題ないならいい。急ごう」
クロードの工程を確認して頷き合って、ニルたちは先を急ぐ。
――そして一行は、大鐘楼へとたどり着く。
「あれが……大鐘楼か」
ニルの声が、思わず低くなる。
目の前に広がるのは、巨大な闇だった。
黒い穴のように揺らぐわけでもなく、ただ静かにそこに在る。
まるで世界の一部が切り取られたように、光を失った空間が広がっていた。
そんな大鐘楼の鐘塔は、抵抗する様に闇の中から突き出すように確認できる。しかし肝心の建物本体は、完全に闇の中に飲み込まれてしまっていた。
「あー…… こりゃ無理だな」
「そうみたいですね。これは、流石に……」
ニルの言葉に、ステラが残念そうに声の調子を落としながら同意する。
「なんであんなにデカいのに覆われてるのかね……」
「運がなかったと思うしかないだろ、こればっかりは。とりあえず先行くぞ」
日の盃の探索に乗り気だったガルスも、ステラ同様にかなり声を落としている。しかし運が良かろうと悪かろうと、目の前の現実は変わらない。
ニルは素早く気持ちを切り替え、先を急ぐように促した。
「一応、帰る時にここをもう一回確認するって感じで良いか? 黒い穴が消えてるかもしれんし」
『移動距離的な意味での踏破率は、現在42%です。時間的には余裕もあります。ガルスの提案は実現可能かと』
「んじゃ、それで行こう」
ニルの言葉に、ガルスが「絶対忘れるなよ」と軽く笑う。
そんなガルスに、ニルが「俺じゃなくてクロードに念押ししとけ」と軽口を叩く。そんな、少しだけ軽くなった空気を息継ぎにして、四人は先を進んでいく。
――大鐘楼をそのまま通り過ぎたニルたちは、目的にしていた騎士団の武器庫へとたどり着いた。
「流石に、ここはまだまだ残ってるな」
バルトランに指定されたその場所には、聞いていた通りに幾つもの武器や防具が残されていた。
刃の部分だけを罅が走ったような深い溝を持つ金属――【熔鉄】で作られた斧槍と槍。
おそらく本来は、槍の方は数が多かったのだろう。しかしどうやら、ここにたどり着いた冒険者は、持ち帰りやすい槍の穂先を優先する傾向にあるらしい。床に散らばる持ち手の数と残された斧槍の多さから、ニルたちはそれを察してしまう。
「持ち帰りやすいのばっかり持って帰りやがって……」
「いやまあ、そこは仕方ないだろ」
「でも確かに、槍の穂先ぐらいなら、ギリギリですけど私でも持てますね」
ニルは悪態をついているが、ガルスはそりゃそうするだろ、という感じである。ステラは穂先の重さを確かめているが、どうやらいくつかは持つ事ができるようだ。
「よし。じゃあステラは持てるだけ持ってくれ。ガルスは鎧の胴体を頼む。持てるなら、空いてるスペースに足を突っ込んでくれ。一式持って帰れたら最高だろ」
「ニル、お前はどうする?」
「俺は斧槍の刃は腰に括りつけて、手甲は抱えて帰る。基本はゴールの鎧を持って帰った時と同じ要領でいこう」
「まあそうなるか。了解、それで行こう」
三人は装備品を手早く纏めながらも、気を紛らわせるように口を動かす。
「そういやさ、この装備はゴールの鎧とはだいぶ違うよな」
「それは俺も思った。ゴールの鎧は腕がかなりゴツイかったけど、こっちはそれがない。この溝と重さが無けりゃ、普通の鎧にも見えるな」
「だよな。やっぱ特別だったのかね、あいつ」
ニルが斧槍の刃を腰に括りつけてしっかりと固定し、ガルスも鎧の中の部分に足甲などを詰めていく。
『私は、斧槍が気になりますね。町で斧槍は見かけますが、こちらの斧槍は刃部分が非常に小さいように感じられます』
「もしかしたら炎で刃は作れるのかもしれんぞ」
「まじ? そんなこと出来るの?」
ガルスの言葉に、ニルが驚いて聞き返す。
「すまん、俺は出来ん。もしかしたら武器の違いかもだが」
「普通に、重たいから少しでも軽くしたいんじゃないですかね……」
『なるほど。ステラの言葉が一番納得できます』
そんな風に口を動かしている間に、ニルとガルスの荷造りが終わった。
ガルスは胴体を中心に足などの重たく長い鎧の部位を背負い袋に入れて背負い、ニルは手や頭などの小さい部分を腰袋に入れて固定する。またニルは斧槍の刃も幾つか腰に固定しているせいで、かなりごちゃ付いてしまっている見た目になっていた。
「俺は持てるだけ持った。ガルスはどうだ?」
「そこに転がしてるのを抱えて終わりだな」
「だいぶ詰め込んだな…… しかしやっぱりだが、ゴールの鎧より軽い気がするわ。薄い訳じゃなさそうだが、なんでだと思う?」
「腕の手甲が分かりやすかったけど、多分汎用品か特注かの違いだろ。こっちが薄いんじゃなくて、ゴールの鎧が分厚いんじゃね。あとは、まあ俺らが分からん細かい部分が違うんじゃないか?」
『二人とも、時間が惜しいです。回収が完了したのなら脱出しましょう』
「そうですよ、早くここから出ましょう」
目的の物を見つけて気が緩んだ二人を窘めるように、クロードとステラが脱出を急かす。ニルとガルスは「了解」と短く頷いて、来た道を逆走する様に道を急ぐ。
――そして一行は、再び大鐘楼へとたどり着いていた。
「まだ無理か…… ダメだな、ついてない」
大鐘楼を覆う闇は、行きと変わらぬ様子で佇んでいる。
「仕方ない、日の盃は回収を諦めて脱出するぞ」
「仕方ありませんか……」
そんな大鐘楼の様子を見て、ニルはすぐさま日の盃を諦める決断を下した。ステラもそんなニルに同意して、二人は大鐘楼に背中を向ける。
「……いや、ちょっと待て」
だがそんな二人の背中に、ガルスの静止の声がかかった。
素早く立ち去ろうとした三人に対して、ガルスはその場に留まったまま大鐘楼を真剣な表情で眺めている。
「なんだ? 時間があるから待つってのは無しで頼むぞ?」
「違う、そんな事じゃない。おいニル。大鐘楼を覆ってる穴……あれ、もしかして動いてないんじゃないか?」
「なに?」
ガルスの言葉に、ニルは大鐘楼を覆う「闇」とその周りに浮かぶ「黒い穴」を見比べた。
黒い穴は、泡のように揺れている。いきなり現れたと思えばいきなり消えて、沸騰するように蠢く不定形の輪郭の形も定まらない。
たいして、大鐘楼を覆う闇は、確かに全く動いていない。あれほどの大きさにも関わらず、不安定さが一切見られない。ずっとあの大きさだ。黒が不気味に波打つ事もなく、ただただそこに変わらぬ形の闇を湛えて居る。
「……クロード。悪いんだけど、入り口でやったスキャンをやってくれないか?」
『リスクはありますが……了解しました。高負荷処理で一瞬のスキャンを実施します』
入口でそうやったように、空色の大剣が一瞬だけ脈打つように燐光を散らす。そうしてクロードは『これは……』と、驚いたように呟いている。
『……闇の奥に、反応があります。おそらくあの闇は、「ただ暗いだけ」です。他の黒い穴とは違います』
「え? クロードさん、それほんとですか?」
『間違いなく。目の前をスキャンしたのですが、闇の先に壁を確認できました。ただ、どうやらこの闇の中に「黒い穴」も混ざっているようで、そこのスキャンは変わらず実行できていませんが』
クロードの言葉にニルは恐る恐る大鐘楼を覆う闇に向かって手を伸ばす。そして――彼の指先が、壁に触れた。
「ほんとに壁がある……」
「まじかよ……」
ニルは闇から手を引き、仲間たちの顔を見た。
ガルスは、嬉しいがやばいものを見つけてしまった、とばかりの微妙な表情をしており、ステラは驚きで息を呑んでいる。
『日の盃を回収するつもりなら、気を付けてください。闇の中には、黒い穴も混ざっています。スキャンを頼りに、慎重に進む必要があるかと』
「……分かった。ガルスもステラも、行くってことで良いか?」
ニルの言葉に、少しだけ考えながらも二人は頷く。
想定していた状況とは幾らか違ったが、探索が出来るのなら探索を続行する事に否はないらしい。それは、当然ニルもであった。
「——よし、行こう」




